農業×芸術×仏教〜昔の知恵に尋ねる今を生きるヒント〜第5回「敵と味方その2」

ごんラボ最初記事05—ご縁ラボとは

ご縁ラボ(70億人の井戸端会議)は、経済発展による物質的な充実に偏った豊かさとは異なる心豊かなあり方「自他共に心豊かに生きる」ことについて業種を超えて共に考え、行動するコミュニティです。浄土真宗本願寺派の僧侶がホストとなり様々なテーマに精通したゲストを招き会場の参加者とともに対話の時間を設けます。今回は「農業、芸術、仏教」をテーマとした10月20日に開催した会についてその様子をそのままにお伝えできればと思います。

 

<目次>

第1回 導入・ゲストとホストの紹介【https://tarikihongwan.net/goen_labo/8909.html

第2回 悲しみが好き【https://tarikihongwan.net/goen_labo/8962.html

第3回 社会に反して【https://tarikihongwan.net/?p=8982

第4回 敵と味方その1【https://tarikihongwan.net/?p=8991

第5回 敵と味方その2

第6回 あいまいな対話・最後に一言

 

会の進め方

今回の会は「曼荼羅トーク」というやり方で会を進めて参ります。曼荼羅トークとは、ウェブマガジンgreenz(http://greenz.jp)の元編集長の兼松佳宏さんが、編み出された「沢山の言葉とであいのお土産」があるという魅力的な手法です。

少し簡単に説明させていただくと、最初に登壇者の方々に各分野からのキーワードを数個出していただき、参加者の方々に聞きたいキーワードをその中からまず1つ選んでいただきます。また、選んでいただいた参加者の方々には、なぜそのテーマを選ばれたのか少しお話を伺い、それから、登壇者の方々にキーワードを中心にお話を伺っていく。という様な流れで進んで参ります。

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菱川さん、丘山所長が出してくださったテーマ

菱川

参加者:もう少し、的と味方についてお話を聞かせてください。

菱川:ありがとうございます。最近私が思っているのは、自分の部分の境界でいうと、生と死の境界もあいまいになっているんです。で、いつ生まれていつ死ぬかっていうのは、それほどの意味がどこにあるのか、いや意味はないと思っているんですよ。

稲もそうなんですよ。いつ稲はうまれましたかっていうのは分からないんですよね。たねもみで、5年10年、ひょっとすると縄文時代にあったお米も発芽するんですよ。そうするとお米は死んでないとも言えますし、でいつ生まれたのかも分からない。先ほど、はさがけの写真がありましたけれど、あの状態でも生きているんです。なんかみんな切ったら死ぬって、思っていらっしゃいますけど、実際田畑に立つと全然違ってまして、ひっくりかえりながら、存分に生きているんですよ。

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何がいいたいかというと誰もが響きあっているんですね。そう思うと、過去を紐解いていくと、あなたと私になんの境界があるのかというと、ひょっとしたらないのかもしれない。そう考えていくとコミューンというか、その分ける事自体、意味がないと思うんです。自分はこういう人間だって、こういうところに属しているって思っていても、実はテロ的なものも全部備わっていると思っているんです。ある日、ある環境でテロリストになるんだなぁって、自分で思っているんですよ。つまり、自分はこの今もテロとも響きあっているってことやと思うんですよ。誰とでも、響きあっているということを、僕は農業の世界や芸術の世界で思ったんですけれども、そうすると皆さん、地球と月が響きあっていることも勉強されていて分かっていると思うし、太陽と地球も響きあっていると。太陽系も響きあっている。銀河系の間で、太陽系も響きあっていて月やら地球やらみんな響きあっていて、周囲を回っている、じゃぁ、銀河系で外とは繋がってないという風に思う方に無理がありますよね。そうなると宇宙と自分全体も繋がっているという。

じゃぁ、私の境界はなくなるんですよね。それが田畑に立っていたら分かって。だから丘山さんと私は一緒なんですよ。そういう意味でいうと、皆さんと一緒。存分に依存するしかなくて、その中で、自分はすごくちっぽけな存在で、それが意外と楽しくて、今の暮らしをしています。そして、そのきっかけは頭ではなく、身体っていう自然の一部がそれを紐解いてくれる。

それで一言足させていただくと芸術活動の俳句とかは別として、人間は言葉で表現するときに、多くの意味だったり、情報を削ぎ落としてしまっているんです。でもたとえばコピーライターがキャッチフレーズを考えるときは、いろいろと言いたいことを削ぎ落として、削ぎ落として、一言の文章にするんですけど、そのときに言いたかったこと、削ぎ落としたことが伝わるような表現をする。それは読み手に委ねているところがあって、言いたいことを全部伝えるのは無理なので、芸術を表現する人と、それを見聞きする人っていうのは、そういう意味ではすごく曖昧に響きあっていると思っていて、その響き合いがしたくて、芸術活動をしているんだと思います。

 

次回のテーマはついに最終回!「あいまいな対話・最後に一言」です。どうぞお楽しみに。

2017.5/12更新

 

   

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掲載日: 2017.05.12

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