寺子屋あしたデザイン「お寺でからっぽ体験」No.006-「わたし」を休ませる-
寺子屋あしたデザイン「お寺でからっぽ体験」No.6 —「わたし」を休ませる —
「お寺でからっぽ体験」はお寺の御本堂で「わたし」を「からっぽ」にして休ませることを大切にしています。
とにかく忙しい年末年始。毎日が忙しくて仕方がなかった、という方も多いかと思います。
しかし「忙しすぎてパンク寸前」「やることが多すぎて逆に進まない」という方や「毎日忙しいはずなのにやることはちっとも進まない」「こんなに忙しく過ごしているのに一日が終わってみると何にも進んでない」という方もいらっしゃるのではないでしょうか。
毎日何かをしなければ、と焦る一方で逆に何も進まず、時間ばかりが浪費されていく。こういった「忙しさ」は本当に嫌なものです。最近の脳科学によれば、こういった「忙しさ」は情報過多による脳のオーバーロード状態であることが指摘されています。総務省管轄の情報通信政策研究所の発表によると現代日本人の一日に触れる情報量は江戸時代のほぼ一年分にも匹敵するとのこと。情報過多も当然なのかもしれません。
仏教では「わたし」とはこういった「情報への反応」であるともいわれています。モノを見て「どうしよう」と思う。話を聴いて「しなければ」と思う。匂いをかいで「なんだろう」と感じる。何かを読んで「したい」と考え、思い出す。こういった反応すべてが「わたし」の仕事であり、逆に「わたし」とはそういった情報に触れることによって勝手に働かされてしまうものなのです。また眠っている間も脳は起きている間にあったことを感情も含めて思い出して整理するそうですから、眠っている間も「わたし」は働いていることになります。
単純に考えても現代人の「わたし」は江戸時代に比べて365倍頭が働いているわけですから、どう考えても働きすぎです。
仏教は情報を制御し、その中でそんな「わたし」の働きを休ませ、こころの平静を得てきました。「お寺でからっぽ体験」は忙しく働く現代人の「わたし」を休ませ、落ち着きを取り戻すために、お寺の本堂で携帯電話をオフにして、目を閉じ、ヨガをして、お灸などをする活動をしています。
2016.1/5更新