「お年玉をあげたくありませんが……」【みんなの人生僧談】
今回のテーマは「お年玉」。毎年はじめに子どもたちにあげるお年玉。子どもたちにとっては楽しみですが、大人にとっては悩みの種の一つ。ただでさえ出費の多い時期に、お年玉まであげるのはお財布事情から見て無理、という悲鳴もちらほら。ですがあげないことでトラブルに繋がるのでは、という心配をする声もあるようで……?僧侶たちはそんな不安をどう考えるのでしょうか?
今年は色々あって収入が落ちてしまい、お財布がピンチなので子どもたちにお年玉をあげたくありませんが、そのせいで子どもたちが笑われたりいじめられたりされたらイヤです。困っています。
お年玉って自分の子どもにあげるものなの?
僕はもらっていました。親戚が少ないっていうのもあるのかもしれませんけど。
親戚の子どもにあげる場合、お年玉は親戚づきあいの一種かな。
そういうお年玉は、あげる側に経済的な格差があるとつらいよね。うちは親戚の間でお年玉の相場が大体決まっているけど、それでも経済格差があるとつらくなる。「お年玉、そんなにあげるの!?」って。
でも、人付き合いにはどうしたってお金が必要になってきますよね。
人付き合いに投資をする余裕があるかどうか、という問題だよね。本当に生きるか死ぬかの経済状況の人は少し置いておくとして、経済的余裕をとるか、人間関係をとるか。交際ということをどれほど重視するかの話になっちゃう。
そうだね。そういうお金が出せないっていうことは、人間関係に対して汗をかけないっていうことだから、ちょっと冷たい言い方だけど、少し生活全体を見直した方がいいかもしれない、とは思うよ。すこし生臭い話かもしれないけれど、僕は冠婚葬祭にまつわる話は全て交際費としてまとめて、ほかのところを削ってでも少し多めに用意している。ご縁を大事にしていくって言えばいいのかな。せっかくの機会を大切にしたい。
でも、現代日本の貧困ってつながりの貧困の側面もありますよね。食べるものや着るものがないんじゃなくて、交際費が出せないから、じわじわ孤立していってどんどん苦しくなる。
ご祝儀が出せないから友人の結婚式に出られないとかが代表的だよね。冠婚葬祭、全部が出られなくなっていく。意地悪な質問になるけれど、もしこの状況みたいに、お年玉をあげるのにお金がなかったらどうする?
僕はお金を借りてでも出すかなぁ。それくらい人間関係は大事だと思っている。
ちょっとテーマから話がずれてきましたね。戻しましょう。
そうだね。このテーマの場合は自分の子どもにお年玉をあげられなかった場合のリスクの話をしているのかな。
お年玉をあげられないと、子どもがいじめられたり、笑われたりするかもしれない、と。……そんなリスクは実在するんだろうか?
ない、とは言い切れませんが、そんなに気にする程のことでもないと思います。
僕もそう思う。むしろそんなことが起こるようなコミュニティに居るなら、できるかぎり距離を置いた方が良いだろうね。お釈迦様も「悪い友だちからは離れなさい」とおっしゃっている。
そうなると、むしろ問題になるのは「お年玉をあげられないことで子どもが笑われたり、いじめられたりするんじゃないか」、と悩む心だろうね。
そうだね。周囲の目におびえているようにも見える。他人の評価だけを気にし続ける人生はむなしいよ。
そもそも、この人自身の中に、どこか「お年玉をもらえない子どもや、その家庭を下に見てしまう心」があるのかもしれませんね。だから、自分がその立場になったら、それにおびえてしまう、とか。
それはあるかもしれないね。自分のことを基準に他人を推しはかるのはよくある。自分ならこうする、という思い込みが、自分に対して牙をむいてしまう瞬間だ。
となると、お財布がピンチでお年玉をあげたくない、という状況は気の毒ではあるけれど、同時にそんな自分の中の心に気づくキッカケ、という点においては意味のあることなのかもしれないね。
僧侶たちの議論はまだまだ続きますが、ひとまずここまで。
以上、僧侶の部屋での座談会でした。何かのヒントになれば幸いです。
《本日の僧侶プロフィール》
田舎好き僧侶
大自然とスローライフをこよなく愛する僧侶。将来は畑をいじって暮らしたいと夢見る。
家電僧侶
学生時代から6年間、家電量販店でアルバイトをしていた僧侶。家電業界と接客について理解がある。
サイバー僧侶
お寺生まれIT育ち。趣味が高じてIT業界に進むも、自らの使命に気づき僧侶の道に。最新機器への物欲が目下の悩み。
「僧侶の部屋」では、様々な経歴を持つ僧侶たちが、世の中のよくある悩みを勝手にテーマにして座談会形式で自由に話し合います。