「みんなを困らせる人がいます」

≪本日の僧侶プロフィール≫

 

 

・サブカル僧侶

TV・マンガ・音楽などの現代のサブカルチャーに造形が深いが、僧侶として「温故知新」の精神も忘れることがない。

 

・うどん系僧侶

出身地の影響もあってか、うどん中心の食生活を長年過ごしつつ、仏教研究にいそしむ。幼少期より中国渡来のものに強い関心を示す。

 

・グローバル婚活僧侶

グローバルな視点から現代の諸問題に取り組むと共に、自身の婚活にも余念がない。

 

 

 

≪本日の人生僧談≫

 

「みんなを困らせる人がいます」

 

自分勝手なことばかり言って、みんなを困らせる人がいます。そんなことばかりやっているので、最近は友人たちの中から浮いた存在になってしまいました。しかし本人にはなぜ周りからなぜ疎まれるのか自覚がありません。どうやったら自覚させられるでしょうか。

 

 

 

う:不幸なのは誰も何も言わないということ。方法はいろいろあるだろうけど、やっぱり本人に伝えないと。

 

グ:よくある状況かも。周りは気付いてるけど、本人だけが分かっていないという。トラブルを避ける為に言わないべきか、それとも思い切って伝えるべきか、思案のしどころ。

 

サブ:でも組織の中で動いたり、仕事を進めていくにあたっては、自分本位の考え方だけでこられるのは困るよね。建設的な話し合いも出来ないし、雰囲気が悪くなるだけ。

 

グ:もしかしたら自分自身をアピールしたいという、その人なりの表現かもしれない。気付いて欲しい、見て欲しいという、ある種のシグナルみたいなもの。

 

う:確かにそういう人っているよね。何を言っても反対のことを言ったり、誰かにかまって欲しいから特異な行動をとったりする人って身近にもいる。

 

サブ:ただ、相手だけに問題の責任を押しつけて、一方的に押さえ込むという手法では解決にならない。それだけでは健全な関係性を保つことは難しいと思う。

 

う:お互いが「我れこそ正義」だと主張し合うところに、衝突があり、争いがおこる。こちらだけが正しくて相手は間違っているという、問いの立て方を離れて対話していくのが仏教的な考え方。

 

グ:自分だって知らず知らずの間に周りに迷惑をかけたり、困らせて生きている存在。たとえ周りに迷惑をかけている人に、そのことを指摘することがあっても、抑圧的な言い方になっていないか、一方的な言い方になっていないか、ということを自分自身が常にチェックすることは大切なことだよね。

 

サブ:もしかすると相談者本人が変わっていく必要があるかもしれない。「相手を変えよう」という姿勢では相手を変えることはきっと出来ない。こちらから相手に歩み寄ったり、近づいていったりする姿勢の中で、互いの関係性は構築されていくんだから。相手を排除する姿勢から、良い関係性は生まれてこない。

 

う:誰かに何かを自覚させるっていうのはすごく難しいこと。自分の価値観を押しつけるのではなくて、むしろこちらの価値観を分かってもらえるように努力したり、対話することのほうが重要。

 

グ:そういう意味で、周りを困らせているのは、「実は私であるかもしれない」という意識は大きな意味を持つよね。相手の問題を自分の問題に置き換えて考えることが出来るのって、これから生きていくにあたってもヒントになる。

 

 

 

《中締め》

自分が正義で、相手は間違っているという考え方だけでは、良い人間関係を育むことは出来ない。相手の問題を自分の問題として捉えることによって、より相手のことを知り、自分のことを知ることも出来る。一方的な押しつけではなく、そんな自分から相手に歩み寄るとき、互いの関係性も変わっていくのかもしれない。