老いとお金。経済発展がもたらしたものと無くしたもの。お互いさまから創る社会

超高齢社会を迎え、高齢者支援やエンデイング産業のあり方について、活発な議論がおこなわれています。しかし、そこには「老いとは何か」という根本的な問いがかけているのではないでしょうか。
そもそも、現代社会において「老い」とは何なのでしょうか。そしてなぜ、多くの人は「老いたくない」と思っているのか。もしかしたら、若い世代が高齢者に「老いたくない」と思わせてしまっているのではないか……。それなら、そう思わせる社会とは何なのでしょうか。いずれも簡単には答えの出ない問題であると思っています。これから1年かけて、テーマに関心を持つ多様な市民が集い、希望ある老後、そしてこれからの行き方を見据えて意見を交わす時間をつくれればと思います。
 
6月には「老いの価値を考える」というテーマで、参加者それぞれの立場から「老い」について思考を広げていくような企画となりました。前回の様子はこちら
 
7月1日に開催された、第2回常識のカベは「老後2000万円問題から老いの現実を見つめ直す」というテーマで、最近話題になった金融庁発表の老後2000万円問題から、「老い」と「お金」に関する議論を進めていきました。
老後30年を生きるには年金だけでは足らず、2000万円を用意しておかなければならない。こう書かれた金融庁の報告書に世間は震撼しました。なぜ、2000万円が必要なのか?他に方法はないのか?など、当日議論されたことをご紹介します。
 
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(司会の菱川貞義さん)
 
——当たり前すぎること。お金が前提の社会で生きている私たち
 
一般的な感覚から考えると、「年金は保険だから仕方ない」「貯金して自分でお金を貯めないといけない」「資金運用どうしようか……」金融庁の発表以後、資金運用や保険の広告を見る機会が以前よりもさらに増えてきたように思います。司会の菱川さんは「お金って何ですか?お金の何が私たちを苦しめているか考えてみませんか?」という質問から会が始まりました。お金というものは、私たちの暮らしには切ってきれない存在で、生活を豊かにしてくれるものと思っています。しかし菱川さんは、その考え方を一度外してみて、反対側からお金の価値を考えてみることを提案されました。
 
 
40代男性の方は「お金で回している社会が前提で、それが中心となっている。GDP(国内総生産)の基準もお金であって、幸せの尺度やものの価値を知らずしらずのうちにお金や経済で考えている。日本が経済発展してきたのも同じ理由で、日本人の心の豊かさをほめてくれる海外の方もいるが、経済的発展、つまりお金の動きを無視はできない社会の上に、今の自分たちがいる。戦後の復興や高度経済成長も同じだと思う」
 
20代の男性は「お金が中心だとは思いたくないが、やはり、お金がないと社会にいられない。稼げるうちに稼ぐ必要がある」
そんな意見が出ていました。しかし、そうなってくると、老人と言われる方や、若いうちでも動けなくなってしまったら社会的には終わり?という烙印を押されないだろうか?とポツリと呟かれる参加者もいました。
 
それなら、ベーシックインカムはどうか?という意見も出てきました。ベーシックインカムとは、すべての国民に政府が生活の最低必要な金額を給付するという仕組みです。1960年代から欧米で議論が展開されてきたものです。しかし、これを導入すると誰も働かなくなるのでは?といった、批判もあるようです。(ベーシックインカムが気になる方は、メリットもデメリットがあると知った上でお調べくださいね!)
 

 
経済発展とお金を増やすことが、イコールであるなら、もしかしたら「老い」とは真逆の発想になるのでは?と意見が出ました。発展ということが本当に幸せなのでしょうか?そうなった場合、日本の人口の多くを占める65歳以上はどうしたらいいのか?
これからは、それぞれの年代が生きがいや働き方、生き方を見直していく必要もでてきます。
 
 
僧侶の参加者は、「もし、今の時代にお釈迦様や親鸞聖人がおられたら、どんなことを考えられ、どんなことをされるだろうか?老後2000万円問題について、門徒さんにお参りの時に聞かれたら、『2000万円を貯めた方がいいですよね〜』とは話すことには抵抗がある」と話してくださいました。2000万円をどのように確保するか、しないかの問題よりも、老後に限らず今から豊かに生きていくような話を僧侶と話ができたらいいのかもしれません。
 
ーーアリとキリギリスの3つの結末からみる多様性
 
今回のお金に関する考え方は、まさに千差万別でそれぞれの考えがテーブルにだされて議論されました。最後に菱川さんは、多様性のあり方について、アリとキリギリスのイソップ物語を通して、お話をしてくださいました。子どもの頃に聞いたことがある、アリとキリギリスのお話の結末が実は3つあるのをご存知でしたでしょうか?

