子育て×仏教「信じているは親の身勝手?」

DSC09584子育てという切り口から、人生を豊かに生きるヒントが見つかる企画。

「子育てってしんどい。でも、それだけじゃない」

「勉強ができれば幸せになれるの?」

「東大に入ったら、大きな会社に就職できれば、将来は安泰?」

「とにかく、勉強だけをさせておいたら大丈夫?」

先行きが見えない不安な時代。
AIによって、これからたくさんの仕事がなくなっていきます。

ほとんどの子は、今はまだない職業につくと言われています。そんな時代に生きる子どもたちにとって、本当に必要なチカラとはなんでしょうか?

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2017年6月3日(土)に京都市しんらん交流館において、子どもの支援をされているNPO法人D.Live(ドライブ)と僧侶が協力し、「シリーズ“○○と考える子育てがラクになる講座」子育てについての対談イベントが開催されました。第1回の様子はこちら

第2回は「元東大教授と考える“本当に賢い子どもの”育てかた〜偏差値じゃない生きる知恵〜」をテーマとし、前半は浄土真宗本願寺派僧侶であり、東京大学でかつて教鞭を取られていた丘山願海先生をお招きし、話題提供をしていただき、後半では子育てで大切にしたいことのリストを作成すると言うワークを通じて、参加者それぞれが子育てのあり方を考える時間となりました。今回はその様子を全4回に渡ってお届けいたします。
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No.2 「信じているは親の身勝手?」

—参加者女性
「問いを持ち続ける」は私の今日のキーワードになるなぁと思いました。

—丘山先生
ちなみに、今、どんな「問い」を持っていますか?

—参加者女性
問いは……自分を振り返る中で、自分の子育て、目の前で子どもたちを見ていて、常にこれでいいのかな?この子育てあってるのかな?っていうそこもあります。

—丘山先生
そういう時って、迷うよね。
僕のイメージではいろんなことを考えること、つまりそれは何に対しても心の構え方が大事かなぁと思いますね。
例えば、今の話とはちょっと違いますけど、僕にとっては本質的なことをお話しします。
「今日、みなさんは朝起きてからここに来るまで何に一番感動しましたか?」
そう言ったことを考え続ける。自分自身に問う。空が綺麗だとか。あの雲面白いなぁとかそういうことでも。
ちなみに、何に感動しましたか?

—参加者女性
実はここに来る前に、子どもがコンビニでお漏らしをしちゃったんですよ。
絶対にやっちゃいけないことなんですけど、店内で水たまりになって……どうしようと、起こってほしくなかったなぁと思ったんですけど。正直にコンビニのおじちゃんに話しました。
そうすると、コンビニのおじちゃん達が優しく、いいんだよーとか子どもに語りかけてくれた。消毒されるわけでもなく、すごく優しくて、感動しました。

—丘山先生
それは、いいね。優しいんだよね。みんな、きっと、ほんとは。
だいたい、みんな、子どもに対して否定しすぎだね。
子どものあり方を大前提として、全肯定していく。根本的に子どもを肯定しているか、ができるかどうかですね。お子さんを信じきっていますか?という感じ。
どんなことがあっても、この子はこの子なりに生きていけるんじゃないかなぁと期待を込める。
ただ、それを口に出す、「信じてるわよ」とかは少し嫌な感じじゃない?(笑)思いとして、そういうことを心に思っていてほしい。言葉にしたら胡散臭いので。

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感動の話に戻りますけど、そういった今日、感動したこと、例えば「みんなに言葉をかけてもらえて嬉しかった」とか、そういうことを意識的に自分自身に問う。
親子だったら、子どもに。旦那や奥さんにも。「何に感動した?」「いいことあった?」とか。
こういうこと、こんなことが起こりました、だけじゃなくて、その時にその人が、こういうことを考えた・感じたとかを聞いて、問うてみる
子どもに聞く時も、だいたい誰でも、「今日はこれをやった!」という事象や事実は思い出せるんだけど、そこで、何を考え、何を感じたかをあんまり問わないから、そういう癖がつかない。

子どもに「今日何があった?」「給食で何を食べた?」だけじゃなくて、その時にその子が何を感じたか聞いてあげる。
お互いに感動していく、ということが重要になってきます。起こった事象を聞くだけでは、お互いの感動には繋がりにくいんですよね。算数を習ったよ!だけではね・・・。もちろんそう言う会話も大切ですけどね。「問う」ことはなかなか癖づきません。
これは、成績には直結しないと思うけど、それは彼らに任せましょうよ。

—司会
他に何か他のテーマについて聞きたいことがありますか?

