今の生き方にふと疑問や違和感を感じる時に——健康×地域×寺院 おてらいふ
昨年12月16日に開催されたココロとカラダをゆったりさせる1日体験型の脱力イベント「おてらいふ」。今回はその内容を少しずつご紹介していきます。
—死を思えば、生きることがもっと豊かになるのかもしれない
みなさんは今の自分の生き方に、疑問や違和感を感じたことはあるでしょうか。物質的な豊かさに恵まれているはずなのに、私たちは何とも言えない閉塞感がある社会に生きている、ということをよく聞きますが、一体その原因はどこにあるのでしょうか。
今回のおてらいふでは、仏教の言葉が展示されました。展示の中には、時折、ドキッとさせられる様な言葉が綴られていました。
【大意】
朝には元気な顔であっても、夕べには白骨となってしまうような身です。
無常の風に吹かれると、二つの眼はたちまちに閉じ、一つの息はながく絶えて、元気な顔もたちまち美しいすがたを失ってしまいます。
そうなってしまえば、家族が集まって嘆き悲しんでも、どうしようもありません。
(浄土真宗教学研究所編『御文章 ひらがな版 -拝読のために-』本願寺出版1999 p.273-274)
厳しい言葉ではあるのですが、私たちのこの命は永遠ではなく、この命に終わりがあり、それはいつなんどき終えねばならないか分からないものだと知った瞬間に、きっと私たちは、自分の今の生き方で本当にいいのだろうか。と本当の意味での自分の生き方を問い直されるのではないでしょうか。
今回この展示を担当された寺子屋あしたデザインの大塚雄介さんは、展示終え、こんなコメントをくださいました。
「仏教は2500年にわたって人間の生老病死に代表される人間の苦悩を直視し続けてきた、極めてシビアな一面を持った宗教です。今回の試みはそんな一面を持つ仏教の言葉の中から、いのちに関するものと、それに関係するような美しい光景たちを組み合わせて展示してみようというものでした。何人もの人たちが何かを考えるような顔で作品を見てくださったのを見て、あらためて仏教の持つ真実の力に驚かされる思いです。仏典の現代語訳に関しては多くの先生の訳を参考にさせていただきましたが、その中でも特に中村元先生、そして佐藤裕之先生に心から感謝をささげたいと思います。」
きっと参加者の皆さんも、この言葉一つひとつからご自身の人生について改めて考える時間を持たれたのではないかと思います。そんなにすぐに答えのみえるものではないでしょうがお寺という場所で自分自身の「生き死に」を見つめる機会がもっと増えることによって、私たちの漠然とした閉塞感を打破する糸口が見つかるのかもしれません。
次回は、実際に参加者の方々で「死」について語ることによって「生」を考えるDeathカフェの様子をご紹介したいと思います。どうぞお楽しみに。
●おてらいふ公式web site
https://asitadesign.wixsite.com/otelife2017
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●実際に寺子屋あしたデザインの活動に参加したい方は是非下記をご覧下さい。
「お金をかけない東洋医学講座」をはじめ、お寺でヨガや、お灸の体験も紹介されています。
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