四方八方、十方丸くー遠い国の人々を支援するということ No.3ー

 
四方八方、十方丸くー遠い国の人々を支援するということNo.3ー
チボリ国際里親の会 元会長 南昌宏さん
 
【第3回】
NPO 法人 JIPPOと関わりあいの深い、チボリ国際里親の会の元会長である、南さんに活動のきっかけや思い、概要などを「遠い国の人々を支援するということ」をテーマにお話をお伺いします。フィリピンのチボリ族に対する具体的な活動を通じ、国際理解、教育を今度、どのように考えていくかについて話していただきました。
 
小学校の授業の様子小学校の授業の様子
 
 
「支援のあり方」
 
南さん(以下「南」):ある時、チボリ族の暮らしを体験している自分の姿を写真に収めたいと思って、女の子に、「僕が芋を食べているところを写真に撮って」と頼んだんですよ。でも、現地の人はカメラなんて知らないので使い方を教え、私を撮ってもらった。綺麗に撮れてました。そのときに、ちょっとお礼にと、日本から持ってきていたアメ玉をひとつあげたんですよ。そしたらね、女の子、どうしたと思います?
 
インタビュアー(以下「イ」):宝箱に入れた。
 
南:残念、違います。(笑)お母さんに持って行って、もらったことを伝えたみたいでした。言葉は分からないけど、そんな感じでしたね。そして、お母さんがどうしたかというと、「兄妹3人で分け合いなさい」と、そう言ったようです。女の子はアメ玉を石で叩き割りました。もちろん、粉々になってしまいました。それを上手いこと、3人で分けて、そのうちの一つを自分で食べたんです。心を打つ場面でした。
 
イ:何とも美しい話です。
 
南:道徳教育をしていたわけではないだろうし、そういう教えの宗教を学んだわけではないでしょう。だから、自分の手柄であったはずなのに、自分の手柄にしないで、それをお互いに分けあう。こういう姿をね、誰に教えられたわけでもないのに、彼女にちゃんと備わっている。そういう心が、私にはないなというショックでした。
 
イ:人ごとではないです。
 
南:私は少なくとも指導者であるはずなのに、そんな心もない指導者だったのか。そういう衝撃がありました。あの女の子は、自分がやっていることは、決して素晴らしいことだと思ってやっているわけではない。日常の暮らし方がそうなんですから。そのギャップに、私はすごく衝撃を受けました。文明社会を生きていて、高等教育を受けて勉強してはずの自分が、愚かな姿をしていることを見せつけられました。
 
イ:教育のあり方が問われているような気がします。
 
南:進歩とか高度な社会を生きる人間になっていることを鼻にかけているけれど、まったくそれは勘違いだった。とても傲慢な考え方だった。知らずしらずのうちに、傲慢な種を育てていたんですね。それはチボリ族のような物のない生活、謙虚な生き方に学ぼうとせず、科学や経済発展が進んでいるアメリカやヨーロッパだけに目を向けていることへの反省と警鐘となりました。
 
イ:物質的に豊かになることによって、大切な何かを失っているんでしょう。
 
南:そうですね。ショックなことに、その傲慢な思いが育っていくというのは、チボリ族も例外じゃありませんでした。はじめはこんなに支援してもらってと受け止められていましたが、支援が長年続くと、実はもっと欲しいものがあるんです、もっとこうしたいんです。それについてもっとお金がいるんで、もっと頑張ってもらえないだろうかとエスカレートしてきたんです。
 
イ:早い話、まだ足りないっていうわけですか?
 
南:そうです。だからその訴えを里親たちが聞くと、そうかもっとしてあげないと、それはかわいそうに、という気持ちになってしまいます。支援を受ける方も支援をする方も、関係を長く続けていくと困った問題を両方が抱えてしまうんです。
 
イ:イタチごっこのようです。
 
南:じゃ、「もう充分だから止めてもらって大丈夫です」という時期が、いつ訪れるのかについては、誰も予想がつかなくなっちゃうんです。学校に図書館がいるぞ、もっと勉強しないといけないから本もいるよ、と言われると、よし、よし、わかった、頑張ろうと送ってあげたお金が、図書館になり、本になった。そうしているうちに、本もどんどん古くなり、教科書も新しくしないといけないってなったときは、それも買い換えないといけない。
 
ある頃には、電気が通るようになってきた。そうなると、電話がいるよ、コンピュータもあったらいいねぇ、テレビもいるよ。里親さんお願いしますって。学校の教育レベルを高めていくことが、卒業後の就職先に大きくプラスしていくから、もっとこういうものが欲しい、こんな実験道具もいるよとなってきます。こうして、際限なく30年が過ぎてしまいました。
 
イ:30年、長いですね。確かに、どこで支援を止めるかっていうのは、とても難しい課題です。
 
南:それほどに年月が経つと、支援をしてもらうのが当たり前になってくる。支援をする方も、仕方ないと言いながら今更、手を引けない。お金を止めてしまえば、学校を閉鎖するしかない、と言ってくる。せっかくここまで来て、必死に作り上げた学校を閉鎖されるのは、くやしいですからね。
 
