四方八方、十方丸く ー遠い国の人々を支援するということNo.1ー

四方八方、十方丸くー遠い国の人々を支援するということNo.1ー
チボリ国際里親の会 元会長 南昌宏氏
 
【第1回】
NPO 法人 JIPPOと関わりあいの深い、フィリピン・ミンダナオ島に住む先住民族チボリ族を支援する「チボリ国際里親の会」の元会長である、南昌宏氏に「遠い国の人々を支援するということ」をテーマにお話をお伺いします。フィリピンのチボリ族に対する具体的な活動を通じし、国際理解、教育を今度、どのように考えていくかについて話していただきました。
 
 
里親を迎えるために集まった子どもたち里親を迎えるために集まった子どもたち
 
インタビュアー(以下「イ」):それでは、先ず活動を始めるキッカケについて教えてください。
 
南氏(下記「南」):1980年くらいのことです。私は小学校の先生をしていました。その頃、もっと国際社会に目を向けようということで、「国際理解教育」というカリキュラムが考えられていました。学校で英語の時間を持とうとか、あるいは、アメリカ出身で日本在中の方を学校に呼んで授業をしてもらおうということが主でした。そのように、英語圏に関係する行事とか、人を呼ぶことが国際理解に役立つとイメージされていた時代です。
 
イ:そういえば、私の小学校でもオーストラリア出身の方が月に1回学校に来て、授業をしてくれていました。
 
南:私もそれに抵抗なく、そうだなと受け止めていました。しかし、そんな考えがガラっと変わる出会いがありました。ある新聞記事で、山口大学の先生がフィリピンの少数民族であるチボリ族という先住民族の様子を紹介していました。日本では考えられないような生活をいまだにしている人たちがいて、そこの子どもたちは、学校という場を失っていることを知ったのです。
 
イ:教育を受けられない環境なわけですね。
 
南:しかし、この民族は、学校教育を大変望んでいる。学校教育がないと、自分たちの民族は生存できないかもしれないという危機感をもっている。そういう危うい思いをもった人たちがいることを知り、その先生はチボリ族の住むミンダナオ島に行かれたそうです。
 
イ:行動力のある先生ですね。
 
南:チボリ族という民族は、山中の道なき道を歩いて行ったところに点々とある住居に住んでいる。実際に子どもたちは学校に行ってないし、そもそも学校そのものがない。例え学校を建てることができたとしても、先生を雇うような費用もない。そういう現状を見聞きしたそうです。
 
イ:八方塞がりですね。
 
南:そのような状況を目の当たりにして、自分にできることは何かを考えた。先生は、現地でそのような状況を案内してくれた現地のボランティア団体の人と個人的に接触したわけです。
 
イ:具体的にアクションを起こそうと考えられたんですね。
 
南:先生は先ず、日本の人たちにこの実状を報告して、こんなとこがあるんだということを知ってもらおうと新聞報道しました。そして、チボリ族の子どもたちの里親になることで学校を建設することはできないかと動き始めました。私もちょうど国際理解教育について、どのようにすれば良いんだと悩んでいた時期だったので、その記事を見て「これだ」と思って、すぐ先生のところに電話をしました。
 
 
イ:自分が悩み悶々と考えていたことと、里親制度の活動が、何か重なりあうような感覚があったんですか。
 
南:その通りです。同じ県内で、割と近いところだったので、先生のところに行って、色々とお話を伺いました。やっぱり、山口大学の先生だったということもあり、山口県内の人たちの反響が大きかったようです。私の他にも数十名の人が、何か協力したいと集まりました。打合せを何度も重ね、事務局を作り、ある程度運営ができる体制を整えていきました。
 
イ:どのような方法で学校建設を進められたんですか?
 
南:里親をたくさん募って、そこで集まったお金を現地のボランティア団体に渡す。そのお金を使って先生を雇い、校舎を建設していくチボリ族の教育支援プロジェクトが動き始めたわけです。新聞やテレビなどを使って、全国に呼びかけることで、多くの方に関心をもってもらうことができました。
 
イ:1980年から、何年間活動されたのですか?
 
南:2013年に活動を停止しました。このことは、また後にお話させていただきますね。33年間、教育支援をし、最終的には、会長までさせていただきました。
 
イ:33年間、それはすごいですね。先ほど、山口大学の先生がチボリ族を紹介されている新聞記事を読み、国際理解教育について悩んでいたこととリンクしたと仰っていましたが、もう少し詳しく教えてください。
 
南:私は国際理解といいながらも、ヨーロッパやアメリカの人たちの理解にばかりに走っていたことを反省しました。これはいってみれば、明治時代の文明開化を思わせるようなことだと思いました。
 
イ:西洋コンプレックス的な感じですかね。
 
南:そういうことですね。「欧米社会に追いつけ追い越せ」ということに、いまだにしがみついている。そして、そのことに国際理解を求めていることの反省ですね。先進諸国を理解することが国際理解だという風潮に違和感を覚え始めました。
 
