農業×芸術×仏教〜昔の知恵に尋ねる今を生きるヒント〜第6回 「曖昧な対話」

ごんラボ最初記事05—ご縁ラボとは

ご縁ラボ(70億人の井戸端会議)は、経済発展による物質的な充実に偏った豊かさとは異なる心豊かなあり方「自他共に心豊かに生きる」ことについて業種を超えて共に考え、行動するコミュニティです。浄土真宗本願寺派の僧侶がホストとなり様々なテーマに精通したゲストを招き会場の参加者とともに対話の時間を設けます。今回は「農業、芸術、仏教」をテーマとした昨年秋に開催した会についてその様子をそのままにお伝えできればと思います。

 

<目次>

第1回 導入・ゲストとホストの紹介

第2回 悲しみが好き

第3回 社会に反して

第4回 敵と味方その1

第5回 敵と味方その2

第6回 あいまいな対話・最後に一言

 

会の進め方

今回の会は「曼荼羅トーク」というやり方で会を進めて参ります。曼荼羅トークとは、ウェブマガジンgreenz(http://greenz.jp)の元編集長の兼松佳宏さんが、編み出された「沢山の言葉とであいのお土産」があるという魅力的な手法です。

少し簡単に説明させていただくと、最初に登壇者の方々に各分野からのキーワードを数個出していただき、参加者の方々に聞きたいキーワードをその中からまず1つ選んでいただきます。また、選んでいただいた参加者の方々には、なぜそのテーマを選ばれたのか少しお話を伺い、それから、登壇者の方々にキーワードを中心にお話を伺っていく。という様な流れで進んで参ります。

菱川氏、丘山所長に挙げていただいたテーマ

菱川氏、丘山所長に挙げていただいたテーマ

 

—あいまいな対話

質問者:「あいまいな対話」についてお話をうかがいたいです。というのは、実は私は、面白いことを話すのがまったく無理な人間でして。

例えば、芸人さんの世界で新人の芸人を話せなくするには「お前、何か面白いことを話して」って言ったら、大体その芸人は話せなくなるといわれているそうです。「この話をして」と限定されるとどんどん話せなくなっていく。むしろ、特にテーマを決めないで、なんの意味もないおしゃべりの中に意味のある発見が生まれたりするきがするんです。そういうことを自分では考えたりするので、この曖昧な対話って、一体どういうことなのかお話をうかがいたいです。

 

菱川:私、実は小さい頃、話すことが苦手だったと自己紹介をさせてもらったのですが、今お話し下さったことって、その辺のことが関係しているんじゃないかなぁって思うんです。芸術から農業に。そして、今は農業と芸術に同時に携わっているんですけれども、その芸術って、そもそもどうやって表現をしているのかっていうことを考えるんです。創造するのだから、無から作るっていう人がいますけど、生まれてからずっと真四角の真っ白な部屋にいるだけであったら、人間は多分、創作活動はできなくなる。つまりそれはどういうことかというと、何かを表現できるって言うのは結局、いろんな自然、体験がなせる技だと思うんです。もしも真っ白な部屋の中で成長して、それでも何かを描けるとしたら、それは多分、DNA、ご先祖のお陰で何かが描けるっていうことなんじゃないでしょうか。
また、私達は様々な想いがあって表現をしますが、反対に、受け取る側は、そのままに表現のその奥の想いを受け取ることはできないんです。じゃ、受け取る側はどのように受け取るかというと、実は、自然体験がベースなんです。自然体験がベースになってこれが気持ちがいいとか、気持ちが悪いとか判断をしているんです。一体どういうことかというと、例えばロボットが、こっちの絵が気持ちいいとか、気持ち悪いとか、判断できないんです。
さらに自然体と言えば、リズムについても、不規則な風のせせらぎ蝉の鳴き声が心地よく感じたり、反対に、しっかり等分に刻むと雑音になったりうるさくなったりするんです。
私はそうであるけれども、一人ひとり違う人生、自然体験をしているんです。同じものでも、受け取り方が違うんです。そこを任せられるのが非常に気持ちがよくて。そういう風な気持ちで対話がしたいんですよね。
だから、僕はこういう風に話しているけれども、この言葉にとらわれないで、受け取ってほしいと思うんです。言葉だとすぐに、とらわれちゃうんですよね。ここから30センチ行ってくださいって言ったら、本当は25センチでもいいのに聞いた人はきっちり30センチ計って行ってしまう。
でも芸術だとそこまで厳密にはならない。だからこそ、とらわれずに非常に心地よくコミュニケーション出来る気がするんです。さらには、他者とのやり取りだけではなく、自分の中にも様々な価値観があるので、自分で自分に対話する為にやってるところもあって。自分の中で、今こう思うけれど、どう思う?っていうような作業、が芸術にはある気がするんです。そういう曖昧なコミュニケーションを楽しむのが私にとっては、芸術表現の一つですね。答えにはなってないのですけど。丘山さん、どうでした。たまには、ふっとかないとね(笑)

