垣根を越えて、光につつまれて生きる道を|ヘンリー・アダムスさんインタビュー<前編>

インド留学をきっかけに仏教に興味を持ち、現在アメリカで僧侶として活躍するアダムスさん。修行の限界を感じた末に気づいたこととは?
 

 
ーーアダムスさんの生い立ちについて聞かせてください。
 
私はアメリカのミネソタ州で生まれ育ちました。高校生のとき一年間留学する機会があって、インドに行きました。比較的平等なアメリカとは異なって、貧富の差のあるインド社会を見て衝撃を受けました。当時、インドで仏教が誕生したことは知っていましたし、また仏教に興味もありました。インド留学によって、仏教が掲げる「苦しみ」というテーマについて考えるようになり、仏教の教えに少しずつ触れていくようになりました。
 
ーーアメリカに戻られて、どうされましたか?
 
自分としては、苦しみを解決するための納得できる理由がほしかったわけです。そこでまず、実践(修行)することを求めました。ミネソタ州にある禅道場に通い、修行を積みました。
 
ーー修行生活はいかがでしたか?
 
自分なりにいろいろと発見がありました。ただ、「私」という存在から離れて、悟りの境地である「無我」に至ることが極めて困難なことにも直面しました。
 
ーーその後は?
 
大学院生の時に、「全世界の仏教」という学部生対象の講義をサポートしました。そこで『歎異抄』※という書物に触れました。念仏は、苦行でも修行でもないことを知って驚きました。それまでの仏教理解とは違った教えでした。ただ、「阿弥陀仏」や「浄土」が、「創造神」や「天国」に思えたところもありました。でもとにかく、親鸞という人の精神的プロセスに興味が涌きました。
 
※親鸞聖人の門弟唯円の著といわれる。多くの思想家・文化人に愛される宗教書。
 
ーーそこから親鸞聖人の教えを学ぼうと日本に?
 
仏教学者になる道も視野にありましたが、その道は諦めて日本に行こうと思うようになりました。JETプログラムという海外で働くことのできるプログラムに登録をして、宮崎県に行きました。このプログラムは「語学指導等を行う外国青年招致事業」で、日本の学校で語学を教えるプログラムです。
 
ーー仏教を学ぶ目的で日本に来たのではないんですね?
 
ええ、そうです。今日は仏教のお話ばかりしていますが、他のことにも興味がありました。もともと自転車やハイキング、水泳が趣味ですし、人と接するのが好きです。
 
日本に来てからは、子供たちと触れあう日々を送りました。楽しい時間を過ごしました。ところがある日、宮崎市のあるお寺で彼岸法要の案内板がかかっているのを見て、お寺に入りました。ご住職にもよくしていただき、以後お寺に足を運び、仏教のお話を聞くようになりました。
 

 
ーー浄土真宗のお話を聞こうと思ったのはなぜですか?
 
先ほども申しましたが、「私」をなくして「無私」の境地に至るのは容易ではありません。ところが、阿弥陀如来に我が身をおまかせするということは、「私」という器をそのまま如来の側にお渡しするわけですから、そこでは、自己中心的な「私」が入らない状態ができあがります。修行とは別の方法で「私」を「無私」へと運ぶはたらきがあることに納得いきました。またこの考え方は、生き方としても実践的としても納得のいくものでした。
 
ーー浄土真宗の生き方が実践的に納得できるとは?
 
たとえば、わたしたちには家族がいたり、周りに人々がいて、助け合いながら生活しています。「無我」や「無私」を自ら目指す実践道は、山に入ったり、道場に入ったりすればそれなりの成果はあるかもしれませんが、それでは家族を持ちながらの実践、コミュニティの中での実践は極めて困難です。ですが親鸞聖人の教えは、「そうした垣根を越えて光につつまれて生きる」ということを説いています。これは実践的にも非常に理にかなったことだと思います。
 

僧職図鑑10ーヘンリー・アダムスー《後編》

   

Author

 

他力本願ネット

人生100年時代の仏教ウェブメディア

「他力本願ネット」は浄土真宗本願寺派(西本願寺)が運営するウェブメティアです。 私たちの生活の悩みや関心と仏教の知恵の接点となり、豊かな生き方のヒントが見つかる場所を目指しています。

≫もっと詳しく

≫トップページへ

≫公式Facebook

掲載日: 2013.12.19

アーカイブ