それは本当に求められているお寺の姿か?本質は今までと変わらず、泥臭く続けていくこと
特定非営利活動法人おてらおやつクラブ。お寺に供されるおそなえを子どもの成長を支援する各地の団体を通し、経済的困難のなかにある家庭におすそわけする。この、お寺の「ある」と、社会の「ない」をつなぎ、子どもの貧困問題解決に向けて活動に取り組む代表の松島さんにお話をうかがっています。
第3回目は、グッドデザイン大賞を受賞して変わったことや、海外の学生との交流で考えた宗教のあり方、などについてお聞きします。
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第1回 お寺の「ある」と社会の「ない」を繋ぐ。子どもの貧困問題に取り組む、おてらおやつクラブの活動
おてらおやつクラブと、日本の貧困問題に対する海外の反応
ーー2018年にグッドデザイン大賞を受賞されていますね。グッドデザイン大賞といえば、プロダクト(モノ)に与えられる賞というイメージでしたが、おてらおやつクラブは団体としての受賞だったんですよね?
おてらおやつクラブ代表、松島靖朗さん(以下:松島):はい。活動そのものが大賞を取ったのは初めてだったみたいです。NPOの受賞も初めてでした。しかもそれをやっているのがお坊さんということで、少しざわついたようです。(笑)
ーーやはりグッと認知が広まったのはないでしょうか。
松島:そうですね。プロフェッショナルな方が注目してくださるようになって、本当に私たちで良いんですか?と言いたくなるような企画にお声がけいただいたりしました。
ーー他にも新たなつながりはできましたか?
松島:意外だったのは、海外の方からの寄付やメッセージがとても多かったことです。海外の方々は、日本に貧困問題があるということにとても驚いておられました。みなさん「日本ってそんなにやばかったの?自分たちにできることはないですか?」とメッセージをくださって。
ーー日本のなかでさえ見えにくい貧困問題ですから、海外の方からしたら尚更ですよね。
松島:中国では二度、講演に呼んでいただいて若い方々の前でお話しました。最初は、日本に貧困問題があることも、それにお坊さんが取り組んでいることにも驚かれました。けれど交流するうちに、彼らの多くは、様々な課題を抱える現代社会において宗教的価値観こそ見直すべきなんだという意見を持っていることを知りました。
発送会の冒頭に行われる法要の様子
お寺は、今まで続けてきたことを、これからもしっかりと。
ーー宗教の必要性については日本でもさまざまな意見がありますね。
松島:宗教離れとか、お寺はもう必要ないとか、新しいことをやらなくては、とか方々でいろんな意見が聞かれますが、私は宗教は絶対必要なものだと思いますし、お寺や僧侶は自信をもって今までしてきたことを続けていけば良いと思いますよ。
直球で、泥臭く、今までやってきたことをやりつづけるとういことで良いんじゃないでしょうか。
ーー泥臭く、というのは?
松島:嘘を言わないとか、飾らないとか、本当に基本的なことです。
お寺もそうですが、NPO法人は公益性の高さが求められます。包み隠さずありのままに公開していくことが期待されていて、多くの人にそこで起こっていることを正しく知ってもらうことが大切なんです。
私たちの活動に対して、一番してほしくない誤解は、「またお寺が目新しいことを始めた……」みたいな見方です。表面だけを見れば、それこそグッドデザイン大賞なんて言われたら新しく見えるのかもしれないけど、実際はこれまでお寺が続けてきたこと、護ってきた文化を礎にして継続しているだけの活動なんです。
そもそもお寺の伝統のなかには、社会問題とつながるという側面も含まれていたと思います。だから、社会問題に関わっているからといって新しいことをしているとは捉えない方が良い。
社会とのつながり方にはいろんな方法があって、私たちの場合はそれがNPO法人をつくることだっただけです。おさがりという伝統的な場所で発生したものを、NPO法人という組織がネットワークを使って社会につなげていく。そして、前回もお話した通り、そこには僧侶としての活動やその根っこの信心が基盤として絶対必要なわけです。
それは本当に求められているお寺の姿か? お寺と社会のつながりを見直す
松島:社会とつながるというのはいろいろ難しさがありますね。ここ最近は「お寺を開こう」みたいな話がよく出るようになりました。けれど、小手先の企画になってしまっている場合も多いです。誰のために開こうとしているのか、お寺の経済的な潤いのために開こうとしているのではないか、といった部分がチラチラ見え隠れしてしまったり。
開いていくことも大切なのかもしれないけれど、逆に閉じていく部分、閉じていくお寺の可能性もやはり考える必要があると思っています。閉じているからこそ、本当に仏縁を必要としている人としっかりつながっていける仕組みが大切ではないでしょうか。
開いていくばかりで、「寄り添い」が加速して……本当にそれが必要とされているお寺の姿なのかなと思うことがあります。
ーー親しみやすくする、というと聞こえは良いですが、そこで聖の部分がないがしろにされたり、見落とされてしまうと意味がないですね。
松島:それ、お寺じゃなくても良くない?という話は多くなりがちですね。でも下心とか企画の浅さって、ちゃんとバレますよ。
<編集後記>
おてらおやつクラブという存在を初めて知ったとき、「画期的だな」と思った印象は、インタビューを経て180度変わっていました。それは、宗教者としてのあり方、お寺のあり方が問われる変化でもありました。
次回は、おてらおやつクラブの課題や賞味期限に関するお話、今後の可能性、資金面などについてお話をうかがいます。
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第4回 わたしに「ある」ものを知る。わたしに「ない」ものを知る。