【まちづくりレポ】まちづくりへの第一歩。300人の島で進むべき道を探す(前半)
人口減少・少子高齢化が進む日本社会において、「地域おこし」「地域活性化」「ふるさと納税」など、まちづくりに関わる事柄が今まで以上に活発になってきたように思います。
多くの企画ややり方が増えてくる中で、あなたの地域にあったまちづくりは一体、どんなものでしょうか?
道路の整備? 橋をかける? 特産品を作る? 教育の充実?
他力本願.netが関わっている、滋賀県・沖島においてもまちづくりが進んでいます。
私たちは「お寺」と「1000年続くまち」をキーワードにまちづくりを進めています。お寺という昔から、長く、その土地に存在してきた場所やコミュニティを生かし、お寺の伽藍のように、そして仏教の教えのように永く、心豊かに暮らせるまちづくりを目指しています。
今回は、まちづくりを長年されており、275研究所の所長でもある菱川貞義さんがコーディネートの元に、「沖島七夕イベント〜七夕短冊に願いをこめて〜」をテーマに、沖島の住民の方、すでに沖島を離れてしまった方、これから沖島を盛り上げたいと思う学生、新聞記者など約50名の参加者が集まり、トークセッションが7月7日の七夕の日に開催されました。
この記事では、そんな当日の様子を前半・後半にわたってお届けします。
コーディネーター:菱川貞義(ひしかわさだよし)
1957年京都生まれ。立命館大学、講談社こども美術学園講師、デザイン会社を経て、1989年広告会社(株)大広に入社。主に環境問題をテーマに多数のプロジェクトを手掛け、2008年から「275研究所」を社内ベンチャー組織として立ち上げ所長に就任。社会課題の解決を目的に社会の多様な主体をつなぎ、プラットフォームづくりからコーディネート、プランニング、クリエイティブ活動に取り組み、2012年には京都で、農村再生に寄与する協働ビジネス開発をミッションとするNPO法人いのちの里京都村を設立し、理事長に就任。また、2006年から自然農を実践中。
※自然農とは、耕さず、肥料や農薬を用いず、草や虫を敵としない農といわれる。
—これぞまちづくりの基礎!!住人の素直な想いを、ざっくばらんに話して、きく、そして知る。
「今一度、島の目指す方向性を考えなければならない。
その方向性を見定めるとともに、それぞれ個人個人で担っていただきたい。未来を担う子供たちにとってより良い島になるように。」そんな挨拶で始ま理、沖島の切実な想いが溢れていました。
お寺の堂内にはたくさんの、短冊が飾られ、そこには住民の切実な想いだけではなく、島外に住みながらも沖島のことを強く、そしてあたたかく想う方の言葉がありました。
「地域おこし・まちづくりの方向性をみんなで共有することが、本日の目的。なぜなら、この目指す方向性の共有を住民やその他関わる人で実施していない町おこしは失敗するケースが多いんです。
意見の共有方法はたくさんあるとは思いますが、一方的なアンケートだけではなく、お互いに顔を突き合わせて話すことが一つ、大切となります。」そんなことを菱川さんはこの会を催すにあたり、沖島のまちづくりに参画する方に事前に話しておられました。
「嫁いできて20年。誰かに言われるがままに、まちづくりをしてきたが、沖島でこんなに他種の人が集まって意見を聞けるようになったのは本当に嬉しい」
そんな風に大勢の前で意見を出されていた女性がいました。
あなたの町ではどうでしょうか?80歳のおじいちゃんから、10代の学生さんまで一堂に会して、町の未来、願い、問題を話されたことはありますか?
