「年甲斐もなく情けないです、我ながら・・・。」【みんなの人生僧談】
今回のテーマは「高齢者と異性」。高齢者と言えば長寿健康ばかりが話題に上りますが、四六時中そればかり考えているわけではありません。歳を重ねても消えない恋心だってあるでしょう。異性に目が行ってしまうときもあるかもしれません。ですが、同時に心のどこかでそれを「年甲斐もない」と感じてしまう私たちがいるのも、また事実です。こうした高齢者の心の問題を、僧侶達はどう考えるのでしょう?
会社をリタイアし、悠々自適の生活を送っています。年を重ねたら、少しは悟りの境地へと近づくことができるかと思ったのですが、いまだについつい女性に目が向いてしまいます。年甲斐もなく、情けないです。
サイバー僧侶(以下:サ):お元気ですね。定年された生活を送られているということは、それなりのお年なのでしょうけど。
うどん系僧侶(以下:う):うーん、この相談は年齢には関係のない実に重要な問題かもしれないね。決してめずらしい悩みではなくて、多くの人が抱えているリアルな悩みだと思う。
サブカル僧侶(以下:サブ):相談者は正直で真面目な方だと思う。だからこういった悩みを真剣に抱かれたんだろうね。
う:ちなみにみんなは10代の頃から今に至るまで、異性に対する意識に何かしらの変化はあった?
サイ:僕自身、昔も今も何も変わってないかなあ。これって本能的なもので、例えば異性に気がいくのも、考えてから起こしてるものではなくて、本能的に起こしているものだと思う。
サブ:本能的な問題が、一番根の深い問題だからね。
う:悟りを目指す仏教の修行者も、異性をジロジロ見たりすることを禁じられている。僕らは何らかの対象を見ることによって、それに対するいろんな思いが本能的にわき起こってくる。だから自分の心を惑わすようなものを、単純に見なければいいという話が仏典の記述にも出てくる。
サブ:ある意味、合理的な考え方だよね。でもそういった方法も確かにあるかもしれないけど、人間は気になる対象を見たいという本能を事実として持ち合わせている。修行者ではない場合、この自分の気持ちとどう向き合って生きていけばいいのかな?
サイ:相談者の場合、いまの自分の状況を「情けない」って吐露されてるけど、これってどういう心境なのかな?何となく分かるような気もするんだけど。
サブ:「悟りの境地」とあるから、年を重ねるにつれて、心は清らかになって身も心も整っていくような理想像を抱いていたのかもしれない。その理想像と、そうではない現実の自分とのギャップに違和感があるから、「情けない」という言葉が出てきたんじゃないかな。
う:けど、僕たちも年配の方を見てどんな風に思ったりしてるだろう。もしかしたら、お年寄りはこうあるべきだ、という勝手なイメージを持ってはないだろうか?例えば、お年寄りに恋愛話は相応しくないとか。
サイ:確かに恋愛は若者だけの話題とか、気持ちであると決めつけるのはおかしいよね。異性への感情は年齢に関係なく存在するものだから。あんまり「情けない」と自分を責める必要もないかもしれない。
う:一方で、欲望のおもむくままに、自分の好き勝手に生きていきなさいというのは違うし、自分の欲望を滅しなさいというのも違う。そういう意味では自分の感情や欲と上手に付き合いながら生きていく必要があると思う。
サブ:そう考えると、相談者が抱いている「情けない」という気持ちはとても大切なもの。その思いが自分の中でのブレーキになっていくし、向き合っていくものにもなるから。
う:感情を否定するのではなくて、むしろその感情と向き合いながら社会の中で生きていく。それが自分自身の豊かな生き方につながっていくんだろうね。
《中締め》
異性に対する感情は、年を重ねるにつれて消えていくものでも、なくなっていくものでもない。単純にその感情を否定するのではなく、自分自身と向き合いながら、付き合って生きていく。そこに年を重ねた心境でしか感じることの出来ない生き方があるのかもしれない。
≪本日の僧侶プロフィール≫
・サブカル僧侶
TV・マンガ・音楽などの現代のサブカルチャーに造形が深いが、僧侶として「温故知新」の精神も忘れることがない。
・うどん系僧侶
出身地の影響もあってか、うどん中心の食生活を長年過ごしつつ、仏教研究にいそしむ。幼少期より、中国渡来のものに強い関心を示す。
・サイバー僧侶
お寺生まれIT育ち。趣味が高じてIT業界に進むも、自らの使命に気付き僧侶の道に。最新機器への物欲が目下の悩み。
「僧侶の部屋」では、様々な経歴を持つ僧侶たちが、世の中のよくある悩みを勝手にテーマにして座談会形式で自由に話し合います。