古寺を訪ねる会〜興福寺〜

鹿に囲まれながら、興福寺に行きました。

 

あやか:  「中金堂は再建中かー。江戸時代に焼失したんやね。」

あじゅ:  「興福寺って、日本史では炎上させられているイメージがある。」

あやか:  「確かに。」

あじゅ:  「興福寺は源平よね。あれ?松永久秀も、炎上させてなかったっけ?戦国系のゲームでそんなシーンがあった気がするんやけど…。」

 

 

あじゅ:  「私、古寺に入ってから、パソコンのピクチャフォルダに着々と五重塔の写真が貯まっていってる。」

あやか:  「五重塔はたいていのお寺にあるからね。」

あじゅ:  「皆が持ってる五重塔の写真を現像して、クイズか神経衰弱しようよ!!」

あやか:  「この五重塔は、どこのお寺でしょう的な?」

あじゅ:  「うん。正直、私は正解率低いよ!!」

 

【豆知識】

 興福寺は、平重衡(清盛の息子)の兵火によって一度伽藍の大半が焼失しています。そのとき復興に尽力し、多くの寺宝を作ったのが運慶達だそうです。松永久秀の兵火で焼失してしまったのは、東大寺でした。

 

【東金堂】

 

あじゅ:  「やっぱりセンターは、お釈迦様なんやね。」

あやか:  「ホントやね。でも、ここは石峯寺よりも、周りに仏像がいっぱいある。」

あじゅ:  「十二神将やね。私、中学の時に十二神将の名前全部覚えたな-。」

あやか:  「また、マニアックなものを…。何で?」

あじゅ:  「個人的趣味かな?好きだった小説に十二神将が出てきたんだよ。九州国立博物館に阿修羅と一緒にやって来たとき、十二神将のファイル2枚買ったくらいだし。」

 

【国宝館】

あやか:  「教科書で見たことあるのが、いっぱいある!!」

あじゅ:  「私、仏頭は、凄く記憶に残ってる。」

あやか:  「あった?」

あじゅ:  「うん。頭だけ?と見て思ったから、めっちゃ印象に残ってる。山田寺と関係があって、とか先生が言いよったはず。」

 

【豆知識】

 銅像仏頭は、もともと飛鳥にある飛鳥山田寺講堂本尊でしたが、平重衡により興福寺が焼失してしまったときに、東金堂本尊薬師如来像として迎えられました。その後、天災により本堂が焼失したときに、一緒に焼けてしまい頭部だけが残っています。

 

【あじゅ】

奈良市内には来たことが無かったため、阿修羅像などは展覧会で見たことがありましたが、実際のお寺の中で見るのは初めてでした。やはり、博物館で見るのと実際に安置されているお寺の中で見るのとでは、雰囲気が違うように感じました。また、東大寺や興福寺の周囲には、私の想像以上に鹿がおり、なかなかアグレッシブだったので、少し怖かったです。

   

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掲載日: 2014.07.15

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