「素直になりたい」
≪本日の僧侶プロフィール≫
・サブカル僧侶
TV・マンガ・音楽などの現代のサブカルチャーに造形が深いが、僧侶として「温故知新」の精神も忘れることがない。
・コンサル僧侶
10年間、企業コンサルタントとして活躍するが、自身の人生を改めて振り返った時に、利益至上主義の生き方に限界を感じ、一念発起。僧侶となる。
・サイバー僧侶
お寺生まれIT育ち。趣味が高じてIT業界に進むも、自らの使命に気付き僧侶の道に。最新機器への物欲が目下の悩み。
≪本日の人生僧談≫
「素直になりたい」
もっと素直になりたい。自分のことばでいろいろ伝えられるように。「あまのじゃく」という言葉に甘んじて、自分の気持ちを言えないのはもどかしいうえにもったいない気がする。
サイ:相談者は自分自身のことを「あまのじゃく」っていってるけど、周りの人間関係の中で、本来の自分とは違う自分を演じてるのかな?
サブ:おそらく相談者は自分の中に理想的な人物像があるんだけど、そことのギャップを感じているんだと思う。自分を演出するが故に、自分のおもむくままに生きることが出来ない、そんな思いを抱いてるんじゃないかな。
コ:相談者も「もどかしい」とか「もったいない」といっている。素の自分をもっと出せた方がいいと感じているし、今の自分の現状に満喫できていないこともよく認識している。
サイ:でも100%素直な人っていないよね?みんなも基本的にそうなんじゃないかな?
サブ:そこの強弱が問題だと思う。例えば結婚相手には出来るだけ自分が素直になれる人を選んだりするよね。だれかれ構わず素直になるのは問題だけど、素直になれる相手を探すっていうのは必要だと思う。
コ:「素直」っていう言葉も捉え方一つで印象が変わる気がする。「ありのままの自分を出すこと」って定義するのと、「自己中心的でわがままなこと」と捉えるのとでは印象が全然違ってくるでしょ。
サブ:ありのままの自分を出すっていうのも、ある意味勇気のいること。他者との信頼関係があって、初めて素直な感情を出せるようになってくるはずだし、信頼関係がなかったら相手もこっちの感情を受け入れてはくれないから。
サイ:良き理解者があって成立する関係性ではあるよね。
コ:会社や組織の中でも同じことが言える。上辺だけの装った関係の中で運営される組織は穴だらけで本質がない。お互いの意見を素直に言い合って、聞き合える関係性の中でこそ、組織は成熟するし成長もしていく。
サイ:だけど、素直だけでは当然生きていくことも出来ないと思うんだけど。上司や友人からの無理難題を素直に何でも聞いちゃう、みたいなのはちょっと違うと思うし。
コ:社会や人間関係といったコミュニティーで生きていくには、勿論、素直に正直だけで進んでいくには限度があるし、我慢したり折り合いをつけたりする必要性もどこかで絶対に出てくる。どっちかに偏るんじゃなくて、両方のバランスを取りながら生きていく様な、心のしなやかさも求められていると思う。
サイ:あえて素直になる必要もない気がする。そもそも素直な気持ちって無理に出すものじゃないし、それを素直とはいわないでしょ(笑)。素直がいいと決めつけることも出来ないし、素直だけが正しいとも限らない。それに今の自分がそのまま認められている場所がどこかにあるんじゃないかな。
サブ:家庭でも会社でも学校でもいいから、どこかで素直な自分を出せて受け入れてくれる相手がいる居場所を持つことは大切。そこでのつながりが自分の中の安心感になる。根底でつながり合える居場所があるからこそ、他の場所でも頑張れるし、戻ってこれる場所があるからこそ、前に進むことも出来るわけだから。
《中締め》
自分の心からわき出てくる気持ちを無視するのはつらいこと。素直な気持ちで相手と向き合い、受け容れられたら本当に幸せ。しかし、ありのままの自分というのは、どこでも出せるものではない。相手との信頼関係があって、初めて受け入れ合うことが出来るもの。それに素直な感情は無理に出すものでもない。無理をせずに素直な自分を出すことが出来る居場所を確認することが大切かもしれない。