イ:今まで何をしてきたんだっていう思いになります。
 
南:そのようなことが、 30年目にして、だんだんと見えてきたんですよ。 3年間かけて、どうにかして着地点を見つけようとした。しかし里親の思いとしては、向こうはまだまだ大変なのになんで今止めるんだ、もっと送ってあげなきゃ。また、最近里親になった人にしてみれば、もう止めるのかと不満が出ます。 そういう、国内の事情で悪循環に陥ることもあるんです。
 
イ:団体としては止めたいけど、止めづらい状況だったんですね。
 
南:向こうも、そろそろうちは止めるよというと、せっかくここまで発展してきたのに続けてもらわないと困る、と反発が出てくる。その両方のジレンマをつくってしまうわけです。そこで私は、向こうの責任者を日本に呼んで事情を伝えた。いま日本は不景気なんだ、と。里親も老化していて、年金生活の人が増えている。だから、その人たちがいつまでもお金を送り続ける事は難しくなってくると。
 
イ:日本の状況を説明して、支援を止めていくように説得したわけですね。納得してくれましたか?
 
南:それと同時に、あなた方も、自分たちにできることは必ずある。それを見つけることで、社会的な信頼や誇りを培ってほしい。山口の高校では、生徒会が里親になってお金を送っています。現地の高校生と日本の高校生が、インターネットなどを駆使して、交流をしていってほしい。支援をする側される側ではなくて、相互理解ができるような仕組みを整えてほしいという思いも伝えました。
 
農場試験場 年中収穫するために農場試験場 年中収穫するために
 
 
イ:新たに学校教育での異文化交流の方向へと転換していこうとされたわけですね。
 
南:その後、送金額を段階的に減らしていきました。さすがに、いっぺんに切ることができない。減らしたら減らされただけ向こうも対策を考えて、金銭的な負担を補おうとする。例えば、授業料を親に負担させる。そのためには、授業料を払えるよう親たちに何か生産できるものを教えないといけない。野菜や果物を作るという新しい流れになってきたわけです。
 
イ:危機的な状態に身を置かないと、自分たちで何かしようと考えられないんですね。
 
南:3年間かけて送る金額を減らしながら、支援を終わらせることに慣らしていきました。そのような順序をたどって、 3年目で打ち切りました。打ち切ったけれども、里親としては、まだ支援が足りていないではないか、という声がある。そこにはまだ学校もないし、学校に行けてない子どももいる。そういう事を分かっていながら、私たちは支援を終えることはできない。やっぱり現地の子供たちの何か力になりたいという思いがあるので、他の団体に移行してもらうようにしました。
 
イ:支援したい思いを別の団体で果たしてもらうことにしたわけですね。
 
南:そういうことで、どうにか会員さんに納得しもらうことができました。支援をするからには、こちらの満足で終わらせることはできない。向こうの人たちの弊害を生みつつ、こちらの満足で済ませるようなことがあっちゃいけない。向こうに弊害を起こさないための、何か方策を持って支援を始めないといけないことをつくづく思いました。
 
イ:長期的な支援をされてきたからこそ、見える視点のように感じます。
 
南:新たに何かをしようとすると、その勢いでものごとを進めてしまう。けれども、やがては、どこかで終わっていかなければならないはず。そうすると、どう終わらせなければならないか。そのことを視野に入れて、物事を始めないといけない。支援による人の心の中に生まれる弊害を残さないために。
 
イ:思いと結果が隔たってしまう支援も多いんですね。そうならないためには何が大切になるのでしょうか?
 
南:相手が自分で立ち上がれない状況にあっては、お金や物を中心として援助が必要でしょう。そして、お金や物をどう活用したら最も良いかをよく理解している現地の支援団体と連携し、共働する体制をつくることが大切です。そして援助段階を抜け出したら、現地の団体と目的や理念を共有し、課題解決の方法、期限、規模(お金)を明らかにして、支援計画を立て合います。また、双方の役割や責任、行動目標を明確にしておきます。
 
さらに、現地の支援団体が、現地の人々の誇りと自立を促す啓発教育も含めた支援行動が同時に必要です。現地の人々が求めるままに対応してしまうと、依存心を生んでしまい、支援者の自己満足と、引くに引けない感情を高めてしまいます。
そして支援の心として忘れてならないことは、相手の人格を損ねないようにし、たとえばチボリ族のものを分け合う姿に学ぶ姿勢を持つことです。
 
支援が縁となって、双方が人間的育ちになるよろこびを味わえるといいですね。
 
次回の最終回は(2015.8/21更新予定)は「遠い国の人々を支援する理由」についてお伺いします。
 
2015.8/17更新
   

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掲載日: 2015.08.17

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