 

物語のあらすじは、夏のある暑い日、キリギリスはバイオリンを弾きながら、歌って楽しく過ごしていました。そこへ、キリギリスの横を来たる冬のために食料を一生懸命に運んでいるアリが通りかかります。キリギリスは「そんなに一生懸命に汗水たらして、働いて何になるんだい?」と話しかけると、アリは「夏の時期はいいけれど、じきに冬がやってきて食べ物がなくなってしまうよ」と答えました。しかしキリギリスは「こんなに陽気な天気なんだから、楽しく歌って過ごせばいいのに〜」とアリをからかい、バイオリンをまた弾き始めました。
 
やがて、秋になり木々の枯れ葉も落ち、いつの間にか冬がやってきました。夏と秋の間、バイオリンを弾いて暮らしていたキリギリスは、食べるものがありません。お腹をすかせて困っていたら、アリの家の近くを通りかかります。キリギリスはアリが食料をためていたことを思い出し、分けてもらいに家を尋ねました。
キリギリスは、夏の間にアリの働きぶりをバカにしたことを思い出し、食料を分けてもらえないかと心配しましたが、アリは快く「どうぞどうぞ。食べてください。その代わりキリギリスさんのバイオリンを聴かせてください」と言いました。
 
キリギリスは大変喜び、次の年からは一生懸命に働くようになったそうです。

 
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アリとキリギリスのお話のあらすじを紹介しましたが、このお話には3つの結末があるようです。
 
1つ目は、先に挙げたように、アリが食料をわけてくれ、キリギリスは来年から一生懸命に働き始めたという結末です。
 
2つ目は、キリギリスが「食料を分けて欲しい」とアリの家に行った時にアリは「夏の間は歌って過ごしていたのだから、冬の間は踊って過ごせばいいんじゃない?」と言って、キリギリスはそのまま死んでしまいました。
 
3つ目は、冬にアリと出会った時に、キリギリスは「もう夏や秋に歌うべき歌もたくさん歌ったし、心残りなことは何もないから、アリさん僕の亡骸を食べてこの冬を生き残ってよ」と言い、いのちを終えていったそうです。
 
 
皆さんなら、どの結末が心に響いたでしょうか?菱川さんは、
「これが正解!ではないと思っています。その人の生きてきた時代や感覚、生き方によって選ぶ道はそれぞれにあり、価値の多様性とはこういったことを認めていくことにあると思います。この常識のカベの2時間とここでできたコミュニテイではそんな感覚が広まることを楽しみにしています」
 
常識のカベ実行委員会
 
 
<次回の常識のカベ>
2019年8月5日(月)18時半〜21時
場所:龍谷大学大宮学舎 
参加費:無料
詳細・お問い合わせ:zyoushikinokabe@gmail.com 
facebookページ
 
・参加対象
テーマに興味がある方・高齢者支援に関わる方・終活関連の企画に関わる方・今後の生き方へ不安がある方・まちづくり/地域包括ケアについて考えたい方など
 
常識のカベは、2017年より京都市下京区で活動を開始。世の中で問われないような、そもそも論を添加し、少し立ち止まって見ながら今ある”常識”を考え直すような時間をつくっています。昨年までに、20名以上の各種分野の専門家をお招きして、様々な視点をいただきました。(医療・自然農・東洋医学・環境問題・エネルギー問題・AI・介護・仏教など)
今年は「老」をテーマに議論を進めていきます。
 
どうすれば幸せに生きられるのか?幸福度、QOL等、新たな豊かさのモノサシが議論されています。経済成長や物質的豊かさの果てしない追求。
の先に本当の幸せがないことに、多くの人が気づきはじめています。「常識」とは一体何なのでしょうか。
共に語り合い、学び合う中で、混迷をきわめる社会において、一人ひとりの「常識」とは一体何なのでしょうか?
一人ひとりにしずかな革命がおこるような時間となれば嬉しいです。
 
主催:常識のカベ実行委員会・龍谷大学実践真宗学大学院生有志メンバー
 
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