同じアジアにいながらにして、これほどの格差があることを知らないままに先端ばかりを見つめていたら、これはちょっと危ないよなと、その記事を読んで感じました。そして、私もチボリ族を支援する、その里親の一員になりたいと思ったのが、活動に参加した動機です。
 
イ:なるほど。それまでの一元的な視点を反省されたのが、活動の原動力になったんですね。
 
南:その新聞記事を読み、チボリ族の人たちに対する関心が出てきて、色々と調べるようになりました。そうすると、チボリ族が住むミンダナオ島は建築材料によく使われているラワン材の原生林がある島だということが分かりました。
 
日本の学校の柱も、壁の枠も、各所にでラワン材が使用されている。ミンダナオ島からラワン材が輸入されて、この学校の一部になっているんだということが見えてきたんです。
 
 
「小学校の職員室で給食を共にしながら交流」(右から1人目南氏)小学校の職員室で給食を共にしながら交流(右から1人目南氏)
 
イ:なるほど。
 
南:さらにショックだったのが、チボリ族は、現地のバイヤーに上手に安い金額で買い叩かれちゃって、ラワン材の原生林を土地ごと全部売ってしまった。そして、結局、住むところがなくなってしまい、山中に住まわざるを得なくなったそうです。平地を奪われ、山に住み、田畑も作れない。そういう不便なところに住むしかないという状況になったゆえに、子どもたちは、学校に行けなくなってしまったんですよ。
 
イ:快適に授業ができ、学校生活を送れるのは、現地の人をそのような状況に追い込んだゆえにできているのかもしれないということですね。もしかしたら、私たちの豊かさは、誰かの犠牲の上で成り立っている…というような感覚でしょうか。
 
南:その通りです。だから、国際理解をするということは、まさに自分の置かれたことが、どういう関わり合いの中でできているんだということに目を向けることだ、と考えるようになりました。これを国際理解というべきだと、自分なりに考えて、西欧かぶれのような、理解の仕方に走る傾向を止めなきゃいけないなと考えるようになりました。
 
イ:国際理解教育の根本となるような部分にメスをいれたわけですね。
 
南:その目的を果たしていくためには、私はどうしたらいいだろうと考えるようになりました。それはね、もうすでに出来上がっているテキストなどの教材研究などでは、成り立たない。多くの授業が、印刷されたものを媒体として、それを子どもたちに解釈させていく営みで終わってしまうのだけれども、私は、そこには血肉が入っていないと思うのです。
 
だから、私が里親になって、現地に行って、そこの子どもたちの実状を見聞きすることが必要だ。現地で得たことを持ち帰って、そのことを子どもに伝えることによって、本当の理解につなげたいと考えたのです。
 
イ:なるほど。教科書ではなくて自身の経験を柱として、子どもたちに伝えていこうとされたんですね。
 
南:私自身が経験していることを語るのだから、嘘も隠しごともないから、本当のことを子どもに伝えられる。実際に現地で触れて知ったこと、身体で感じ分かったことを間接的であったとしても子どもたちに伝えることの方が、本当の意味で世界を理解していく一つの方法になるだろうと考えるようになりました。自分の経験を上乗せして、子どもたちに伝えていくことができれば、単に教科書の文字面を伝えるだけの授業に陥らずにすむ。
 
イ:熱い先生ですね。
 
南:それが子どもたちの心を動かしていく力になると思っています。こうした授業に子どもが関心を持ってくれたら、自分に何か縁があったときに、自分も関わりたいと思ってくれるでしょう。単に教科書を読んで、西洋の限定された知識だけで国際理解をやったというのでは、行動に移すことはなかなか難しいでしょう。先生が熱く語ってくれた、あの先生の、あの体験というのはまだ頭に残っているよとなってくれれば、そのときの勉強は大きな意味を持ってくるんだと信じています。
 
イ:こんな先生に出会いたかったです。
 
南:あはは。たまたま縁あって現地に関心を持つことから始まったけれども、私はその人たちに何かしてあげたいという思いよりも、自分がしようと思うことに対して、「あっ、本当にやらないといけないことはそうじゃなかった」と気づきを与えてくれたということでしょうかね。僕の方向転換をしてくれた。自分なりの勝手な見方、考え方を転換させてくれたというのが大きな経験ですね。
 
イ:チボリ族の生活を知ることによって、自分のモノサシとか、物の見方が揺らいだ、変化していったんですね。
 
南:自分もそういうものに関わらせてもらえるようになったということで、本当の理解ができるようになった。自分だって、そういう活動を知らなかったらね、見てみぬふりしてるか、あるいは知らないままで終わってしまう世界です。それを知るということから始まって、そこに身を置いて知り得たことは、とても自分を変えていく力になったなと思います。だから、それを子どもたちに伝えたい。子どもも、そんな風に育ってもらえると良いなと思っています。
 
次回(2015.8.7更新予定)は「活動の概要と理念」についてお伺いします。
 
2015.7.31更新
 
フィリピン・ミンダナオ島フィリピン・ミンダナオ島(googleマップより)
 
   

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掲載日: 2015.07.31

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