四方八方、十方丸く ー遠い国の人々を支援するということNo.2ー

 
四方八方、十方丸くー遠い国の人々を支援するということNo.2ー
 
チボリ国際里親の会 元会長 南昌宏氏
 
「活動の概要と理念」
 
【第2回】
今回は前回に引き続き、NPO 法人 JIPPOと関わりあいの深い、チボリ国際里親の会の元会長である、南氏にフィリピンの先住民チボリ族を支援の活動のきっかけや思い、概要などについてお話をお伺いします。
 
 
 
「ミンダナオ島、教育支援を受けている里子の親を訪ねて(右から1人目南氏)」 「ミンダナオ島、教育支援を受けている里子の親を訪ねて(右から1人目南氏)」
 
 
インタビュアー(以下「イ」):里親制度について、詳しくお教えください。
 
南氏(下記「南」):月々一口 2000 円の会費につき1人の里子を持つ制度です。その月々の会費で、学校を建てたり、先生を雇ったり、給食費用にすることで、子どもが就学できる仕組みです。しかし、日本で会費を集めて、現地で学校建設、子どもたちのコーディネートなど、全てこちらでまかなうのはとても難しい。そこで、現地の同じ理念を持って活動しているボランティア団体と共働することにしました。その団体にお金を送ることで、現地の人たちの思いに沿うような支援の後押しになるよう、里親制度を整えました。
 
イ:素晴らしいアイディアですね。金銭的な支援が中心になるんですね。
 
南:いえ、金銭的な面が中心ではありません。大事にしたのは、精神という言葉のつく里親制度です。
 
イ:精神的な里親制度?
 
南:お金だけのかかわり合いではなくて、精神的なかかわり合いを大切にする支援を目指しました。つまり、お金を送る支援が主じゃないという意味です。
 
イ:すごく良い理念ですね。具体的にどういった形ですか?
 
南:それは、里親になるということが大きな意味をもちます。あなたの親となって、あなたの勉強を励ましていきます。そのために、あなたが通う学校を、あなたが使う教科書を、あなたを指導する先生を雇う授業料を、私が少し支援しますよ、という意味でのお金。だから、一人の何々ちゃんと、一人の何々さんが一対一で里親里子関係を結ぶということから始まります。
 
イ:顔が見える関係ということですね。とはいっても、顔が見えるだけでは、精神的な面まで支えることは難しいように感じます。
 
南:その通りです。そこで、手紙を取り入れました。支援を受ける子どもは、勉強してこんなことがあった、こんな勉強ができるようになった、先生に褒められたいということを里親に手紙を書くことが義務です。里親も、その子どもたちに「よかったね」と、またその子に励ましの言葉を贈るというのが里親の義務。その子どもが、 6年間なら6年間の勉強期間中、途中で挫折することがないように見守る。そういう里親制度を大事にしました。
 
イ:決してお金が主なのではなく、文通を通した心のつながりで学習を励ますのが主たる目的なんですね。
 
南:その通りです。お金は後付け。でも、現地のボランティア団体からすればお金があってのことなので、支援団体にとってはお金が主です。
 
イ:向こう側から来る手紙は、日本語で書いてくるんですか?
 
南:いいえ、英語です。事務局やボランティアが日本語訳をしています。
 
イ:傾向として、どのような方が里親になられるんですか?
 
南:自分の子育てが終わって、少し心に余裕ができている方々が、割と多いです。その余裕を、次はあの子どもたちのために使いたいと。自分もそこに存在する意味を、その子どもから気づかせてもらう。そういう意味の喜びも望まれているようです。
 
イ:目にみえる関係で、支援が実感できるからこそ、そのような喜びが起こるんでしょうね。
 
南:里子がハイスクールに進学したいという気持ちを持ち始めたら、「よっしゃ、がんばれよ」と、里親もその思いに金銭的に応えようと、また頑張れる。そのような循環があるような気がしますね。里子が成長していけることができるような後押しを自分がしてあげられるということが、自分の存在する意味を満たすことになる。欲を満たすというとネガティブな気がしますが、生きる喜びですね。
 
イ:高齢の男性や女性のお話を聞いていると「もう生きてる意味も特にないわ」とか「お迎えがくるのを待つだけや」とか、言われる方があります。子どもさんは自分の手を離れて、お孫さんも大きくなられて、なかなか会うこともなければ、特に連絡もない。自分が誰かを育ててるという感覚がなくなって、存在意義を見失ってしまう方もいるだろう、と。里親の制度っていうのは、それこそ自分が頑張ることによって、里子が学校に行くことができる。そのように存在意義が与えられるということがあるのかなと感じました。
 
南:さらにいえば、里子を卒業させるまでは私も元気でいないといけないという自己管理にもつながりますね。そういうことも、その人にとっては喜びとなるでしょうね。
 
 
 
イ:高齢の方はお孫さんがおられる方もいるでしょう。ご自身のお孫さんもいて、里子もいる。月に2,000円も払うんだったら、孫に何か買ってあげたいわ、という方もおられると思うんです。つまり、自分と血がつながっていない方に何か行為を働く、身内ではないことの意義って何かあるんですか?
 