図1

丘山:ありがとう(笑)ぼくはね、「議論、対話、戯論」っていう言葉を瞬間的に思いました。僕は議論が嫌いで、議論はどちらかが強くてどちらの方が筋が通っているとか勝ち負けがある。戯論っていうのは、なんか意味ない話をしている。
面白いことを話そうって言うのは、人が何を面白さに感じるかはそれぞれだけど、ぼくはなんとなく今さっき菱川さんが話してくれた様なこととか、生きることを、話すのが好きで、それも押しつけるわけではなくて、僕はこう思うんだぁ〜とかいって、それに誘発されて、ぼくはこんな風に思うんだ〜っていうのが好きだな。なんかをきっちり明らかにしようっていうのではなくて、そういうので言えば何か響きあえる、僕は芸術的な表現は出来ないから、言葉でもそういうことが出来るんじゃないかなぁって思っています。言葉に捕われるのではなくて、言葉に振り回されるのではなくて、なんかそういうお話が出来たらいいなっていつも思います。

 

菱川:そうですね。話の流れに添う様に話さなきゃいけない。とか、面白いこと、そういう様な話をしなきゃいけないっていうのはつらくて、何をしゃべってもいいと思うんです。結局伝わるんです。何をしゃべっていようとも、全然とんちんかんなことを言っていても、伝わるはずなんです。
なぜならば、お互いが共有できる様な、自然のパターンがあるはずなんです。それはどういうことかというと、心地よい、心地悪い、というのは、自然のパターンっていうものに起因していて、雷のパターン、人間の血管の流れ方のパターン、あと葉っぱの葉脈のパターン、これは総じて同じらしいんですよ。結局、自然界にあるものが心地よいってなってるんですよね。絵も音楽も。そうなると、お互いが共有できるところに自然のパターンって言うのがあって、なんだかそれが芸術表現の元になっているとすると、曖昧なコミュニケーションってだから成り立っているのかなと。そこがあるので、本当は言葉も曖昧に発していたい。
言葉を表面だけとって批判する様なことがありますけど、本当は、2つ意味があったりするのに、片方の意味だけとらえて、こんなことを言うやつはけしからんっていうけれども、そこは少し違うんじゃないかと思っています。本当は言葉も自由にお互いに使っていきたい。

 

司会:ありがとうございます。ご質問された方は、お話を聞かれていかがですか。

 

参加者:お話を聞いていて、自分は曖昧なぼんやりとした会話がしたいんだって分かりました。相手を不快にしないとか、適当な大きなルールとかがある曖昧な会話の方が楽しんじゃないかな、と「曖昧さ」の大事さを再確認しました。

 

丘山:今、菱川さんが言ってくれたんだけれども、こういう場所でも、なんか話さなきゃいけないとか、そういうことは吹っ切りたい。僕は、特に若い人と話していて、なかなか発言しづらい時があるみたいで、どうして?ってきくと「こんなこと言っちゃいけない」って、そういうのが今、多いですね。思ったままに語れる、それが面白いって思います。思っていることを、ストレートに、言った方が相手も新しい発見が出来て面白いんじゃないかな。

 

菱川:「言っちゃダメ」って言う人が出てきていますよね。

 

丘山:そうだね。そういう意味で言いたいことを言えたらいいなって思うな。そういう時って自分にとらわれすぎているんじゃないかな。こういうこといったらどう思われるのかなぁって。そんな自分なんてそもそもないんじゃない?って。守るべき自分とか、そんなものとか。自分とかいう意識って、自分を閉じ込めてしまう。そんな壁、境界線なんて自分が勝手に作り出したものでしょう?自分とかって、ほんとはそんな境界線なんて曖昧で、気にしなくていいんじゃないかなぁって。

 

菱川:自分がダメでもいいんですよね。自分がダメなら、みんなもダメなんだから。

 

丘山:そうだね、そして僕が思っているのは、自分はからっぽだなってことかな。からっぽってね、自分って何なんだろうって考えていくと、たまねぎをむいていくようなもんで、結局からっぽでしょう。守るべき自分、プライドなんて、みーんな妄想だと僕は思うから。

 

司会:菱川さん、丘山所長ありがとうございました。では最後に参加者の皆さんに今感じていることを一言ずつお話しいただきたいと思います。

 

一人一人気づきをポストイットに書いて発表いただきました

一人一人気づきをポストイットに書いて発表いただきました

 

図3

—最後に

司会:では最後にお2人から、一言づつお願いできますか。

 

菱川:自分勝手ですけれども、自分の発していることと返ってくる言葉によって、もっと深くというか、色んな新しい発見をしたいと思って。実は参加者のつもりで参りました。存分に参加してよかったなぁと思いました。丘山さんのことを好きになりました。

 

丘山:すごく最初心配していたんですが、今最後に参加者の皆さんが一言語ってくださった言葉をみんな本気で言ってくれたならば、とってもとってもうれしいなぁという風に思っています。正直少し疲れました。ただ、疲れって僕好きで、こないだあることをやっていて自分が80%くらいしか、想いを語れなくて、そういう時って疲れないんです。今は、力がすとんって抜ける心地よい疲れです。本当に、有り難うございました。

 

図4

2017. 5/17 更新

   

Author

 

他力本願ネット

人生100年時代の仏教ウェブメディア

「他力本願ネット」は浄土真宗本願寺派(西本願寺)が運営するウェブメティアです。 私たちの生活の悩みや関心と仏教の知恵の接点となり、豊かな生き方のヒントが見つかる場所を目指しています。

≫もっと詳しく

≫トップページへ

≫公式Facebook

掲載日: 2017.05.17

アーカイブ