実は長い間、沖島の方達はいろんな手段を用い、まちづくりをされてきました。しかし、なかなか住民全員で話す、という機会はなかったようです。
漁師さん、沖島出身の方、沖島コミュニティーセンターの方、老人クラブの方、離島推進協議会、まちづくり協会、婦人会、地域おこし協力隊、看護師、介護福祉士、移住者、学生、沖島の40代の若い世代……約300人の島の住民の素直な想いを聞くのは並大抵のことではありません。
今回、沖島に関わるありとあらゆる職種、立場、世代、考え方を持った人が一堂に会し意見を出し合った。それは、沖島のまちづくりにとっては大きな一歩になったように思いました。
願證寺さんという、浄土真宗本願寺派のお寺の堂内は色とりどりの短冊で飾られていました。
今回の企画は、
1部がパネラーのディスカッション
2部が参加者も含めてのディスカッション
3部はコミュニティーセンターでの懇親会
、という3部構成で進められました。
パネラーの皆さんの最初の一言からご紹介・・・
漁業組合長の奥村さん
「漁師の後継者不足が問題。今、手を打たないと琵琶湖の漁師がいなくなってしまう。本当に危機感を持っている」
老人クラブ会長の西居猛さん
「島民は244名になった。独居世帯は26世帯。独居老人たちが安心して生活できる島にしていきたい」
湖島婦貴の会前会長の小川幸子さん
「お年寄りばっかり。お年寄りばっかりだと町の運営ができなくなる。それが目の前に迫っている」
まちづくり協会会長の西居音治さん
「漁師が減ってほしくない。100歳まで元気でいきたい。無人島にはしたくない」
願證寺の住職、本多さん
「一年で5、6名が亡くなる。そう考えると、10年で5、60名が亡くなることになる。 沖島の住民は10年で200名を切り、20年では150人の人数をきるだろう、と言われています。一人ひとりが、いくつになっても活き活きできるような島になってほしい。そのためには、一部の人ではなく、島民の一人ひとりの協力が必要と思っている」
コミュニティーセンター長の西居英治さん
「複合施設を作りたい。それによってきっと雇用が生まれる。そのことで島外から戻ってきてくれる人も出てくると思う」
滋賀県立大学生であり、移住者の久保瑞久さん
「沖島が本当に好きです。来れば来るほど好きになってここに住むことにしました。何か感謝の気持ちを込めて、沖島の未来に貢献することができれば良いと思っています。
ここに住んで、一人では生きていけないということを知りました。他の人の助けによって生かされているということを実感できたんです。そういったことを皆さまにももう一度考えてほしいし、見つめ直してほしいと思います」
離島推進協議会会長の北登さん
「みんなが仲良く、安心安全な沖島になればと願っている。みんなで良くしていきたいと思っている」
沖島出身者の中島政信さん
「昭和48年に沖島を出て百貨店で働いてきました。年を重ねるにつれて、静かで、好きな沖島に貢献していきたいと思っている。昔を懐かしむだけではなく、沖島の良いところをより良くしていく、そのためにどんどんと挑戦していくということが重要だと思っています。そのお手伝いをしていきたい。
“家族と一緒に住みたい”や“一緒にいたい”ということが書かれている短冊が多いように思う。それは言いづらいこともあるけど、本心だと思うし、大切だと思いますね」
漁業の後継者問題、人口の減少、複合施設の建設、若者不足でやれることがなくなってきている、新しいことにチャレンジ、人の温かさを感じて欲しい……など、それぞれの立場の意見を話されていました。
では、参加者の皆さんはどんなことを思っているのでしょうか?
——まずは、漁師さんたちは??
