「父が亡くなりました」
≪本日の僧侶プロフィール≫
・理詰め僧侶
寺院の長男として生まれ、仏教について幅広く修学している。理性的に物事を考える性格の持ち主。愛娘を溺愛するほど、子煩悩な一面もある。
・公務員僧侶
公のために生きることを自分の生きる道と定めて公務員になるが、公を大切にすればする程、家族をほったらかしにせざるを得ない現実にぶつかり、納得のできる生き方を求めて僧侶となる。
お寺生まれIT育ち。趣味が高じてIT業界に進むも、自らの使命に気付き僧侶の道に。最新機器への物欲が目下の悩み。
・グローバル婚活僧侶
環境問題を中心に、グローバルな視点から現代の諸問題に取り組むと共に、自身の婚活にも余念のない、グローバル婚活僧侶。
≪本日の人生僧談≫
ペンネーム「MM」さん(年齢不詳)からの相談
「父が亡くなりました」
先月、父が亡くなり通夜・葬儀を執り行いました。
職場から弔電をいただき、その御礼としてお菓子を職場へ持っていって挨拶をしたのですが、職場の人からは「ご愁傷様」の一言もありません。
その一言で救われる心もあるのです。それを求める私は贅沢をいっているのでしょうか?
公:なるほど、さみしかったろうね。この職場は若い人の多い職場かな?最近の若い人は、「ご愁傷様」って言葉を使い慣れていないのかも。どうやって言葉にしていいのか分からなかっただけかもしれない。
理:悲しんでいる人にかける言葉ってほんと難しい。もしかすると、言葉をかけない優しさもあるのかもしれないし。
エ:そもそも職場から弔電があったのは、この方に対するお悔やみの気持ちがあったってことだよね?
理:でもそれが事務的なものだったら、お菓子もらってもビックリしちゃうだけだよ。
サ:僕らも同じような場面にあう事があるよね。僧侶としてお通夜やお葬儀にお参りした時も、ご遺族の方にかける言葉って難しくない?
理:確かにいきなりお坊さんに饒舌に話されても何か違う気もするし。それに言葉には過不足が付きものだから、余計に難しい。 かといって言葉にしないと伝わらないこともあるし。
公:職場に仲のいい人がいたら、その人と食事に行った時にそれとなく聞いてみたら?職場の人が何も言わないからって、全く気持ちがないっていうこともないと思う。
サ:そもそも弔電に対してお返しをするっていうのは、礼を尽くしていてえらいと思う。きっと職場の人にも今の辛い気持ちを理解して欲しかったんだろうね。
理:お父さんを亡くされてまだ一カ月だし。やっぱり誰かに何かを求めたい気持ちが出てきて当然なんじゃない?
エ:家族や身内を亡くした時、自分とは違う態度を取っている人がいたり、事務的な対応を取られたりしたら、遺憾に思うのは当然だよね。
公:職場の人に何かを求めるのは求めるのは贅沢なこととは思わないけど、期待しすぎるとアテが外れて苦しむことだってあると思うよ。
理:何か他の方向に眼を向けることによって、物事の捉え方が変わってくることってあるからね。職場の態度に意識を向けるよりも、亡くなられたお父さんや自分と心静かに向き合ってみるとか。
エ:亡くなられたお父さんが相談者に対して何を願われているのか、っていう視点はすごく大切だと思う。
公:悲しみを知った人は、他の人の悲しみに寄り添うことができるし、この相談者もこれから同じように悲しんでいる人に、声をかけて寄り添ってあげてほしいな。
サ:当たり前だけど、それってすごく仏教的な視点だよね。
公:今はしんどいことかもしれないけど、悲しみを知るあなただからこそ、気づけることがあるかもしれない。。
《中締め》
人に何かを期待をしても思い通りの反応が返ってくるとは限らない。とくにお悔やみの言葉は誰にとっても難しいもの。いまは亡くなられたお父さんや自分自身と向き合ってみることも大切。いまのあなただからこそ、気付くことがあるかもしれない。