今の「私」の健康と日本の歴史

図1

 

拡大と成長が叫ばれ、目的とされる現代で一体何が問題になってきているのか。

 

これからの一人ひとりの生き方を考える上で、過去から私たちは一体何を学ぶべきなのでしょうか?

 

「医療」という、日常の私たちにも関連の深いテーマを今までにない切り口で話してくださる小野先生。今回は常識のカベ講演録、第2回「今の「私」の健康と日本の歴史」をお届けします。

 

 

人間の生き死にを管理する!?
明治維新から第二次世界大戦までの医療の変遷

   

 

明治維新から第二次世界大戦までにどういったことが行われてきたかということを話します。

 

 

まず、明治維新の目的は、日本を近代国家として成立させることでした。幕末の志士たちが暴力闘争で徳川幕府に勝利し、日本が欧米列強に植民地化されないように、日本を欧米列強のような近代国家に構築していくことが最大の目的でした。

 

いかにして欧米列強に対抗するか、それが当時の日本の為政者にとって切実な命題でした。そのため、明治維新政府は近代国家としての社会統制機構をしっかりさせる必要がありました。

 

 

お金や富を生み出し、軍事力向上のための国民集団である国民国家をつくるために、人間の生き死にを管理する必要がありました。

そのために必要だったのが、欧米列強の近代西洋医学です。

 

当時の鍼灸や漢方という日本の伝統医学には、効率性や合理性を重んじ、人々を管理する考えがありませんでした。

 

 

明治維新政府はドイツ・プロイセンの医療行政を参考に、1874年に「医制」を発布し、近代西洋医学を日本の正統医学として認証し、制度化していく過程において、日本の伝統医学を切り捨てていきます。

 

ここで、それまでの「養生」に表される概念に対し、新たに「衛生」という概念が入ってきて、それらが入れ替わっていくのもこの時期です。そして、「医制」発布から、医療・健康政策の名の下に、日本国民の健康への国家的介入が始まっていきます。

 

 

先ほども言いましたが、この当時の日本政府は、欧米列強に対抗しなければならなかったので、富国強兵と殖産興業が具体的且重要な国の重点政策でした。

 

 

 

この当時、日清戦争や日露戦争があり、日本政府には屈強な兵隊や労働者を安定的に供給する必要がありました。日本国民の体力を向上させ、病気、特にコレラなどの急性感染症を予防することが、日本政府の医療・健康政策における課題でした。

ちなみに、伝染病予防法もこの時にできました。これらの対策により、コレラなどの急性感染症による死亡者数もどんどん減少していきました。

 

 

小野先生2-2

   (出典:厚生労働白書 平成26年)

 

 

「戦争は福祉であり、福祉は戦争である」

 

 

 

大正期、昭和初期は、ずっと戦争をしている時期です。第一次世界大戦、満州事変、日中戦争など、ずっと戦争が続いていきます。この時代の本質は、日本が経済成長をするための武力による資源の獲得と市場の拡大でした。

 

 

この時期の重要な医療・健康政策の課題は、結核予防と母子保健でした。国民総動員法もちょうどこの時期に作られました。

 

 

小野先生2-3

  (出典:厚生労働白書 平成26年)

 

 

この時期に、今日に至る医療・健康政策の基となる、様々な制度が作られています。

 

 

例えば1922年にドイツの疾病保険法をモデルに、健康保険法が制定されました。これは労働者及び扶養者の業務災害以外の疾病の保険です。

 

 

 1938年には、保健所法や国民健康保険も制定されています。またこの同じ年に、陸軍の肝入りで、今の厚生労働省の前身である厚生省が設置されます。厚生省はもともと傷痍軍人の福利厚生などを目的としていたので、戦没者に対する恩給など、現在も厚生労働省が担当しています。また、同時期に日本の医療・健康政策策定の拠点である国立公衆衛生院が、米国のロックフェラー財団の寄付により、設置されています。

 

 

「戦争は福祉であり、福祉は戦争である」という言葉があります。

 