南:自分が支援している姿を子どもとか孫に見せていきたい、という声があります。
 
イ:もう少し具体的に教えてください。
 
南:国際的な支援ができる自分であることを、子や孫に知っていて欲しい。それが自分にできる子や孫へ大事なものを伝えていく姿ですと。だから、自分の喜びだけに留まらないんですよ。その喜びを同じように、子どもや孫たちにも背負ってもらえると嬉しいなというような思いが後押ししているんでしょうね。
 
イ:なるほど、背中で語るんですね。
 
南:そう。それは、自分の子や孫に2,000円あげる喜びよりも、大きいと私は思います。だから、ある人は、「チボリ族の人に助けてもらっているのは、私だけじゃないよ。子や孫も育ててもらっちょる」と言ってました。これが2,000円でもらえるんなら、安いじゃないですか。そういうこともあるから、続けられるんでしょうね。
 
イ:確かに。
 
「小学校の野外給食 親が食料を持ち寄って世話」 「小学校の野外給食 親が食料を持ち寄って世話」
 
 
 
南:それに案の定、子や孫が、「ばあちゃんがいよいよのときには、私たちが代わって支援を続けるよ」という声も結構出てきました。それと、こんな話も聞きました。高齢の方に、ミンダナオ島って言ったら、何を連想されると思います?
 
イ:うーん、戦争ですか。
 
南:その通り。「わしはあそこで迷惑をかけた。太平洋戦争末期、戦場にしてしまい、あそこで、犠牲者を出してしまったかもしれん。」そういう負の経験をもってらっしゃる方が、その負を何とか、贖罪したいという、その気持ちが駆り立てて、現地の支援に回るという場合も多いです。良いことをしたいという満足感に留まらない、別の思いも当然あるわけです。
 
イ:なるほど、歴史的な背景も影響しているんですね。ところで30年も継続されていれば学校に入って、学校を卒業された方がたくさんいらっhさると思います。その方たちは今何をされてるんですか?
 
南:多くの方が町に出ています。教育支援を始めるにあたって、先ず小学校を作りました。小学校に入学して学んで卒業しても、そこで終わってしまっては何の役にも立たないわけですよね。だからハイスクールがいるということになりました。ハイスクールを2校作りました。
 
イ:ちなみに小学校は、何校作られたんですか?
 
南:21校です。
 
イ:すごい。
 
南:ハイクールを卒業した子が、ある程度農業とか林業とか、そういう専門を勉強して、仕事に携わることができたとしても、現地の土地の事情で、農業や林業を生業にするのは難しい。勉強したことが実際にお金を稼いで生活していく力にならない。もっと専門的に勉強する必要があるということで、カレッジを作らないといけない。そうなって、カレッジを作りました。
 
イ:カレッジ、すごい。
 
南:カレッジを出ても、チボリ族が暮らす村では仕事の種類も限られていて、そんな高度な知識を持ってする仕事は無い。だから、多くの学生が町に出ていく。町で得たことを、志のあるものは、チボリ族の地域に還元してくれるということが期待されます。
 
イ:長期的な視点に立ってるんですね。
 
南:もう一つの問題は、学校に必要な先生は、結局町で勉強した人に辺地に来てもらって、先生になってもらうしかなかった。それにはもちろんお金がいる。そのお金も、私たちが毎月送っているお金を先生たちの給料にしていくことで、先生を雇うことができた。先生も、だんだん時が過ぎると、町の学校にいればもっといい給料なのに、ここにいるばかりにこれだけしかもらえないと、そういう不満が出てくる。初めは、辺地の教育を頑張ると言ってくる先生も、やっぱり町の生活のことを思えば、この格差は嫌だなと、そりゃ人間誰でもそう思うでしょう。
 
イ:もっと給料上げろとか、ボーナスを多くしろと、そういう話になるわけですね。
 
南:そうすると、その要求に応じないと先生がいなくなってしまう。そこで、先生が逃げてしまうような問題を無くすために、カレッジに教職課程を作って、チボリ族の子どもが先生となって、地元の子供たちに還元していけるようにしたんです。
 
イ:すごい。
 
南:そういうように、チボリ族の中だけで教育を循環することができるところまではいきました。でもそれ以降、学校の数は限られているから教職課程を卒業したからといって、就職先が充分にある訳ではない。そうすると、卒業生たちはどうするか。よそに行くしかない。頭脳流出ですね。
 
イ:ここで勉強してここで就職しようとしても、働き口がないから、もう町に出るしかないということですね。
 
南:そういう頭脳流出が増えていきました。勉強したら町に行ける、町の生活ができるという憧れを手にすることができる。そして、英語力もあるのだから、この英語力を使って国外で働くケースもありました。
 
イ:教育によって自分たちで自分たちの民族を自立させてほしいという思いで始めたけれど、その思いとは裏腹な結果になってしまう傾向も出てくるんですね。
 
南:それは、現地の状況を思うと致し方のないことだと思います。回りまわれば、外で働くことができる力を持つ人は、外で得たことを現地に還元してくれるにちがいないと納得するしかない。そこまで支援するは側が、責任を持ち、コントロールすることは不可能な話ですしね。
 
次回第3回は(2015.8.17更新予定)は「支援の在り方」についてお伺いします。
 
2015.8/7更新
   

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掲載日: 2015.08.07

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