お寺はもっと開いていくべき?多くの人に山門をくぐってもらうためにできるコト│百濟高昌さんインタビュー<後編>
楽しくなければお寺じゃない
――「地域に開かれたお寺にする」ために具体的にどういったことをされているのでしょうか?
百濟:お寺は、仏教の伝道と同時に文化芸術の発信地でありたいと考えています。さまざまなコンサートに、落語会、いろんな講演会の会場としても。東日本大震災を経験されたカメラマンの写真の展示会・講演会を開催もしましたし、近くでカフェがオープンする際のプレイベントをしたこともあります。
定期開催しているのは……
・毎月第2土曜朝6時から「おはよう会」
・毎月第3土曜日午後7時半から「蓮花(れんげ)の会」
それぞれ朝夜の会をしています。
両会とも、おつとめをして、少し法話があって、その後みんなで朝はおかゆを食べ、夜は茶話会をしています。
「蓮花の会」では、僧侶講師だけでなく「ゲストハウスのオーナー」「放射線学の先生」「元生物学の教授で今は過疎地域の振興を考えておられる方」など、さまざまな講師陣に登壇していただいています。いずれも年齢性別問わず無料で、誰でも参加できるように門戸をひらいています。
サマーコンサートin善照寺の様子(写真提供:百濟さん)
毎月第2土曜・おはよう会の様子(写真提供:百濟さん)
百濟:今の責任役員の門徒総代がどこかの法座で聞いた言葉だそうなんですが「楽しいだけがお寺じゃない、楽しくなければお寺じゃない」、僕もそう思っています。
善照寺がある下関市豊北町は過疎が進む地域ですが、とても美しい自然に囲まれています。周囲に住んでいる人や、お参りに来てくれる人を心豊かに笑顔にできるお寺でありたいのです。
ご法座やイベントも漫然と実行するのではなく、より多くの方に来てもらえるようなものにしたい、少しでも仏教に触れる機会と思えば、先代や母が行ってきたことの踏襲ですが、今のようなかたちになっていきましたね。
観光地も近く、国道沿いでもあるので、サイクリングに来た方が「雨に降られたから軒下一晩泊めてほしい」と訪ねてこられたら、遠慮なくお堂にあがってもらい、一緒に食事をしてお酒を酌み交わします。ウォークラリーの宿泊地として、今のような状況になる前は100名ほどの団体が本堂に泊まられたこともありました。
ご門徒さん以外からも「こういうイベントをしたい」と相談されたりするようになりました。そういった、駆け込み寺ならぬ、「駆け込める寺」、開かれたお寺であるために、イベントなどを行っています。
――今後お寺で実施してみたいことはありますか?
百濟:今後は福祉や防災、教育に力を入れていきたいですね。福祉の面では母が通所型サービスの施設を開設していますので、それを拡充していきたいです。
あとは教育ですね。僕も父親なので、子どもの可能性を増やすためにもプログラミング教室をしてみたいと考えています。「塾がないなら作っちゃえ!」と。こうした試みは既に武田正文さんが実施されているみたいで、僕もやってみたいなと思っています。
またそれを田舎のお寺ですることで、どこかで仏教的素養を身に着けてもらう機会になればと考えています。
ただ、僕がこうした試みにチャレンジできるのは、母や法務員さんや門徒総代さん、お参りくださるご門徒さんなど、このお寺を支えてくださる人生の先輩がたくさんいるおかげです。
60代後半のご門徒さんたちから「昔は善照寺が遊び場で学び場だった」というようなお話を伺うと、じゃあ今一度、このお寺を遊び場や学び場にするにはどうしたらいいかを考えるようになりました。そのためにもお寺でのイベントや交流を意識的に増やしていかなければ、という危機意識に近い感覚もあるのかもしれません。
百濟さんと責任役員・門徒総代の亀﨑さん(写真提供:百濟さん)
――イベントの提案、実施、利用のサイクルがとてもスムーズで、地域の生活の中にお寺や僧侶が根付いている印象を受けました。それは、大阪でのご経験(詳しくは前編参照)が大きく関係しているのでしょうか。
百濟:そんな大げさなものじゃないですよ(笑)。僕が地元に帰って来たのが2013年なんですが、数年前まで大阪での仕事のことや音楽活動について、ほぼ家族以外には黙っていたんです。お参りくださるご門徒さんにも「サラリーマンをしていた」、としか言ってこなかったんですよ。ですが、最近ようやく自分がやってきた音楽活動に少し自信が持ててきました。大阪で培った技術は今もイベントの際に活かしていますが、そうした音楽活動についても、いつか僕から語れるように胸を張っていきたいですね。
――お寺でイベントなどをされる際、百濟さんが気をつけられていることはありますか?
百濟:イベントはあくまで入り口で、どれだけ多くの人に山門をくぐってもらえるかが大切だと思っています。あとは、どんなイベントをするときも最初に、挨拶を兼ね内容と紐づけした5分間法話をするようにしていますね。
挨拶のときに言う、「ご法座もこのくらい来てもらえたら嬉しいですね」という言葉通りになるよう、今後も工夫を重ねたいと思っています。