—女性参加者
「信じているは親の身勝手?」が気になります。
自分のこどもが学校にいけてなくて、カウンセラーの人も子どもを信じるということを言われる。息子を信じるしかないと言われる。不登校のブログとかを読んでいても、最終的には息子を信じるとか、信じていれば大丈夫、みたいなことを書いてあることが多いんですけど、なんとなく「信じる」というのが漠然すぎて、なんなんだろうなと。

—丘山先生
それは面白いですよね。
さっきの言葉と反することを言っているように聞こえるかもしれないけど……お釈迦様的に対機説法でいきますね。
前回の会で「信じる」って話をされたみたいですね。
まず、一般的なことで言うと、これは宗教のお話とも関わるんですが……。
「あなた、奥様のことを信じていますか?」

—参加者男性
時々は…状況によって、信じる場合もありますね。
(会場:大爆笑)

—丘山先生
それはいいね。「信じてる」っていったらそっちの方が嘘っぽく聞こえるよね。
じゃあ、信じるって一体なにか?って感じですね。
根源的に「信じる」と言うことは、一旦置いておきますね。
よく親子の会話で「お前は、こうやってくれると、お父さんは信じてたのに」って言ったとするじゃないですか。子どもに言わせると、「お父さん、それは勝手にお父さんが期待したことでしょ。」ということになります。子どもは何も言っていないの、お父さんが勝手に期待をしているんですよね。それで、お父さんの思うようにならなかったら、裏切られたと悲しむ、これも勝手ですね。
「信じてる」って、そんな感じだと思っています。相手に対する勝手な期待やイメージを押し付けている。

ただ、例外はあって、仕事で誰かが「明日までにこれをやります!」って言ったら、その瞬間は彼の気持ちまで信じる。でも、明日できなかったら、できなかったら事情がある。その時に「なんでできなかったんだ」って批判してもしょうがないよね。
もんですね。
相手が自分の思い通りにならないと、裏切られたと思う。それで、腹を立てたり、悲しんだりする。
子どもがお父さんに、「お父さん、僕はこれを頑張りたいと思ってるんだ!」と言ってきたら、「あぁそうなんだ!」と、本当に嬉しく思う。そういう風に素直に信じていくというか、受け入れていくというか……。
それでも、それができなくてもそれでいいんです。

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付け足しで言いますが、「信じる」と言うのは「受け入れる」と言えないでしょうか?

こっちが勝手に信じるとか信じないとかいい出すと、こちらの気分が変わると、やっぱり頼ってもダメだってなる。仏様は救う、といってくれてるから、あとは受け入れるだけってことじゃないの?
実は、僕も子どもが2人いるんですけど、女の子と男の子。生まれた時に「信じよう」と思った。
信じる以外何もない。何を信じるかっていうと、「この子はこの子なりに生きていける。」さっきからずっと言っているけど。
それを信じるだけ。子どもが何をやっても信じる。
信じるっていうのは受け入れる。それに尽きるんじゃないか。
こんなのは極論なんであんまり、言いたくはないけど、世間の価値観は一回外しちゃった方がいい。
こんなことを無責任に言っちゃいけないんですけど、不登校の子は可能性を持っている。なんでかっていうと、一度レールを外れちゃうから。
元のレールには戻りたくても戻れない。っていうか、戻りたくないっていうか。戻る必要もない。
彼は彼なりに、彼女は彼女なりに必ず生きていける道がある、とそれを信じてあげる。それしかない。
世間の価値観を1回持ってしまったら、反対にそれこそ、外すことの方が大変だと思いませんか?なかなか、世間の常識から外れた生き方ってできないんじゃないかな?

不登校の子を学校に行かす、行かせないの問題ではないんじゃないかな。

考えてほしいのは、この子はどうやって生きていきたいのかぁ、と一緒に考えること。学校に行く、行かないの2つの答えじゃなくて。
それは、大人、親自身も自分はどうやって生きていくか考える。それを考えなきゃね。自分がそれを考えなきゃ、子どもにどうやっていきていくかを考えたって、期待したってダメ。一緒に考える。
子どものことを一緒に考えるんじゃなくて、自分自身がどうやっていきていくかをも考える。
「お母さんはこうやって生きていきたいと、思う。君はどうかな?」とかね。
それが豊かじゃない?
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さっき、価値観の話が出たので、少し話しますね。
みなさんは、世間的な価値観を持ってますよね?外したくても外せない人が多い。だから、成績を上げたいとか、いい大学に行かせたいとか思うわけです。成績が良い方がいいとか、いい大学に行くっていうのは社会や世間のすでに作られた価値観や常識を持ってきていると思いませんか?そう言う意味では、外れちゃう人、外れた人というのは、ある意味では喜んでもいい。普通でいたら、外したくても外せない人も沢山いるんだから。
その代わり、大変ですよ。世間の価値観ではなく、自分なりの価値観を持って生きていかないといけないから。
自分なりの価値観を持って生きていくのは、親と子、周りの友達同士の関係性の中で、一緒に考えていく。前回、高橋さんも言ってると思うけど。関係性の中で生きていく。
自分の息子もそうなんですよ。高校卒業する頃にお父さん、僕大学行くのやめたって言ったんですよ。
僕は「そうか」と思った。これは大変だなぁと思ったんです。バンドで生きていくなんて。でも、本当にこれが好きなんだなと思った。「じゃあ、頑張って思い通りに生きていきなさい。」これしかなかったですね。
経済的には、内心は今でも心配ですし、きっと苦労するなぁと思うけど、好きな生き方をしてる。
彼はひどいやつで覚悟を決めるために、首にタトゥーを入れたんです。これをやったら、普通の生活に戻れない、道を断つっていうか。やってきちゃったからしょうがないですよ。


No.3「マイナスの経験の中で思うこと」に続きます。
No.1の記事はこちら「ジグザクな人生の歩み。学び続ける生き方」
No.4の記事はこちら「自己の肯定とは何か?」 

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2017.12/15 更新