「同じ立場だからこそ寄り添える」正信偈に救われた僧侶のうた│やなせななさんインタビュー<後編>
「どうして病気に」 苦悩から救ってくれたのは正信偈
――やなせさんのベースにあった浄土真宗が曲作りにも影響したということでしょうか。
その後、シンガーソングライターとしてデビューされたんですよね。
やなせなな:はい。ですが、東京の事務所に所属して頑張っていたとき、もう一歩のところでその事務所が倒産してしまったんです。
さらに29歳のとき、子宮がんという病気を患いました。治療中は、自分はいつ死ぬかわからない恐怖と隣合わせでしたね。「死ぬのが嫌だ」「怖い」「どうして病気になんてなるんやろう」「どうして人は老いていくんやろう」とそんなことを考える日々でした。
――事務所の閉鎖に子宮がん発症という大変なご経験をされてきたんですね。
やなせなな:がんになった当初は、いざというとき頼りにならない仏さまなんて、と怒りすら湧いてきました。同時に、初めてお寺を嫌だなとも思いましたね。何のためにお寺を護っていかないといけないのか、と。
でも、そんな私を救ってくれたのが『正信偈』でした。
病気が治って退院した後も仏教に対する否定的な気持ちは抜けず、それでも跡継ぎとして僧侶にならせていただいた手前、仕方なく法要に出て、仕方なくおつとめしていました。そんなあるとき、不思議な体験をしたんです。これまで呪文みたいに思えていたものが、私に語りかけてくるように、私のために呼びかけてくれているように感じたんですよ。自然に「ありがたい」と思いました。
――正信偈のどの部分で「ありがたい」と思われたのでしょうか?
やなせなな:「極重悪人唯称仏(ごくじゅうあくにん ゆいしょうぶつ)」極重悪人は唯(ただ)、仏の名を称(とな)えるべし、という節がとても私の中に響いてきました。続く「我亦在彼摂取中(がやくざいひ せっしゅちゅう)」、「煩悩障眼雖不見(ぼんのうしょうげん すいふけん)」、「大悲無倦常照我(だいひむけん じょうしょうが)」。特にこの四句がぐっと来たんです。
がんになってから、周りで支えてくれているお医者さんや看護師さんたち、そして神や仏に対してでさえも、「私の気持ちなんかわかるわけないやろ」という思いしか湧かなくて、私を一生懸命支えてくれている人たちや私自身をも傷つけていたんです。
私は、それまで「極重悪人」という言葉は他人のことを指しているイメージを持っていたんですが、この言葉は他でもなく自分自身のためにあったんだなと思いました。
――他人や自分自身を傷つけて苦悩し続けてしまう人間だからこそ仏さまは見捨てない、という仏さまのあたたかさが、そのときのやなせさんの心を解いていったのですね。
(写真提供:やなせななさん)