「ポジティブになりたい」
≪本日の僧侶プロフィール≫
・コンサル僧侶
10年間、企業コンサルタントとして活躍するが、自身の人生を改めて振り返った時に、利益至上主義の生き方に限界を感じ、一念発起。僧侶となる。
・サイバー僧侶
お寺生まれIT育ち。趣味が高じてIT業界に進むも、自らの使命に気付き僧侶の道に。最新機器への物欲が目下の悩み。
・ネガティブ僧侶
いつからかは分からないが、気がつけば仕事も恋愛もネガティブ思考に。「ダメだダメだ」が口癖だが、僧侶としての向上心は人一倍。
≪本日の人生僧談≫
「ポジティブになりたい」
他の人の相談を受けると、ポジティブな解決法を見つけることが出来るのですが、自分のことになるとネガティブな考えしかでてきません。
ポジティブな人は自信を持っていると思い、自分も自信を持つようにしようと思ったのですが、自信が持てる要素がないと思い、結局またネガティブな考えに戻ってしまいました。どうしたらいいですか?
サ:ポジティブになりたいって言ってる時点で、この人は既にポジティブだと思うけど(笑)。
ネ:そうかもしれないけど、もうちょっとポジティブ・ネガティブについて考えてみようよ。この人は何でポジティブになりたいんだろうか。そもそもポジティブって良いことなの?
コ:ビジネスの世界では、経営者は結構ネガティブな人が多い印象を受ける。入念な準備と努力があってこそ、その言葉は説得力を持つもんだよ。
サ:見方を変えれば、ポジティブって楽観的とか空想的とも取られかねないし、ネガティブも冷静で地に足が付いている考え方ともいえる。どちらも単純に良い・悪いでは判断できない面をもつし、自信があるからポジティブとも言えない。
ネ:他人が外から見てると気がつかないかもしれないけど、ポジティブな人が四六時中、何も考えずに笑ってる訳じゃない。いつも笑ってる上司は、それはそれで怖いよ。
コ:みんなはポジティブ・ネガティブのどっちっていわれる?僕はよくポジティブって言われるけど、自分では決してそうは思っていない。
ネ:僕は自他共に認めるネガティブ。例えば待ち合わせをしてる場所に、約束の相手が来るだけでラッキーって思えたりもするし…。
サ:それすごい(笑)。でも、そういう考え方って許容範囲が広い気がする。例えば約束の相手が遅刻したり、急遽来れなくなったりしても、許せることが出来るってことでしょ。
コ:客観的に最悪のことを想定して行動していくのは、一つのリスク回避。ネガティブっていっても、そこに閉じこもって身動きが取れなくなるのは問題だけど、予期できることを色々と想定して、行動していくのは決して悪いことじゃないよね。
ネ:何事も不安だから頑張るし、心配だから努力もする。ネガティブがある意味、僕の向上心の源かもしれない。そう考えるとネガティブも捨てたものじゃない。
サ:この人は、他人の相談にしっかり解決策を提示してるんだよね。周りの人から相談を受けるってことは、この人が信頼されてるってことだし、何より物事を冷静に判断できている証拠なんじゃないかな。
ネ:相談者は他人の相談にはポジティブなことを言えるけど、いざ自分のことになると一歩を踏み出す自信が持てない。相談者は自信を持ちたいって言ってるけど、自信て一体何なのかな?
コ:自信っていっても、「自分は大丈夫」って、自分に言い聞かせて信じさせるものではないよね。そもそも本質的な自信ていうのは、自分から出てくるものじゃない。自分の中に自信探しをしても、本当の自信は見つからないと思う。
ネ:自分というものはどこまでもいっても未完成のものだし、間違いもして失敗もする存在。本当の自信ていうのは、単なる成功やスキルから手に入れるものじゃないと。
コ:本質的な自信は、他者から与えられるもの。失敗しても許される安心感。何があっても見捨てられることのない安堵感というものが、本当の自信になって一歩先へ足を踏み出すことが出来るんじゃないかな。
サ:自分の側に何があっても許してもらえる存在があるかどうか。それが仏であれ、親であれ、他者との温かなつながりを実感できているかどうか。そこに一度眼を向けてみると、今までになかった心が芽生えてくるかもしれない。
《中締め》
自分の考えているポジティブ・ネガティブの見方は一面的なもの。ネガティブも見方を変えれば素晴らしい意味を持つ。それにネガティブだから自信が持てないのではなく、自信は他者とのつながりによって確認することが出来るもの。一度、自分と周りとのつながりもチェックしてみよう。