「上手な叱り方を教えてほしい」【みんなの人生僧談】
今回のテーマは「上手な叱り方」。相手から理不尽に思われることなく叱るのは難しいことです。自分自身が部下として上司から叱られた体験や、子どもとして親から叱られた体験などを思い返してもみても、上手に叱られた体験というのはなかなかあるものではありません。どうすれば相手からに理不尽に思われることなく、上手に叱ることができるのでしょうか。そんな問題を、僧侶達が考えます。
サブカル僧侶(以下:サブ):相談者はすごく真面目な方だよね。しっかりと後輩を育てなきゃいけないっていう責任感と使命感を持っている。
サイバー僧侶(以下:サイ):もしかしたら、過去にいなかったタイプの後輩が入ってきたのかも。今までやってきた叱り方では、全く通じない後輩が遂に登場みたいな(汗)。
コンサル僧侶(以下:コ):これまでに後輩や部下を叱ってきた中で、これは困ったっていう経験はあった?
サブ:叱ってる途中、相手から「私はどうして怒られてるんだろう…?」みたいな反応が返ってくることがあったけど、これには困った。こうなると話が先に進まなくなるから。
コ:僕も同じような経験で悩んだことがある。一緒に同じ目的地へ進んでいくメンバーと自分の見ている場所、それに方向性や視点のズレがあるのが一番大きな問題だと思った。共に目的地へ到達することが目標だったら、じっくり話を聞いて互いの現在地を確認することが先決。
サイ:叱る前に、まずはお互いの立ち位置を確認する必要があると?
コ:叱るというのは聞くことと一緒。相手の問題を自分の問題として、まずは聞くことが大切だと思う。ただ大きな声をはり上げて注意することだけが叱ることじゃない。理不尽な叱り方っていうのは、結局そこに聞く私がいないから理不尽だと思われるんじゃないの。
サイ:確かに自分の言い分だけ主張したり、自分の立場だけ守ろうとしている先輩や上司に叱られても聞こうとしないよね。連帯感がないというか、この人と一緒の船に乗っているんだという感覚がないまま、先に進むのって結構しんどいもの。
サブ:あと相手の力量以上のことを要求して「何で出来ないんだ」って叱っても仕方がないし、理不尽なこと。人間誰だって得手不得手があるし、相手の今の力量やスキルを把握して、任せていくのも育てていく者の立場じゃないかな。
コ:叱るっていうのは、ある意味自分の実力が試されていることなのかもしれない。相手の立場、組織の中での立ち位置とかも理解した上で行動していかないといけないわけだから。
サイ:ちなみに世間では頭ごなしに叱るっていう、叱り方もあるよね。例えば伝統的な師弟関係を結んでる世界とかに、そんなイメージを勝手に持ってるんだけど。
サブ:信頼関係がなかったら出来ない叱り方だろうね。けど、いまの若い人たちって昔みたいに大人から叱られたり、怒られたりすることが少なくなってきているし、大人も大人で叱り方が分からなくなってる気がする。叱り方やリーダーシップ論関係の書籍が売れてるのも、時代を反映してる。
コ:でも無理矢理やらされるというか、がむしゃらにやっていかなければならない環境に身を置くのも大切な時がある。もしかしてそれが理不尽な要求でも、課題を達成する過程で結果的に自分のキャパシティーが広がってたり、スキルや力量が上がってたりすることもあるし。
サブ:良い先輩や上司って、後輩や部下の為に真剣に悩める人。自分の為に人を叱るのでなくて、結局、相手の立場をどれだけ感じて叱れているかに尽きる。相手のことが分かってるからこそ、適切な要求や課題も出せるし、たとえ失敗したとしてもしっかりとフォローが出来るわけだから。
《中締め》
叱る相手は千差万別。叱るということに、画一的なテクニックがあるわけではない。叱る相手の立場を理解し確認して、相手と一緒にどうなっていきたいのかを考えることが大切。その気持ちがあればこそ、あなたが後輩や部下のことを叱る心も相手に伝わっていくはず。
《本日の僧侶プロフィール》
・サブカル僧侶
TV・マンガ・音楽などの現代のサブカルチャーに造形が深いが、僧侶として「温故知新」の精神も忘れることがない。
・コンサル僧侶
10年間、企業コンサルタントとして活躍するが、自身の人生を改めて振り返った時に、利益至上主義の生き方に限界を感じ、一念発起。僧侶となる。
・サイバー僧侶
お寺生まれIT育ち。趣味が高じてIT業界に進むも、自らの使命に気付き僧侶の道に。最新機器への物欲が目下の悩み。