「漁業の後継者がいない。これじゃ、暮らしていけない。昔はそれだけで豊かだった。魚がいっぱいとれたから」
「橋が早くできていたら……車も自由に行き来できていたら……。
そうすれば、子どももすぐに帰ってこれる。今じゃ、親と子どもが一緒に住めない。橋が早くできていたら、良かったのに」
七夕の短冊にも「子どもと一緒に住みたい」と書かれたものを見かけました。
中島さんが言われていたように、きっとそれも本心。
「私が子どもの頃は手長海老を自分たちでとって、それを親に売ってもらってアルバイト代として、お小遣いを稼いでいた」と笑顔で語る、西居さん。
しかし一方で真剣な顔でこんなことも……
「琵琶湖の潮の流れが変わってきた。魚が住めなくなってきた」
コーディネーターの菱川さんも滋賀県の西の湖で農(農法の1つ)をされるお一人として、琵琶湖の環境とまちづくりを考えておられる。
「今までは環境破壊しながら、金儲けしていたけど、これからは環境を守りながらもお金儲けをしていく方法を沖島で考える方が良いと思いますね。いきなりは元どおりにならなくても、自分の子どもや孫の世代まで考えながら、進めていきたいですね」
<沖島で毎年作られる、鮒寿司>
——湖島婦貴(ことぶき)の会の婦人部の方々は女性ならではの視点でお話をいただきました!
「生ゴミの問題!私よりも高齢の方は大変。お手伝いするけれど、私もそのうちそれができなくなる。どうにか生ゴミの処理のことを考えて欲しい。」
「子供の頃でしたら、たくさんシジミも取れた。もう今はそれが全然ダメですね〜」
<沖島で取れた魚や野菜で作られる、湖島婦貴の会お手製の沖島めし>
——まちづくりに関わる沖島の若い世代の方はどうでしょうか??
「まちづくりを初めて5年目になります。どこ向いて進んだらいいの?とわけがわからず、がむしゃらに進んできたので、今日、皆さんの意見が聞けることが嬉しいです。
短冊を見渡してみると、沖島愛に溢れているコメントが多くて嬉しいです。
不便なことも多いけど、健康でずっと暮らしたい、とかみんな沖島で暮らしたい、と思っているんですね。けど、どうしたらよいかわからないんです。島内の人だけではわからないので、島外の人の声も聞きたいと思っています。島の中は一致団結していきたいですね!ただ、生ゴミのこともありますが、今までできていたけど、これからできなくなることがあると思います。それに悲観的になったり、他人任せにするのではなく、今ある課題を、自分のこととして、自分の行動で一人ひとりが今後できるように変えていく、沖島の変わりどきかなぁと思いました」そのように熱く語ってくださった、会場となった願證寺の坊守さんでした。
子どもが5年生になったと話してくださる、まさみさん
「幼稚園に1人で行っておりましたが、今は小学生が19人います。こうやって小学校をずっと続けてきてくれたのは、島のみんなが続けてきてくれてたおかげだと思っています。子どもが大きくなって、プロフィール欄に沖島出身と誇りを持ってくれるような島にしたい、と思っています」
と、子どものことを思いながら将来のことを思い描いておられました。
島民の健康管理を担われている、近江八幡市の健康推進課中島さん
「今、島民は244人。籍は270人です。こんなに高齢化が進んでいるところは近江八幡市では他にない。私は私の立場でできることを考えています。
90代の方が4分の3。船の生活が中心なので、大人になったら、都心部にいく人も多いですね。
漁師さんの生活は私達の生活とはまったく違居ます。私たちの場合は夜に一気に寝るけど、漁師さんはちょこちょこと睡眠をとられます。女性も漁が終わると、野菜を作ったりしている。そういったみなさんの生活習慣も踏まえて、沖島のことを考えいきたい。
また、空き家の活用をどうにかできないのかぁと思います。旅行中とかの預かりとかで、雇用を増やせないか!?」
滋賀県立大学で長年、沖島に関わる上田先生はこんなことを……
「15年この島に関わっているが、やっとこういう日が来たかというのが本日の感想です。びっくりしたことは、これまで沖島の800年あった歴史を終わらせたくない、これからも800年続けていきたいという声を聞いたことですね。きっとみなさんは2000年ぐらいの時間軸で人生を生きておられる。この島は日本の最先端の課題が詰まっている。それをみんなで解決していきたい」そんなことを話されていました。
長く沖島のまちづくりに関わる方からも、この日の会は特別な時間になったようでした。
次回は、「相反することも大切な意見。まちづくりの本質に気がついていく過程」として、イベントの後半の様子をお伝えします!