仏教も歌も同じ一つの道|三浦明利さんインタビュー<前編>
今回のインタビューのお相手は、奈良県吉野の光明寺住職、三浦明利さん。彼女は2011年7月、「ありがとう~私を包むすべてに~」でデビューした歌手でもある。テレビ、ラジオ、雑誌など、各種メディアに登場し、仏教の心を歌で伝え続けている。
歌うお坊さんになったわけ
ーー仏教の道に入るきっかけは?
三浦 明利さん(以下:三浦):住職である父が自分の道を優先して、家族もお寺も捨てて、出て行ってしまいました。それまで私は京都に下宿して、大学院に通いながらバンド活動をしていたのですが、何もかも捨ててお寺に帰ることになりました。
もともとお坊さんになりたいというか、お寺を守っていきたいというのは、小さい頃から一つの憧れだったので、嫌々帰るというわけではなかったですね。ただ、そのタイミングになるとは思っていませんでしたが。
ーーお寺に抵抗感はなかった?
三浦:なかったですね。嫌々するくらいならしない方がましよ、と母からも言われていましたし。お寺が楽しそうだったので、その仲間にいれていただけたらという思いでした。母や祖父、そしてご門徒さんが、右も左もわからない私を育ててくださいました。
ーーお寺と音楽は両立されたんですか?
三浦:仏事作法など、覚えることが多くて、最初のうちはお寺だけで精一杯でした。でも楽しかったですね。楽しくなかったら絶対できないタイプなので(笑)。
一年ほどして、ビハーラ本願寺・あそかビハーラクリニックという老人ホーム・緩和ケア施設から演奏のオファーをいただいたのが、音楽との再会でしたね。
あそかビハーラクリニックは緩和ケア施設なので、一週間など短い期間で亡くなる方が多くいらっしゃいます。私はバンド時代は特に、コンサートの数をこなしてましたので、演奏終わっても、「また次があるわ~」と考えていたのですが、「本当に一期一会だった」と気づかされました。コンサート一つ一つを大切に、真面目に取り組むようになりましたね。
それまでは「このギターのテクニックどうだ!」というような「魅せるライブ」をしていました。でも違ったんですね。聞いてくださっている方がいてこそ、一緒に楽しい空間ができて・・・なんというか、演奏者と聞く側の境界って実はなかったのだと知らされました。
ーーバンド活動されていたときには、気づかなかったことに気づかれたわけですね。
二つの顔
ーーどんなところで演奏されてるんですか?
三浦:お寺以外の場所に呼ばれることも少なくありません。たとえば人権の問題とか、教育に関して考える場などで講演をお願いされることもあります。
「なんでこんなところに呼ばれるのかな」と考えていました(笑)。「私で大丈夫?」って(笑)。
他にも、ショッピングモールでCD発売イベントをしたとき、衣を着て話していると辻説法をしているような不思議な気持ちになったことがあります。
ーーお坊さんの姿で出演?
三浦:ほとんどの場合お坊さんとして来てほしいから、「衣を着て、来て下さい」と言われます。「公共の場でいいの?」と初めは思っていましたが、ブレーキかけているのはこっちで、どうやら、仏教に対する社会のニーズはあるようなんです。「お坊さんとして」というニーズがあるところでは、衣姿で演奏することも自然なことだなと思っています。
逆に、お寺に呼ばれて演奏するときは「少し華やかにしてほしい。」とドレスを着ることも多いです。
ーー僧侶と歌手の二つの顔は、お話や演奏の中でも意識されてますか?
三浦:一度、いろんな方がおられるだろうと思って、仏教色をかなり薄めて講演したことがあります。そうすると、「もっと仏教の話を聞けると思った」と一般の方に言われたことがありました。
学校とか、美容系の学校とかにお呼びいただくこともあるのですが、「私美容のこと何もわからないんですが」とお答えしたら、仏教の事話してくれたらいいんですよ、と言われましたね。
仏教は新しい視点を提供できると思うので、いくつかお話を紹介させていただいて、どれか一つでも心に響いていただければいいかなあと思って、話させていただいたり、歌ったりしています。
そんなわけで、僧侶として歌っているので、二つの顔を意識することはありませんね。仏教も音楽も私にとっては一つの道です。
僧職図鑑04ー三浦明利(みうらあかり)ー<後編>
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