人の視線を気にしていた女性が、自分の生き方を見つけるまで。彼女が始めた「わがまま」なプロジェクトとは?

「人の視線ばかりを気にし、”こうでなくてはならない” 世界にどっぷり浸ってしまっていたわたしは、自分らしさに自信をもち自分自身を愛せるようになるまで時間がかかりました」

 

こう語るのは、小野沙耶花さん。大阪府和泉市でわがままプロジェクト( Wagamama Projects )という活動を続けてきた。

 

 

オープンした時

インタビュアーの藤井と同郷(兵庫県宍粟市)であることが発覚し、いきなり地元トークに脱線しながら取材が始まった

 

なんとなく日本の学校に馴染めなかった少女時代。「こうしなさい」「こうありなさい」という押し付けに、どうしても納得ができなかった。そんな日本の教育に消えないモヤモヤを抱えながらも、彼女は大好きだったアートの世界へ飛び込もうと京都の芸術大学の門を叩いた。しかしそこでも彼女は壁にぶつかる。

 

 

「自分の表現したいものってなんだろう」

「自由に表現するって、自由に生きるってどういうことだろう」

 

 

その後の彼女は、グラフィックデザイナーとして働いたり、ゲストハウスのスタッフとして働いたりされました。ついには日本を外から感じるために単身渡米。様々な世界を覗き込みながら、彼女が見出した「自分らしさ」とは。

 

 

 

第2回  生きづらさを抱えた子どもだった私は、そんな子どものための第三の場所をつくった

第3回  わがままな私と、わがままな他者が尊重しあって生きていく。わがままプロジェクトの取りくみ

 

 

 

わがままプロジェクトって何やってるの?

 

 

 

 ――すごく基本的な質問なのですが、わがままプロジェクトって実際は何をされているんですか?

 

小野:私個人を中心に、いろんな人の力を借りて進めている取り組みを全部ひっくるめて、わがままプロジェクトと呼んでいるんです。

 

具体的には、フリースクールの運営や絵画教室、英会話教室、イベント関係。ほかにも私個人がデザイナーとして請け負っている仕事もプロジェクトに含まれます。

 

 

――これらのプロジェクトを、わ(wa)、が(ga)、ま(ma)、ま(ma)の4つのグループに分けてあるんですよね?このグループ分けには何か基準とか思いがおありなんですか?

 

小野:そうですね!順番にご紹介すると……

 

 

 

わ(wa)プロジェクト 〜和と輪プロジェクト〜

交流会、イベント関係。人と人との出会いの輪や、平和の和をイメージ。

 

が(ga)プロジェクト 〜画プロジェクト〜

 

個人で請け負うデザインの仕事。創作活動。画用紙の画をイメージ。

 

ま(ma)プロジェクト1 〜間プロジェクト〜

フリースクール運営事業。自分と他者との「間」をいかに調和させるかがテーマ。

 

ま(ma)プロジェクト2 〜ママ・パパ支援プロジェクト〜

子育てというアートについて共有しあう場づくり。

 

 

折り紙イベント

 

フリースクール2

フリースクール運営事業。自分と他者との「間」をいかに調和させるかがテーマ

 

 

――それぞれのグループ名と活動内容がすごくぴったりですね!

 

小野:上手に当てはめたなーって自分でも思っています!笑 最初に「わがまま」というキーワードがあって、そこにちょうど活動内容がぴったりと……

 

――そう、「わがままプロジェクト」ってすごくキャッチーな名前ですよね!最初に「わがまま」というネーミングを思いついたきっかけってあるんですか?

 

小野:まずひとつ、私の妹が大きなきっかけです。すごいわがままな妹なんですよ!

 

――すごいわがままな妹さん……笑

 

小野:そう!昔からみんなに「あいつはわがままだ」「本当にわがままだ」って言われ続けてて。でもね、すごくキラキラしているんですよ、妹自身は。その姿を見ていたら、わがままって本当に悪いことなのかなぁ……って思えてきて。

 

もちろん人に迷惑をかけたり、自己中心的になるのは良くないんですけど、自分がやりたいと思ったことをやったり、良いと思ったことをきちんと言って生きてるのってすごく素敵な生き方に見えたんです。お上品に大人しく、周りに合わせて生きるよりも、妹みたいにわがままに生きていく方が楽しいだろうなって。

 

あと、私ゲストハウスで働いていたことがあったんですけど、ゲストハウスにはいろんな国からのお客さんが来るんです。なかでも中国の方とインドの方ってすっごいわがままなんですよ!!

