エネルギーと幸せの問題を考えてみる|地球環境戦略研究機関インタビュー③<後編>

IGES外観(写真提供:IGES)

 

■エネルギーと私たちの幸せを考える

 
――私たち日本人はエネルギーを使いすぎだといわれることもありますが、そもそも私たちは一人あたりどれくらいのエネルギーを使って良いものなのでしょうか?
 
田中勇伍さん(以下:田中):この質問は複数の視点から考えてみる必要があるように思います。
 
まず、「資源埋蔵量や気候変動の制約」という視点からの議論です。化石燃料の埋蔵量や気候変動の許容量を基準にして、あとどれくらい採れるのか、どのぐらい二酸化炭素を出して良いかを考えるなら、明らかに使いすぎでしょう。
 
一方、太陽光や風力、地熱などの自然エネルギーが無限に使えるなら、話は違ってきます。仮に太陽光を100%エネルギーとして使えるならば、世界の年間消費エネルギーを1時間程度でまかなえるほどのエネルギーが降り注いでいる、との話もあります。そうなると、技術さえ発達すればエネルギーはまだまだ使って良いということになります。
 
――あとは技術の発展とエネルギー消費量の競争になるわけですね。
ですが、そうではない、と?

 
田中:もうひとつ、「エネルギーを使う目的」という視点からも考えてみましょう。
私たちがエネルギーを使うのはやはり「幸せ」という目的のため、何かを得るためでしょう。幸せ、つまり何らかの充足感を得るために、私たちは何らかの行動をとるのであって、エネルギーを使うこと自体が目的の人はいないはずです。そうなると今度は幸せになるために、幸せと感じられる暮らしを送るために、どれだけのエネルギーを使うか、という議論になってきます。これは人それぞれの部分もあるでしょう。
 
現在の大量生産大量消費の文明は、産業革命以降、大量の化石燃料を消費することによって成り立っています。ただし、それで私たちが幸せになったのかというと、必ずしもそうではありません。化石燃料文明以前の江戸時代などの暮らしも、もちろん不便などもあったと思いますが、少ないエネルギーでそれなりに楽しく生活していたのだろうなと、落語などから垣間見ることができます。
 
そうすると、エネルギー消費と人の幸せにはそこまで強い相関関係はなく、エネルギーを使えば使うほど幸せになるわけではないのでは、との考えに行き着きます。私たちは幸せになるために必要なエネルギーはもう十分得ていて、あとは無駄に使っているだけかもしれないという気もしますね。
 
――なるほど。「なにをもって幸せとするか」という議論はあるにせよ、消費するエネルギーに見合うほどに、個々人がそれぞれに幸せになっているかというと、確かに疑問があるかもしれませんね。
 

自分の充足と、次の誰かを考える

   

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掲載日: 2021.11.07

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