あえて他人と「死」について語り合うワケ│「デスカフェ~死をめぐる対話~」インタビュー

 
ーー「気づき」がなぜ重要なのでしょうか?
 
田中:課題や行き詰まりを感じている方が、いろいろな方の意見を聞くことによって解決に向かうことがあります。空からチャリン(キラリ)と降ってくる何かに出会う、突然沸き起こる閃きなど、凝り固まった考えが解放される、袋小路が打破されるイメージです。たとえば死別の悲しみから離れられない方がいたとします。その方がデスカフェを通して多様な意見に触れ、「悲しみを無理に今すぐ捨てる必要はないな。いったん置いてみて後から拾い直すこともできるんだ」と気づいたとき、苦しみを一旦取り外して眺めることができたりするのです。
デスカフェはこうした気づきのレッスンの場でもあるのです。
 
ーー「DeathCafeWeek」において「オンライン」という形態で行われた感想を教えてください。
 
田中:リアルで対面すると相手の息遣いがわかるのですが、オンラインでは話している方の仕草や表情が読み取れないので苦労しました。やはり五感に頼る部分がありますし、言葉と体は切り分けることができないので、もどかしさは残ります。
SNSなど、ネット上で死を語りたがる人は多いように感じます。ただし一方向的な意見で、対話的態度の方は少ないようにも感じていて、そこに一石を投じたいですね。あらゆる社会課題の根本は寛容性のなさが原因だと思うので、多様性を知る大切さを伝えたいです。
 
ーー田中さんご自身の死生観を教えてください。
 
田中:私の中では、死んだら何もなくなり、経験・感知できない世界に放り込まれるというイメージですね。いずれにせよ死はどうにもならないことです。人は生まれた瞬間から死へ歩いていく。本来いつ死んでもおかしくはないのですが、その実感がありません。死について語ることによって、いま生きているということに立ち戻ることができます。デスカフェは死について語る場であり、いろんな問題を抱えながらも生を精一杯生きなければいけないということ、自分が生きていることを確認していまできることを考える場だと位置づけています。
いまここに生きている、「now&here」に戻すためにデスカフェがあるのです。長生きすることがいいこととは限らないでしょう?いま生きているこの瞬間を大事にするという、生き方のパラダイムシフトを起こしたいのです。
 

<編集後記>

 
いつ死が訪れても不思議ではないからこそ「いまここ」を精一杯生きることが大切。仏教にも通ずるものがあります。ついつい、そのことを忘れて生きてしまう私たちに、田中さんの言葉がやさしく響いてきます。自分とは異なる考えを持った他者との対話を大切にする「デスカフェ~死をめぐる対話~」。終始物腰の柔らかい田中さんが醸し出す雰囲気に、カフェの開放感を垣間見た気がしました。

   

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掲載日: 2020.12.25

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