 

――(笑)

 

小野:もう本当に!スタッフの都合はお構いなしに、いくらこっちがバタバタ走り回っていても「バスタオルはどこ?」「歯ブラシはどこ?」「ねぇこれ私はこう思うんだけどあなたの意見はどう?」って。スタッフとしては大変なんですけど、なぜか私それが心地良かったんですよ。みんな楽しそうで。

 

迷惑をかけちゃいけないってさっき言ったけど、結局生きているだけで迷惑をかける存在じゃないですか、私たちって。自分も迷惑をかけて生きていることを自覚したら、他の人の迷惑も気にならないというか……そうやって迷惑をかけ合って生きていけば良いのかもしれないなって思ったんです。それも「わがまま」がキーワードになった理由のひとつかな。

 

――すごいポジティブなわがまま観。

 

Webサイトにも、みんながわがままに生きられる世界になれば、地球から「わがまま」という言葉が消えるって書いておられましたよね。フリースクールや英語教室、絵画教室やイベントなど、小野さんの作られる居場所はとても息がしやすそうだなぁと感じました。

 

小野:まずは「わがまま」のネガティブなイメージを払拭してやろうって思っています!

 

 

 

 

「自分らしく生きる」ってどういうことか、ずっと分からなかった

 

 

 

――そのような「わがまま」に対する強いモチベーションを持つようになった経緯をおうかがいしたいなと思うのですが。「わがまま」を目指すということは、もともと小野さんはわがままに生きられない人だったんですか?

 

小野:そうですね……。私は芸術大学に進学して、ずっと自分らしい表現というものを探していたんですけど、それがとっても難しくて。壁にぶつかったようにドーンとショックを受けた状態で。

 

そこからずっと、自分がどういう風に生きたいのかとか、自分の人生の意味って何だろうとか、そういうことを深く考えるようになりました。

 

社会人になってもそのモヤモヤは無くならなくって、ちょっと日本の外に出て視野を広げてみようと思い立ってアメリカに行きました。ちょうどアメリカでの仕事の機会も作れたので。

 

 

 

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――長い時間をかけて悩んで、少しずつ見えてきたものはありましたか?

 

小野:そうですね。自分のことや周りのことが見えるようになってきました。自分はこういうことが好きなんだな!とか、こういうことに引っかかっているんだな、とか。それでも二十代はやっぱりモヤモヤが続いていたんですけど、三十代にはいるとだんだん楽になりましたよ。

 

振り返ってみると、やっぱり、こうであるべきだろうという「普通」に囚われた時期があって。アーティストとして自分の表現を求めていくなかで、自分らしい作品っていうのは絵の具を使ってとか、彫刻で、とか形あるものでなければいけないと思い込んでいたりもしました。今は、形のないわがままプロジェクトを自分の作品として捉えることができています。

 

――その囚われの原因って何だったんでしょう?

 

小野:私の場合は、人の視線かな。周りの人や、教授に、どう見られるかってことに囚われすぎていたんでしょうね。

 

芸大の他の人たちの間にも、そういう空気を感じることがあって。音楽プロデューサーの秋元康さんの授業を受ける機会があったんです。すごい倍率だったので選考に通って受講が決まったときはすごく嬉しかったんですけど、その授業の空気が何て言うんでしょう……秋元さんに認めてもらいたい、というのでいっぱいというか。それは私には合わなかったんですね。

 

もちろんアーティストとして世に出るためには、誰かに評価してもらう必要があるし、人脈やコネは悪いことじゃないけれど、少なくとも私にとっては、誰かの目を気にして創作するのは芸術じゃないと思いました。

 

 

 

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――それに気づいたことは、小野さんにとって大きかったですか?

 

小野:そうですね……潜在的に感じていたことが、意識の上にちゃんと現れたことで、気持ちが軽くなった部分はあります。「あー、そうなんだ。私はこう思っていたんだねー」って。それで全部が解決するわけではないし、相変わらず二十代は暗黒時代だったけれど……。

 

――二十代の暗黒時代が気になります。(笑) 大学時代にそういう大きな気づきを得た小野さんは、その後の生活の何に苦しんでいたんですか?

