「カリー寺」「よいかなよいかな」「教育に関わる雑談する会」……多くの催しを行ってきた西正寺 中平住職が考える、お寺のあり方とは
繰り返される日々にこそ気付きがある
2019年に行われた「よいかなよいかな」の様子
中平:一方で、語られない、認められにくいものの中にあるものこそ大事にすべきものがあるんじゃないかとも思っています。
井上靖の小説『敦煌(とんこう)』や『天平の甍(てんぴょうのいらか)』はご存知でしょうか。詳細は割愛しますが、どちらの小説にも、ひたすら写経を続ける僧侶が出てきます。
物語的にも「脇役中の脇役」ですし、歴史的・社会的にも知られる存在でもない。でも、誰にも知られず毎日の営みとして「写経し続けること」「読経し続けること」って、すごく宗教的に豊かな営みなんじゃないだろうかって考えています。
私が若いころにご指導をくださった先生も、お寺の住職の一番の仕事は阿弥陀さまのお給仕をすることである、とおっしゃっていました。やっぱり、朝晩のおつとめは大事なんです。大事なことは必ずしも知られること、社会的に評価されることだけではなく、そういう誰に知られなくても「当たり前」に積み上げられてきたものの中にあるのではないか、そういう尊さが、私たちの身近にはあるのではないか、そんなことを考えています。
例えば、新型コロナウイルス感染症が拡大してから、朝におつとめの様子をSNSで配信しています。ただおつとめの様子を配信しているだけなのですが、それに関心を持ってくださる人は確かにいらっしゃいます。
――つい新しいことを意識してしまいがちですが、日々のお勤めがあってのお寺ですよね。
中平:人の関心を集める取り組みも大事なことだと思いますが、「当たり前」の日常の中には、気付かれにくい、しかしとても大事なことが含まれているのだと思います。繰り返される日常の中にこそ、ずっと大事にされてきたものや、本当の意味での「信仰生活」と呼べるようなものがあるのではないか、そんなことを考えています。
――確かに、毎日同じことを続けるのは大変ですよね。現代において、毎日続けられるというのは一つの価値ではないかと思います。また、繰り返せば繰り返すほど本当の自分が見えてくるのではないでしょうか。同じことをやるからこそ、その時の自分の気持ちの揺れを捉えられると言いますか……。
中平:その感覚は大事ですよね。やってみて、「いかに続けられないか」、「いかに続けることが難しいか」を知ることありますね。「続けられなさ」、「続けることの難しさ」は僕自身、実際に何度も経験して、味わってきました(笑)。