「『敗北の医療』の世紀」の果てに……
日本の医療の歴史を振り返りながら、今に生きる私たちは過去から何を学ぶのでしょうか。小野先生のお話を聞きながら、医療という分野にとらわれず、生き方を考えていくような時間。
第4回となる、常識のカベ講演録、今回はこれまでの医療の歴史の振り返りと今後の展望をお話いただきました。
20世紀と21世紀の医療の特徴
20世紀と21世紀の特徴の違いをまとめると、20世紀までの日本は、子供が多く、若くて、人口が増大していた社会でした。
今よりも患者は若かったので、生産要員として早く患者を社会復帰させ、国が経済的発展を遂げるためにも、効率的に治す医療が必要とされ、近代西洋医学が中心でした。
しかし、21世紀からは超少子高齢・人口減少社会で、年老いた患者が多く、「生老病死」を免れないことを前提に、非効率で傍で見守る医療が中心となります。
従って20世紀の価値観や概念だけでは、21世紀は行き詰まってしまいます。既に医療の枠組みを超えた治せない「『敗北の医療』の世紀」が21世紀です。
日本は世界に先駆けて、「『敗北の医療』の世紀」に突入しています。そして、これから他のアジア諸国や先進国は、日本に追随してきます。
最終的に今後200年ほどかけて、世界全体は高齢化します。それらの現実を私たちは考えなければならないのです。既に必要とされる医療・健康政策の枠組みは変わってしまったのです。
先ほどの繰り返しになりますが、これまでは治す病院型の医療が中心でしたが、
これからの21世紀は、傍らで見守る生活支援型の医療・健康政策が中心となります。
これまでの医療・健康政策の対象は若い人々でしたので、彼らは自然治癒力も高く、薬や手術など、病気が治る切っ掛けをつくれば、勝手に治っていた。しかし、日本人は既に年老いてしまったのです。
現状の日本社会では、もう兵隊さんにはなれません、労働者にもなれません。あとは医療と介護、福祉を受けて亡くなるのを待つだけです。
樹木希林さんを起用した2016年の企業広告 出典: 宝島社
数年前に樹木希林さんが出られた新聞広告
「死ぬ時ぐらい好きにさせてよ」
がありました。
医学部では未だに疾病臓器別のスペシャリストを中心に養成していますが、地域医療を担う家庭医が万単位で足りないのが日本の現状です。医師を養成するには10年ほどかかります。
早く医学部教育の内容を切り替えなければならないのですが、先に申し上げたルドルフ・ウィルヒョウの細胞病理学説が、今日でも世界及び日本の医学の根本的信念体系となっています。
世界に先駆けて、前人未到の世界最先端の人口動態を直走る日本の現実に沿った医療・介護福祉サービスを、私たちが今後利用するには、近代の信念体系のみでは困難なようです。
医療の歴史を振り返ると……
まとめると、明治維新から第二次世界大戦までは、兵隊や労働者などを養成するための人口管理です。
あとは、急性感染症を中心とした疾病との戦い、栄養状態の改善、体力の向上などを目的としていました。
第二次世界大戦からは、急性及び慢性感染症を中心とした疾病との戦い、栄養状態の改善を行っていました。
高度経済成長以降は、慢性疾患の予防が中心となります。
これが重要で、高度経済成長までは急性及び慢性感染症との戦いや栄養の改善だったのが、高度経済成長以降は、慢性疾患の予防になり、1973年の福祉元年後の1978年に、「第一次国民健康づくり対策」の名の下に予防政策が展開されます。
たった5年で疾病治療中心の医療・健康政策から慢性疾患予防中心の医療・健康政策へ移行しています。これは、高度経済成長により日本社会が急速に物質的に豊かになり、欠乏による疾病から、飽食による生活習慣病の時代になったことを表わしています。
人の寿命が延びているのは医療のおかげではない!?
