老舗サイトと振り返る仏教ウェブメディア20年史|「彼岸寺」代表 日下賢裕さんインタビュー<前編>

 

急速なネットの普及とともに建立された「お寺」。

 
――ご活動の変遷を教えて下さい。
 
日下:彼岸寺は2003年に松本が立ち上げ、今年で丸20年を迎えます。もともと、松本が「彼岸通信」というブログをやっていたんですよね。その個人ブログを他のお坊さんと共同運営することになり「彼岸寺」という名称になったんです。
 
――2003年というと、当時はバブル崩壊や就職氷河期と、経済的には暗い時代だったと思います。そうした社会的背景から仏教を発信しようと思われたのでしょうか?
 
日下:確かに当時は就職氷河期の真っ只中でしたが、そうした時代背景よりも、インターネットへの興味や期待の方が強かったと思います。彼岸寺を立ち上げた頃は、今ほどインターネットが発達していませんでした。ハード面でも通信速度は今の5Gや光回線には遠く及びませんでしたし、ソフト面でも今でこそ当たり前の存在となったSNSはほとんどありませんでした。
 
一方、インターネットのあり方が変わる過渡期でもありました。2004年に「ミクシィ」がサービスを開始し、ブログというメディアもその頃に普及し始め、インターネットが一方的に情報を流すためのツールから、コミュニケーションツールへ変わろうとしていたのです。
 
――どういったところに希望や期待を抱かれたのでしょうか?
 
日下:お坊さんとして幅広い活動をできるところに希望を感じたのを覚えています。当時、私は伝道院でみ教えの学びを深めていましたが、当時はお寺を中心に、月忌参りや法事を勤めたり、布教使としていろんなお寺さんで布教したりするイメージしか描いていませんでした。ところが、インターネットが日進月歩で発達していく様子を目の当たりにして、今後は日頃からお寺とご縁のある人だけでなく、もっと多くの人に仏教を知ってもらえるのではないかと思ったんです。
 
――今から思い返すと、どういう人やキャラクターが集まったという印象をお持ちでしょうか?
 
日下:いわゆる、サブカルチャーに造詣の深い人が中心でしたね。音楽や漫画、映画といったものに興味がある方がインターネットにも興味を持ち、意気投合して一緒にイベントを実施した、という流れがありました。
 
また、時代としてもサブカルがより脚光を浴びた頃ではなかったかと思います。1998年にフジロック・フェスティバルが初開催されて以降、そうしたフェス文化に代表されるサブカルの人気が出てきたと言いますか。
 
今でこそ各地でさまざまなフェスなどのイベントがありますし、お寺を舞台にしたイベントも増えてきました。しかし当時はまだお寺でイベントが行われるということは珍しく、そうした流れも影響していたと思います。
 
2000年代前半は、そうしたフェス文化がインターネットを通じて一気に広まっていった時期で、お寺でのイベントもこの頃から花咲き始め、彼岸寺もその流れと共に注目されるようになったんだと思います。
 
――サイトを立ち上げられて、最初はどんなことをされていましたか?
 
日下:基本的にはメンバーそれぞれが実践していることを発信していました。その中で、私はコラムを通して、当時感じていたことや学んだことを文章化していました。料理ができる人は精進料理の記事を執筆していましたし、本当にそれぞれが個性を発揮していた頃だったと思います。
 
ターゲットはとくに意識していませんでしたが、当時は我々も20代だったので、20代から40代ぐらいの読者を想定していました。
 

注目の的はお寺のイベントから、お坊さんの人物像へ

   

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掲載日: 2023.03.30

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