野宿者という生き方 第1回「飯食うためにしゃあないな」
四方八方、十方丸く
「平和構築」、「貧困問題」と「環境問題」の解決、「災害支援・復興」の目的完遂、これらに向けて各種事業活動を展開しているNPO法人JIPPOは、「すべての存在と営みは互いに関係しあい支えあっている」という仏教の縁起の教えにのっとり、親鸞聖人の「世のなか安穏なれ」という願いのもと、浄土真宗本願寺派の社会事業活動の一環として、2008年に設立されました。
ここではJIPPOの活動の一つである、野宿者支援をテーマに、京都市における野宿者の現状とJIPPOの支援内容をレポートします。また、JIPPOが支援する野宿者に生い立ちや、野宿をするようになった経緯、さらには幸せや豊かさについて、思うところを聞きました。
野宿者という生き方
【第1回】
「飯食うためにしゃあないな」
インタビュアー(以下、イ):タカハシ(仮名)さんが野宿者となった理由を教えてください。
タカハシさん(以下、タ):きっかけは、結局は不始末やな。
イ:どのような不始末ですか?
タ:ギャンブルやな。競馬が好きで、昭和46年からやってるから。もう、40年以上やってることになるな。競馬だけじゃないんやけどな。
イ:競馬を40年…大先輩。
タ:おっ、お兄ちゃんもするんか?
イ:お遊び程度です。ギャンブルの不始末、他人事とは思えません。(笑)
タ:気をつけろよ。(笑)お遊びぐらいが丁度良いわ。
イ:肝に銘じます。お仕事は何をされてきたんですか?
タ:仕事も色んなことしてきたな、職業的には20ぐらいはある。
イ:そんなに多くのお仕事を。
タ:だから、ある程度の一般的な知識はあるよ。色々と体験してきたから。
イ:具体的には、どのような仕事を?
タ:一番最近やったら、解体業。最近言うても、もう10年以上前やけど。それから水道、下水工事。道路の舗装とか。それと、水商売。
イ:水商売って、夜のですか?
タ:そう、祇園で仕事してた。ワシが最初に京都に来たのは、昭和41年。それから12年ほど、友禅の仕事をしてた。
イ:友禅、染物ですか?
タ:そう、染め専門。婚礼の時に着る紋付があるやろう、あれを専門で染めてた。
イ:本当に幅広いお仕事されたんですね。何で、友禅を辞められたんですか?
タ:不況が訪れて、友禅も危なくなると思った。本当に危なくなる2年ほど前に辞めたかな。だから、その後、日雇いの仕事を、それは色々したよ。そして、平成15年の夏にホームレスになった。もうここで11年や。
イ:11年…大ベテランじゃないですか。
タ:この河川敷も、今は2人しかおらんけど、昔はもっと人がおったよ。ここを離れていった人の中には、生活保護を受けた人もおるし、悪いことして捕まった人もおる、場所変わった人もおるし、死んだ人もおる。
イ:この場所にも歴史があるんですね。
タ:そうやな。
イ:友禅の仕事を辞められて、その後、他の職を転々とされた。その後、野宿者になったきっかけは、ギャンブルだけだったんですか?
タ:ギャンブルのこともあるけど、自然の成り行きやな。もう今年で12年目。 最後に仕事を探したのが、53、4歳の時やから。仕事探しに行っても、年齢的にいろいろとひっかかる時やってな。ワシ、ここにおっても2、3カ所仕事行ったときあったんやけどな。だけど、健康診断でひっかかってしまってな。血圧が高いから。だからやめざるを得なかった。いま、日雇いでも、必ず健康診断出さなあかんから。昔と違って、いまはそういうシステムやから。血圧が高すぎて辞めざるを得なかったし、他の仕事も見つからんやった。
イ:日雇いの仕事をいくら探しても無理だから、どうしようもなく野宿者になったという感じですか?
タ:飯食うためにしゃあない。
野宿者という生き方 第2回「親」
2016 8/26更新