「自分らしさ」が分からない

≪本日の僧侶プロフィール≫

—サブカル僧侶—

TV・マンガ・音楽などの現代のサブカルチャーに造形が深いが、僧侶として「温故知新」の精神も忘れることがない。(文中「サ」)


—うどん系僧侶—

出身地の影響もあってか、うどん中心の食生活を長年過ごしつつ、仏教研究にいそしむ。幼少期より中国渡来のものに強い関心を示す。(文中「う」)


<本日の人生相談>

「自分らしさ」が分からない

就職活動中の大学生です。自己PRなどを考えるのですが「自分らしさ」が分かりません。「自分らしさ」はどうやったら見つかりますか?


う:本質と関わっている問題かもしれないねぇ。『バカの壁』を書いた養老孟司さんが、最近の若い学生さんは「自分の生き方」とか、「自分らしさ」とか、そういうことをよく言うけれど、そもそもそんなものはない。ってお話をしていらっしゃるのを、ふと思い出したなぁ。色々な経験を積んで自分らしい仕事をしたい、と言って、難関大学を出ても定職につかない学生さんが多いそうで。


でも、そもそも「自分らしさとか、自分なんてないんだ」っていう話をされていたんですよね。


それがすごく仏教的だなぁと思って。仏教も勿論「自分なんてない」と言うからね。さらに、養老さんがすごいなぁと思ったのは、例えば、自分に合った仕事を探し求めるのだけれど、そんなもの世界中探してもどこにもない、と。


なぜならば、最初から「自分に合った仕事」がある訳ではなくて、学校や仕事で、先輩や同僚に支えてもらったりして、ある時、振り返ると自分に合った仕事だった!となるものだと。これって「自分らしさ」にも言えることだよね。


仏教では「諸行無常」や「縁起」を言う。つまり、自分っていうのは周りによって、一瞬、一瞬作られていくっていうことを言うんだよね。養老さんは解剖学者さんでしょう?だから脳的にもそうだって言っていることを考えるととても仏教の思想と近いなぁ〜と感動したな。


サ:結論…もう出ちゃいました?


う:いやいや、そういうものの見方もあるんじゃないかなぁと(笑)


もしかしたら、「自分らしさ」を追求していくって明治以降の西洋的な考えが入ってきてからなんじゃないかなぁと思うんだよね。教育的にも「自分の意見を言うこと」や「個を確立すること」が大切にされたり。


でも、それ以前って、自分を主張するのって、かっこ良くなかったんじゃないかなぁと。何故というと、おそらく日本の文化は、仏教が強く影響をしているから、全ての物が関わりあって、支えあって、いわば、生かされているという様な、仏教的な考え方が根っこにあったんじゃないかと。「みんなのお陰で私は仕事が出来ている」とかね。


サ:「お陰さま」とか「お互いさま」って日本に古くから在る言葉ですよね。あと、更に言えば「自然」は「ネイチャー」と訳されるけれど、訳す時に意味が結構変わっちゃったって聞いたことがあるんですよね。ネイチャーってより、「あるがまま」とかの方が適切な意味だそうで、そこに「私が主張する」っていうのはあんまり含まれていないのかな?


う:ただ、一方で、社会からは「自分ってどういう人間ですか?」って求められるよね?「全部世界は関わり合って、お陰さまなんです」って言うのじゃ、社会には通用しないよね。


サ:でもどうなんでしょ?私なりの使命を果たすって言うのはなんだかんだ言って、資質はそれぞれなので、自分なりにやるしかない。そういう意味では、個性を発揮しなきゃいけないけれど、この相談を下さった方は、就職活動なので、僕の就職活動の実感で言うと、企業側は「自分らしさ」とか求めていないと思うんですよね。むしろ求めていないマニュアルに乗っかってプレゼンしてくる学生に飽き飽きしているというか…それこそが個性ないなぁ〜というか。

う:うん、確かにそうだね。企業側からしたら「私には主張すべき個性なんてありません」ってくらいの方が逆にいいのかもね〜。

サ:それもまたすごいですね(笑)企業側からした時に「こいつと働きたいな」って思う時に、個性と言うところで人を見ますかねぇ。一緒に働いて気持ちがいいとか。別の視点で判断してるんじゃないかなぁ。実際に僕も就職して、配属された時にまず言われたのは「お前達、まず、適材適所があると思うなよ、そもそも君たちは使えないんだ。働いていく中で、そういったものを見つけて行け」って言われたのを覚えてますね。最初から「自分にはこれが向いているから、これをします」っていうやり方は間違っているんだって言われた気がするなぁ。


う:それって本質かもしれないね。


サ:企業側も、海外に行ってました。とかいうアピールは求めていない気がするなぁ〜。平凡な体験でも、自分がそれを体験して何を考えたとかで、きらっと光る物がある人の方が評価されるかもしれませんね。何気ない大学生活の中で、何を考えたとか…?


う:この相談者さんも、「本当の自己」に出会うことを大切にしてもいいかもしれないね。


サ:本当の自己って?


う:う〜ん、「自分がこうなんだ」っていうのではなくて、かっこつけようとする自己ではなくて、本当の自分を見つめるってことが大事なんかもしれないね。僕たちって、本当はあんまりかっこいい自己ではないんじゃないかなぁ。作り上げた自己では、そこに捕われて、くだらないプライドとかが出て、人とぶつかり合っちゃったりするしね。


サ:就活っていう競争の中でも、自分を盛るのではなく、無理のない自己PRの方がいいのかもしれないですね。


う:でも、そういう意味では、本当の自己を見つめるのは難しいよね。そもそも自分らしさとかって自分では分からないのかもしれないね。本当の自分は誰が教えてくれるんだろうね〜。


サ:ん〜。デヴィッド・ボウイが言っていたんですが、人間ってミラーボールみたいなのかもしれませんね。見る角度によって違って、多面体なのかも。それから、何かの法話で、自分の目で、自分の身体はみれないという風に書かれていた記憶があるなぁ。何かを反射して初めて自分の姿を見ることが出来るというか。


う:あ、自分を取り巻く周りの人に「ぼくはどんなひと?」って聞いてみるのはどうかな。


サ:いいけど、聞きたくないかも…(笑)図星もあるだろうし、「遠慮なく言って!」と言いながらも、実際に言われたら、結構傷つくかも(笑)


う:そうだねぇ。あと、人のマイナスはなかなか言えないしね。


サ:じゃあどうしたらいいんですかね。


う:もしかしたら「自分らしさ」とかって、自分の価値観と違う人と一緒に過ごしていて分かる物なのかもしれないね。きっと自分が思っているだけが、自分じゃない。だから、言いたいことを言う存在は大事だよ。想いがあるからこそ言ってくれるしね。


サ:あと、ほどほどの関係を沢山持つのもいいかもしれませんね。遠すぎる関係でも、近すぎる関係でも言いにくいしね。色々な人との出会いの中で少しずつでも自分が見つかったらいいですね。

《中締め》
「自分なんてものはないのかもしれない」という考え方も念頭において、周りの人たちと一生懸命生きる中に、もしかしたら見えてくるものもあるのかもしれない。自分の考えだけに捉われて生きていくのではなくて、周りの人の言葉や想いも受け取りつつ、繫がりの中に生きる自分や無理をしすぎない自分も大切にしてみてはどうでしょうか。



2017.8/23 更新