愚痴は自分と向き合う面があるー龍谷大学実践真宗学研究科の木本さんにインタビュー
仕事や学校、家庭のなかで、上手くいかないことが続き不満が溜まり、「あぁー、もうイライライする。誰かに愚痴りたい!」と思ったとき、皆さんはどうされますか?「友達に電話する」「行きつけのバーでマスターに聞いてもらう」など、得意の愚痴り方をお持ちの方もいるかもしれません。
一方、「誰だって他人の愚痴を聞くのは気持ち良いものじゃないし、こんなこと言ったら嫌がられてしまうだろうな……」と感じ、結局どこにも吐き出すことなく、モヤモヤを溜め込んでしまう人も少なくないように思います。
ときとして誰しもが抱いてしまうけれど、ネガティブなイメージがつきまとい、なかなかはけ口が見つからない愚痴。
そんな愚痴を、あろうことか、前のめりに聴き・喜んで集める活動があります。
その名も「グチコレクション」、略して「グチコレ」。
今回は龍谷大学実践真宗学研究科に所属し、グチコレ5代目の代表をつとめた木本晃英(きもとこうえい)さんに、仏教における愚痴の考え方、グチコレの活動の背景について伺いました。
※全4回の第1回です。
愚痴は自分自身の本音と向き合うきっかけ
――なんで愚痴を集めてるんですか?
えっ、そこからですか(笑)。簡単な自己紹介からはじまるのかなと油断してました。
――この活動を知ったとき、なんかめっちゃ面白そうだなと思う一方で、普通ならば聴きたくない愚痴をわざわざ聴いて、しかも集めている。
……何故だ?という疑問をもち、あれこれ考えてみたけど、やっぱり想像もつきませんでした。だって、京都駅の前で「あなたのグチを聞かせてください」という看板を掲げて待っているんでしょう?!絶対あやしいもん(笑)。
確かに、そりゃそうですね(笑)。「愚痴」っていうと、一般的には何か煙たがられる、聴きたくない、言ってはいけないものとして考えられているように思います。僕たちは、そもそも、その愚痴をそんなネガティブに捉えていません。
――ほぉー、ネガティブなことはよく分かりますが、ポジティブなイメージは全く想像できません。
「愚痴」って、もともと仏教の言葉だって知ってましたか?
――いえ、恥ずかしながら、知りません。
仏教において「愚痴」は煩悩の一つだと示されます。一般的には悪口や弱音というように切り捨てられてしまう愚痴ですが、僕たちは愚痴を自分自身の本音と向き合うきっかけと捉えています。
――ほぉー、というと?
「あぁー、イライラする。愚痴りたいー!」と、愚痴をこぼさざるを得ないときって、あまり意識的ではないけれど、結構しんどくなっている状況であったり、大きなストレスがかかっていることも少なくありません。
愚痴は軽く感じられがちですが、実は結構大きな苦悩を抱えているケースだってあります。もちろん、瞬間的にイラッとして吐き出してしまえば楽になる、軽いことだってあります。先ずは、愚痴をこぼすことを通じて、自分の精神的な状況について、少し立ち止まって考えてみるきっかけになることがあります。
――友達に「愚痴なんやけどさ……」と言われ聴いていると、それって愚痴っていうより結構しんどい相談やん、みたいなことは過去にありました。
現代は愚痴や弱音を吐き出しにくい社会だなと感じます。愚痴というと「弱音」「非生産的」「 甘えている」「誰かへの悪口」等々、ネガティブなイメージがつきまといます。愚痴さえこぼせない社会とも言えるかもしれません。
また普通の状態であれば、絶対に発さないようなことを、愚痴としてポロッとこぼしてしまうこともあります。普段は絶対に外に出さない自分のいまわしき心や言葉がつい出てきてしまう。
――確かに(笑)。普段は人に言わない言葉をついつい愚痴ってしまうこともあります……。「あいつ、失敗すれば良いのに」「石につまずいてしまえ」とか(笑)。
そうそう。良好な状態や関係のときには湧き起こってこないような想いや言葉も、悪い状況や関係になってしまうと、ついつい相手を憎む想いが湧き起こり罵しる言葉を心の底に抱いてしまう。つまり、愚痴を通して、そういう自分の内面性がみえることがあると思うんです。
ただし、僕たちは誰かのいまわしき心をジャッジするためや、気づかせるために活動しているわけでは決してありません。
街なかで皆さんの愚痴を聞かせてもらいながら、「あぁー、その愚痴、僕も分かる!」と意識しながら、活動をする僕たちも、その愚痴を抱えた存在であることに気づかせてもらっています。なかには全然ピンとこない愚痴に出あうこともありますが……。
――急にお坊さんっぽくなってきました(笑)!だけど、それは言葉を変えると、愚痴ることを通して自分の性格の悪さに気づくということですか?それって何か嫌だな……わざわざ見たくないような気もします。
そういう風に相手を罵しるような想いを抱えてしまう自分が居るんだ、ということを自覚することが大切だと思うんです。愚痴ったからって、その悪しき心が無くなるわけではないし、改善されるわけではないけれど、愚痴をこぼすことを通して、そのような自分自身を知ることが大切なように思います。
――なるほどー。そういう自分自身のありように気づくためには、少なくとも、先ずは受け取ってくれる存在が必要な気がしますね。
まさに、その他者になれればと思い活動しています。
――面白いですね!なんでそもそもコレクションするんですか?
グチコレで集められた愚痴たちは、浄土真宗本願寺派が運営する「他力本願ネット」で公開し、多くの人々が見ることのできるものにしています。それは他人の愚痴を見て共感するだけでも、少し気持ちが楽になることもあるのではないかと考えています。
――なるほど、あっ、その愚痴、自分も一緒!みたいな感じですか?
そうです。悩み多き現代人には、ためこんだ愚痴をこぼす場所が必要なのかもしれません。気軽に愚痴を言える社会をつくっていきたいと考えています。
――思った以上にスケールが大きかったです。やっぱり、この活動の背景には、皆さんが仏教に関わっていることが大きいんでしょうね。
次回は、グチコレの活動の現状、木本さんがなぜ、グチコレに携わるようになったのかを伺います。
<グチコレについて>
グチコレとは「グチコレクション」の略称である。有志の活動者(グチコレクター)が、路上や飲食店、大学や行政施設など様々な場所で人々のグチ(愚痴)を無料で聴き、集め、それらを社会に共有していく活動である。現在、京都・大阪・東京での活動の他、各種イベントでグチコレしています。 「活動実績」
メールアドレス r.guchicollection@gmail.com
Facebookページ 「グチコレ」
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