 

小野:社会人になってからどうしても馴染まなかったのは、会社の上司や社長と意見を交わすことが生意気だって捉えられることです。私は、会社の一員にさせてもらったからには、この会社のために「こんなことができるんじゃないか」「こんなことを思っている」っていうことをフェアに話したかったんですけど、日本の社会では未経験の新入社員が何を言ってるんだ?ってなる。

 

自分の感じている違和感や、思いが見えるようになってきても、その気持ちをどこへ持っていけば良いか分からなくてすごく苦しい思いをしました。それに自分自身にもまだまだ自信が持てなくて。思いがあっても、自信や軸のようなものがないと、ただただその思いは不満として出てきてしまうんだと思います。

 

 

 

わがままプロジェクトが始動したきっかけは友人の一言

 

 

 

――その後、三十代に入ってずいぶん楽になったとのことでしたが、わがままプロジェクトの始動までにはどういう経緯があったんですか?

 

小野:心理的なところは徐々にっていう感じで、いろんなモヤモヤを少しずつ消化して、いろんな経験も重ねて……。そういうなかで自分の感じているところ、モヤモヤするところも良いなと思うところも全部ノートに書き留めるようになっていったんです。そこには、こんなことがしたい、こんな場所を作りたい、こういう家を借りて、部屋はこんな風に使って……ってものすごく具体的なアイディアも書いてありました。

 

そのノートを友だちに見せたことがあって。居酒屋さんで飲んでいるときだったんですけど、その友だちが「こんなにいろんなアイディアがあるのに、ノートだけに書いていたらもったいないからネットで公開しなよ!」って言ってくれて。

 

――そうだったんですね。

 

 

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小野:はい。そして「話に鼻が咲く」っていう超不定期ブログを立ち上げました。そこでいろんなアイディアや社会のなかで引っかかることを書いているうちに、ピースが組み合わされていって、ついに場所を借りてプロジェクトを始動するに至りました。

 

そこからはものすごいスピードで。まずは場所を探そうとネットで物件を探していたら、ぱっと目に止まった一軒家があったんです。丸っと一軒家をお借りできて、駅からも近くて、畑までついてて……。

 

――おお!すごく最高だ……。

 

小野:そうなんです!もう見てると間取りまで最高で、こんなことある?って思って、即行で借りたんです!笑

 

――えええー!行動力がすごい。

 

小野:それで、その一軒家と別に私たちの住む家の家賃も払い続けるのは難しいので、私たちの住居をみなさんに解放する、住みびらきの形にしようと思いました。で、移り住むってなると、夫に相談しなきゃいけないじゃないですか。

 

――確かに。

 

小野:話を切り出すとき、私たちは海鮮丼を食べていたんです。

「あのー、ちょっと聞いて?」って切り出すと、夫がね、すごい嫌な顔するんですよ。

 

――嫌な予感をお持ちだったんですかね。

 

小野:「出た!」みたいな顔してました。私は「家引っ越す!!」って言いました。

 

――直球ですね!笑

 

小野:そのときの夫の反応はよく覚えているんです。しらす丼を食べていたんですけど、急にしらすを一個一個つまんで食べ始めたんですよ。笑

 

――しらすを。(笑)

 

小野:「もう決めたから!場所も決めたから!」って。「引っ越しの段取りは責任持って私が全部やるし、すごく素敵な生活にする自信もあるからついてきてほしい!!」って畳みかけました。

 

――かっこいい……。

 

小野:それが12月の下旬の話で、12月30日には契約して、翌月には引っ越しです。怒涛の引っ越しやいろんな活動の準備を経て5月にはオープンさせました。

 

――すごい勢いですね!

 

こうして、幼い頃からのモヤモヤと向き合う決意、自分の心のなかを常に見つめようとする姿勢のなかから、わがままプロジェクトは誕生した。

次回は、わがままプロジェクトで取り組む教育事業について。日本の教育に馴染めなかった小野さんの作った場所とは一体どんなものなのだろうか。

 

 

 

小野沙耶花さん、わがままプロジェクト( Wagamama Projects )の続きはこちら

 

第2回  生きづらさを抱えた子どもだった私は、そんな子どものための第三の場所をつくった

第3回  わがままな私と、わがままな他者が尊重しあって生きていく。わがままプロジェクトの取りくみ