「子どもが話を聞いてくれない」【みんなの人生僧談】
今回のテーマは「聞いてもらう」。誰だって自分の話は聞いて欲しいものです。ですが、実際はどうでしょう?話を聞いてくれるのはほんの一握りの人か、ペットばかり、という人も多いのかもしれません。こんな問題を、僧侶たちならどう考えるのでしょうか?
後期高齢者です。子どもがなにを言っても口答えか「はいはい」と聞き流すばかりで話を聞いてくれません。孫の事で忙しいのは分かりますが、どうしてこんな子になってしまったのでしょう。
うーん。これはつらいですよね。この人からしてみれば自分を常にないがしろにされているわけですから。
ちょっと身に覚えがある気がするよ。これはいけないね。
これはもしかしたら、お子さんにはこの人の言葉を聞く理由がなくなってしまっているんじゃないかな。
どういうこと?
子どもの立場からしてみると、親の言うことが古くて現状にそぐわないように感じる事ってあるよね。一方的にそんな事ばかり聞かせられるのはつらいんじゃないかな。
確かに、こちらの都合を一切無視した言葉を聞かせられるのはつらいですよね。でも、それだけなんでしょうか?
この人の環境が変わって、子どもにしかコミュニケーションの行き先が無くなってしまっているという事もあり得るかな。だとしたら、子どもは親からの過剰な「お小言」にうんざりしているのかも。
僕の母親にもそういう所があるよ。事情があって交友関係が狭くなってしまっているんだけれど、なにもなくても連絡してくるし、孫の事にもすごく口出ししてくる。でも、一方的だから、どうしても聞き流してしまう。忙しければなおさらね。だから、相手の立場に立って、聞き入れてもらえるように工夫して話さなければ、聞いてもらうことは難しいよ。
相手にとって意味がある事を言うためには勉強も必要になると思うんですが、家族と話すのにわざわざそこまでするのは、少し壁を感じます。
でも少しシビアな言い方をすると、お子さんは「それどころじゃない」かもしれないんだよね。もう親としての立場があるから、自分の子どもに対して責任があって、必死になっているかもしれない。そんなときに親の言葉まで聞く余裕を持つのは、なかなかに難しいよ。
昔のやり方を、経験だけで、好きに語っているのでは聞いてもらえない、ということですか。全ての事において諸行無常は訪れるんですね。
そういう言い方も出来るだろうね。でも、それは関係性や人間性にも言える。「どうしてこんな子になってしまったんでしょう」と言うけれど、そもそもお子さんの立場が「子から親へ」と変わったのだとしたら、態度が変わっても不思議ではないと思う。
むしろそうした変化を受け入れて、お子さんに対して何をしてあげられるのかをゆっくり考える事が大切かもしれない。たしかに人間は老いる。でもそれはきっと悪い事ばかりじゃない。持っている情報も古くなるし、できることも少なくなるかもしれない。けれど、様々な経験をして、時間にも余裕が出来る中で、やっぱりこの人にしかできない素晴らしい接し方があると思う。
人生で得た余裕を活かして、お子さんに対して、ちょっとだけ「利他」的な生き方をしていく事が、話を聞いてもらうことへの近道なのかもしれませんね。
「誰かのため」をスタート地点にする事は、生きていく上で本当に大切な事だ。お釈迦さまも、まずは相手の話を聞く事からスタートされる事がほとんどだったと聞いている。僕たち僧侶も気をつけなきゃいけないね。
そうなんだよね。それがこの間やっちゃって。ご門徒のお宅にうかがったときの事なんだけど、つい調子に乗ってこっちの事ばかり話しちゃってさ……。
はいはい。
僧侶たちの議論はまだまだ続きますが、ひとまずここまで。
以上、みんなの人生僧談でした。何かのヒントになれば幸いです。
《本日の僧侶プロフィール》
田舎好き僧侶
大自然とスローライフをこよなく愛する僧侶。将来は畑をいじって暮らしたいと夢見る。
家電僧侶
学生時代から6年間、家電量販店でアルバイトをしていた僧侶。家電業界と接客について理解がある。
サイバー僧侶
お寺生まれIT育ち。趣味が高じてIT業界に進むも、自らの使命に気づき僧侶の道に。最新機器への物欲が目下の悩み。
「みんなの人生僧談」では、様々な経歴を持つ僧侶たちが、世の中のよくある悩みを勝手にテーマにして座談会形式で自由に話し合います。