実は医療技術の進歩によって、人の寿命が伸びているのではありません。
2000年以降の日本の医療・健康政策は、慢性疾患の予防と生活支援です。そして、傍で見守る医療、人間の尊厳の保証です。以上が、明治維新以降から今日に至るまでの日本の医療・健康政策の変遷です。
今日の私の話は、医療従事者の方々でも初めて聞く内容であったかも知れません。今の日本の医療従事者は、正確な時代考証と歴史的変遷を教育されずに、医療現場に臨んでいるのが現状です。これらの時代考証と歴史的変遷をしっかり認識することで、今後、私たちは何をすれば良いのか、自ずと分かるはずです。
ご清聴ありがとうございました。
——ファシリテーター
非常に情報が膨大なので、なかなか頭の整理がつかないと思います。
ものすごく簡略化していうと、社会が乱れている時は、外傷や感染に対し、漢方では即座に対応できないということで、即座に対応できる西洋の軍隊医学を明治政府は選びました。
結果として、漢方を自然消滅させることになりました。
フィルヒョウの細胞病理学説が浸透した結果、病気になったら病院に行ってお医者さんに診てもらって、薬を飲んだり手術したりしたら治るんだという価値観になってしまった。
こういう国は日本だけなんです。インドや中国に行ったら生活の養生というのは残っています。アユルベーダのドクターって西洋医学のドクターよりも社会的に認識は高いんです。
また、これは以前、小野先生に聞いた話ですけれども、今の日本の高齢化社会の対応について、福祉国家といわれる北欧までヒントを探しに厚労科研費で行った際に、「いったい何をしに来たんだ?我々がこれからどうしたら良いのかを日本に見ているのに、、、教えることはない。」と言われたということです。ですからこの日本に起きている超高齢社会というものは前例がないんです。
前例がないことに対して、どう対応していくのかということが我々に問われているんです。こういったことを皆さんで考えていきたいと思います。
(常識のカベ、小野直哉氏講演より)
「敗北の医療」という先行きが不安なテーマだったと、感じる一方で、新たな日本の社会の形成への希望も見えてくるような気がしました。講演後に小野先生が「この話を聞いて、日本の先行きや自分のこれからの人生が暗いと思うも、明るく希望があると思うも自分次第ですね」と笑って言われていたことが大変、印象的でした。
小野先生のお話の中でもあった数年前に樹木希林さんが出られた新聞広告
「死ぬ時ぐらい好きにさせてよ」
医療機器や病院が充実していく中、死ぬ場所は病院のベッドか老人ホーム、と自分の人生で慣れ親しんできた場所ではないところで命を終えていくことが増えてきているように思えます。
社会が豊かになり、携帯やPCで好きな情報を集められ、新幹線や飛行機で国内外問わず好きな時にどこでも行けるようになった。
そんな、選択の自由が最も発達してきている社会で、
最期の時は選べず、いのちを終えていく。
自分の力の及ぶ範囲ではどうしようもないことが、おこる。
いつのまにかそれを忘れてしまったように感じました。
次回は、参加者からの質問を小野先生にお答えしていただきます!
制度という大きな仕組みの中で、私たちはいかに生きていくのでしょうか。
◎第1回「お寺で「医療の常識」を問い直す。効率化と合理性の追求の果てに何があるのか」—常識のカベ講演録
◎第3回「私たちの生活に結びつく医療。あなたの子どもに何を残すのか?」—常識のカベ講演録
お寺で学ぶ講座「常識のカベ」とは・・・
2017年3月1日より連続講座として始まった本企画。
講座の中で、各種の専門家をお招きして、提言をいただきそれを踏まえて、対話を行い、参加者ひとりひとりの「常識」を問い直し、学ぶ場を提供しています。
時代を越えてあり続けるお寺で、今のあり方をじっくりと見つめなおす時間を。
詳細はこちら→常識のカベfacebookページ
2018.7/23 更新