”聴く”伝道とは?-路上でグチを聴く「グチコレ」ー僧侶がグチを聴く意義~お互いさまの関係性~
”聴く”伝道とは?-路上でグチを聴く「グチコレ」ー
僧侶がグチを聴く意義~お互いさまの関係性~
グチコレの誕生から、実際の活動についてご紹介してきた「グチコレ」座談会。三回目の今回のテーマは「僧侶がグチを聴く意義〜お互いさまの関係性〜」です。
京都タワー前のグチコレの様子
—僧侶が街中でグチを聴くという光景自体珍しいことだと思いますが、反応はいかがですか?
藤原:基本的に私服で活動をしているのですが、来談者の方に聞かれたときに「実はお坊さんなんです」と答えると妙に納得されます。最初は路上に出ることに少し不安もあったのですが、社会の僧侶への期待は、捨てたもんじゃないなと励みに感じています。
高橋:社会の声によって、自分たち僧侶の特徴に気づかされることがありますよね。僧侶自身が、自分たちの価値や魅力に気づいていないことが多いです。たとえば、社会一般では皆、背伸びして生きているが、真宗の僧侶の世界は愚かさを見つめ続けることに価値がある。地で生きていいんだ、素でいいんだ、というのが社会から見ればすごく貴重なことだと思います。グチコレの活動を見ていてそう感じます。
葛野:来談者の方にとっても、僧侶がグチを聴いてくれるのはとてもよいことだと思います。なぜなら、普通グチを話す方は相手に悪いと思っちゃいますが、グチコレの場合は若手僧侶の聴く訓練のお手伝いをしていると思えば、気兼ねなく話せますしね。お互いに持ちつ持たれつな関係がよいですね。
高橋:誰かが犠牲になるのではなく、お互い様というバランスが大事ですね。それでこそ継続できると思うので。
藤原:そうですね。グチコレは、グチをくださってありがとうございます!というようなスタンスですから。フラットな関係ですね。
葛野:お互いさまに愚痴なる存在であるから、アドバイスをするのではなく、対等に聴くのですよね。
場所によってグチの傾向も違うことがあるそう
—来談者の方の中には、長時間グチを話すうちに自分の本音に気づく方もいらっしゃるそうですね。ともすれば、グチコレクターが鏡となって、来談者を内省的に真理に導いているように見えなくもないですが・・・?
葛野:そこは注意が必要ですね。私はカウンセリングの専門家ではありませんし、もしかするとカウンセリングが真実に導く、という要素があるのかもしれません。しかし、阿弥陀様のはたらきによる気付きは、内省的な目覚めとは異なります。そこはきちんとカウンセリングの効果と切り分けた方がよいでしょうね。
※この記事は「伝道」82号 2014年9月1日の記事を一部修正し掲載したものです。
現在グチコレは、僧侶に限らず様々な方々とご一緒に活動いただいております。
<対談者プロフィール>
葛野 洋明(かどの ひろあき)
龍谷大学大学院 実践真宗学研究科教授
浄土真宗本願寺派布教使
高橋 一仁(たかはし かずひと)
浄土真宗本願寺派総合研究所 研究員
藤原 邦洋(ふじはら くにひろ)
「グチコレ」初代代表
龍谷大学大学院 実践真宗学研究科修了
聞き手
加茂 順成(かも じゅんじょう)
浄土真宗本願寺派総合研究所 研究員
次回は、いよいよ最終回「“聴く”伝道〜仏の心を聞き、人の心を聴く〜」。是非お楽しみに!5/25更新予定!
2016.5/23更新