農業×芸術×仏教〜昔の知恵に尋ねる今を生きるヒント〜第3回「社会に反して」

ごんラボ最初記事03—ご縁ラボとは

ご縁ラボ(70億人の井戸端会議)は、経済発展による物質的な充実に偏った豊かさとは異なる心豊かなあり方「自他共に心豊かに生きる」ことについて業種を超えて共に考え、行動するコミュニティです。浄土真宗本願寺派の僧侶がホストとなり様々なテーマに精通したゲストを招き会場の参加者とともに対話の時間を設けます。今回は「農業、芸術、仏教」をテーマとした昨年の秋に開催した会についてその様子をそのままにお伝えできればと思います。

 

<目次>

第1回 導入・ゲストとホストの紹介【http://tarikihongwan.net/goen_labo/8909.html

第2回 悲しみが好き【http://tarikihongwan.net/goen_labo/8962.html

第3回 社会に反して

第4回 敵と味方その1

第5回 敵と味方その2

第6回 あいまいな対話・最後に一言

 

会の進め方

今回の会は「曼荼羅トーク」というやり方で会を進めて参ります。曼荼羅トークとは、ウェブマガジンgreenz(http://greenz.jp)の元編集長の兼松佳宏さんが、編み出された「沢山の言葉とであいのお土産」があるという魅力的な手法です。

少し簡単に説明させていただくと、最初に登壇者の方々に各分野からのキーワードを数個出していただき、参加者の方々に聞きたいキーワードをその中からまず1つ選んでいただきます。また、選んでいただいた参加者の方々には、なぜそのテーマを選ばれたのか少しお話を伺い、それから、登壇者の方々にキーワードを中心にお話を伺っていく。という様な流れで進んで参ります。

 

菱川さん、丘山所長が出してくださったテーマ

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—社会に反して

参加者:「社会に反して」っていうことについて聞きたいです。私は大学でセクシャリティを勉強しているんですけれども、例えば性教育一つにとっても今の社会の本流からは反しているというか、性について学びたいという方はまだまだ少数の様に思います。そこが私の中で社会の中でうまくかみ合っていないけれど、私の中でうまく噛み合わせていきたいなぁっていうところなんです。だから、この社会に反してっていうのはどういう意味合いで言っていらっしゃるのかっていうのをお伺いしたいです。

 

丘山:ちょっと菱川さん、話しておいてください。僕、ちょっと整理するから。

 

司会:え、先生が挙げられたテーマですよね(笑)

 

丘山:いいから、いいから。だって社会に反して生きているでしょう?

 

菱川:そうですけれど(笑)ご質問の答えにはならないかもしれないけれど、私は社会に反しまくって生きています。自分にとっての社会っていうのは、この自然社会、自然による社会に添って生きているつもりでして。今の社会ってそれに反している社会な気がしていて。ですので、自分の気持ちに従って社会に反して生きている。

 

丘山:思い通りに生きると、全て社会に反しているって言う。みなさんもそうじゃないですか。自分なりの考えを持つと、どうしても社会の価値観とズレることが多くないでしょうか。でもまさにそういう生き方をしているのが菱川さんだと思う。あるいは私が考えているのは、築地の本願寺で同性愛の方の結婚式を行ったんです。それに関しては、この宗派の見解は宗報というものに出しているんです。

多数意見の人が少数意見の人を抑圧しているというのは色んな場面であることだと思うんです。差別っていうのは全てそういうものだと思うんです。多数派の人が少数派の人のことを認めない。

僕はそういうのはあまり豊かじゃない社会だなぁと思っていて。でも、そもそも、人間の心は常に、閉鎖的なんじゃないかって。人間ってどうも、自己中心っていうか僕は閉鎖的って言うイメージなんです。だから個人が閉鎖的。仲間で閉鎖的。多数派が閉鎖的。その外の他者に対して排他的になって、他者に対して開かれていない在り方っていうのがあると思うんです。

それは仏教がいう、「無我」ということは本当は、開かれていく自己という意味で「無我」といったと思うんです。で、僕らが日常的にある在り方が閉じられているっていうのが「自我」。アインシュタインが、人間は、自然の一部でしかないのに、自分意識とかいうのがあって、それが自分を閉じ込める牢獄になっていると。お釈迦様と同じことをいっているなぁと思うんです。

そういった意味ですごく排他的になる、だから、セクシャリティ、性的少数者の人に対する抑圧とか、もう全てこの世の中は差別だらけ。一番大事なのは、ぼくら自身のそういう全ての差別意識を変えていかなければいけない、と思っているんです。だから僕はセクシャリティの問題をすごく大事だと思っています。でもよくよく考えると、それって本当に人間の根っこの問題が隠れているんじゃないかと思うんです。差別って言うのは排他だね、さっき自他共にという言葉があったのは、そういう差別、自と他を乗り越えて、お互いに認めあうということ。だけど、残念なことに、人間ってそういうところってすごく根深いと思うんです。人間は基本的に閉鎖的な在り方だから、基本的にずっと新しい差別っていうのは起こり続けるのかもしれない。けれど、自分自身としては、そういう在り方を乗り越えたい、乗り越えていってほしいなぁと思っています。 そしてこの社会に反してっていうのは、僕らは「非僧非俗」っていって親鸞様が、僧であらず、俗であらず、っていう風に、在る時点からおっしゃっていて、僧にあらずっていうのは、出家主義じゃない、人々と共にということです。非俗っていうのは、社会と違う尺度を、この社会に生きながらも、時にはおかしいこの世の価値観じゃない生き方をする。

 

次回のテーマは「敵と味方その1」(5/10更新予定)です。どうぞお楽しみに。

2017.5/8更新