 

これは、戦争が福祉を生み、福祉が戦争を拡大するという意味です。この当時、中央から地方まで一貫した医療保健政策が完備されました。

これは、戦時体制下で、日本国民の健康を管理することを目的に、医療・健康政策が完備されたと言っても過言ではありません。

 

 

小野先生2-4

写真提供:浄土真宗本願寺派総合研究所主催 「生きづらさの先にある孤独死〜団地、災害の現場と向き合う〜」

 

 

 

今日の大学教育に至る

 

 

戦前までの日本国民の健康の主権は、日本国民ではありませんでした。日本国民個人の健康は、兵力や労働力として、日本国家のためのものでした。

1940年には、国民体力法がつくられました。

これにより、未成年者の体力検査が義務付けられました。

 

 

これはどういうことかというと、今でも小学校や中学校で体力テストがあります。皆さんもその時にボール投げなどの遠投をされたと思います。これは手榴弾をどれぐらい遠くへ投げられるかの検査の名残です。今日でもいたるところに軍事教練などの名残があります。

 

日本国民の健康は、第二次世界大戦が終わるまで、一貫して国によって管理、強制されていたのが日本の実情で、それが必要とされた時代でした。

この辺りの歴史的なことは、今日の医学界ではほとんど教えられません。

 

ところで、話は明治期に戻りますが、「明治14年の政変」が起こりました。これは、イギリスやフランスをモデルとした自由主義派と、ドイツ・プロイセンをモデルとした天皇制絶対主義派との政権闘争です。

 

 

天皇制絶対主義派のリーダーは伊藤博文で、彼が外遊している間に、イギリス、フランスが、政権を握ろうと画策しました。それを伊藤博文が外遊から帰国して逆転させました。これが「明治14年の政変」です。

 

 

これにより、日本の国家体制はドイツ・プロイセンをモデルとすることになりました。これが、その後の日本の学術分野にも影響し、イギリスなどのリベラルアーツ(基礎学問・教養)を重視し、後に専門教育を施す教育とは違い、ドイツ・プロイセンと同様に、早期から専門教育を施す高等教育機関のシステムとなり、日本では、学術の共通の根を切り捨てた狭い分野に特化し、そこで功績を挙げることが良しとされる、タコツボ化した教育となっていきます。

 

それが今日でも、日本の大学教育には受け継がれている状況です。

 

 

知られざる医療の歴史!!

今日に至る日本の医療・健康行政の基礎を築いた人々

 

この当時の日本の医療制度をつくった立役者が二人います。

 

小野先生2-5

 

 

小野先生2-6 

 

 

さらに彼らに影響を与えた人物を紹介します。

 

 

小野先生2-7

 

小野先生2-8

 

小野先生2-9

 

 

これまでが、明治維新から第二次世界大戦までの富国強兵、殖産興業で欧米列強に対抗していかなくてはならない日本の国家政策の中で医療がどう行われたきたかの流れを説明してきました。

 

 

(常識のカベ、小野直哉氏講演より)

 

 

 

この当時の医療の世界から、現在の教育に大きな影響を多大に受けていたことを感じざる得ない、お話でした。

第3回では、「私たちの生活に結びつく医療。あなたの子どもに何を残すのか?」として、戦後の日本が一体どのような医療の歴史をたどり、現代の社会に影響しているかをお話しいただきます。

 

 

◎第1回「お寺で「医療の常識」を問い直す。効率化と合理性の追求の果てに何があるのか」—常識のカベ講演録

 

 


 

 

お寺で学ぶ講座「常識のカベ」とは・・・

2017年3月1日より連続講座として始まった本企画。

講座の中で、各種の専門家をお招きして、提言をいただきそれを踏まえて、対話を行い、参加者ひとりひとりの「常識」を問い直し、学ぶ場を提供しています。

時代を越えてあり続けるお寺で、今のあり方をじっくりと見つめなおす時間を。

詳細はこちら→常識のカベfacebookページ

 

 

 

2018.7/17 更新