野宿者という生き方 第3回「生きるために幸せを掴むんや」

おっちゃん

野宿者という生き方 第3回
「生きるために幸せを掴むんや」

 
四方八方、十方丸く
 
「平和構築」、「貧困問題」と「環境問題」の解決、「災害支援・復興」の目的完遂、これらに向けて各種事業活動を展開しているNPO法人JIPPOは、「すべての存在と営みは互いに関係しあい支えあっている」という仏教の縁起の教えにのっとり、親鸞聖人の「世のなか安穏なれ」という願いのもと、浄土真宗本願寺派の社会事業活動の一環として、2008年に設立されました。
 
ここではJIPPOの活動の一つである、野宿者支援をテーマに、京都市における野宿者の現状とJIPPOの支援内容をレポートします。また、JIPPOが支援する野宿者に生い立ちや、野宿をするようになった経緯、さらには幸せや豊かさについて、思うところを聞きました。
 
 
野宿者という生き方
 
【第3回】
「生きるために幸せを掴むんや」
 
野宿者3
 
インタビュアー(以下、イ):タカハシさん(仮名)にとって、豊かさって何ですか?
 
タカハシさん(以下、タ):お金やな。
 
イ:なるほど。タカハシさんに言われると、すごく重みを感じます。
 
タ:まぁ、それだけじゃないけどな。
 
イ:と、言うのは?
 
タ:何のために働くのか、何のために生きるのかっていうのは、お金を手に入れる、増やしていくためにしているわけじゃないわな。そりゃ、お金の優先順位は高いわ。ただ、お金があれば幸せになれるかと言えば、それはそうじゃない。お金があっても幸せとは限らへん。
 
イ:どういう意味ですか?
 
タ:幸せっていっても、人それぞれ、立場や考え方によって、全然違うやん。幸せの段階がな。だから、金があったからって、幸せとは限らへんし。そもそも、「幸せ」って何やっていうのが問題やな。
 
イ:なるほど。「幸せ」の定義か…難しい。たぶん、幸せになりたくないって言う人はあまりいないじゃないですか。
 
タ:そりゃ、みんな幸せになりたいやろう。
 
イ:そうすると、「生きていく」ことは、ある意味、「幸せになるために生きている」って、言ってもいいんですかね?
 
タ:いや、逆や。皆勘違いしとる。「幸せになるために生きている」わけでなく、「生きるために幸せを掴む」。分かるか?幸せ掴むために生きているんじゃない。生きるために幸せを掴みたいんや。
 
イ:うーん、なるほど。奥深い。
 
タ:ワシはそう思う。人それぞれによって立場が色々違うから一概には言えへんけど。人それぞれの立場で、色々な条件もついてくるからな。
 
イ:生まれた以上は生きていくんですもんね。でも、生きていこうと思うと、幸せを掴んでいかないといけない、と。
 
タ:生まれた以上は生きる権利があるわな。ましてや、生きたいやん。ところが、戦争とか人が人を殺すわな。何で、そんなことすんねん。無茶苦茶やで。
 
イ:確かに、そうですね。タカハシさんにとって、幸せって何ですか?
 
タ:幸せって、ワシにはもうないんや。幸せとかは求めてへん。だから、ワシが今生きているのは、時間がある限り生きているだけのことや。せやから、何にも望みないし。
 
イ:望みないんですか?
 
タ:何もない。だから、惰性で生きているだけのことやな。今から何をしようとも、どうしようとも思うてへんし。まあ、それではあかんのやけど…。
 
イ:以前は、友禅とか、祇園とか、工事現場とかで働いてたわけじゃないですか。そういうときに働いてた自分と、今の自分とを比較することとかないんですか?昔の人生と、今の人生と比べたりしませんか?昔の方がええなとか、今の方がええなとか。
 
タ:ワシは比べへんな。比べること自体が間違いや。比べる対象にならへん。仕事している時は屋根がついた家で生活してた。今のこの生活と、比べること自体がおかしい。対象が違うんやから、比べることがおかしいと思うな。比べものにならへんわ。
 
イ:そっか、違うものですもんね。だけど、同じ自分が生きてるわけじゃないですか?環境は比べようがなくても、同じタカハシさんじゃないですか。
 
タ:それはそうや。だけど、条件がちゃうやん。比べる対象にならへん。
 
イ:僕は、ついつい昔の良かったことに引きづられちゃったりしてしまうんです。今の不満と、昔の良いところを重ねて、センチメンタルな気分になってしまったりしちゃいます。余計タチが悪いのが、昔の悪いことを忘れて良い事ばかり覚えてて、今の悪いところを結びつけてしまう…。
 
タ:あはは。せやからな、人間は卑怯なんや。人間は卑怯さが出てくんねん。
 
イ:そう、ある意味、自分の思いたいように思考していくって言うんですかね。悲しい、辛いって思いたいから、辛いように考えるとかね。
 
タ:ワシは全く条件が違うんや。社会的にも全然違う。あの頃は株価、3万5千円やで。今は1万5千600円やな。そりゃ、あの時はほんまにすごかったで。その頃、解体の仕事をしていた時にお世話になってた社長、3年ぐらいで1億円稼いだんや。その頃、解体の仕事がすごかったからな。何でこんなに毎日仕事あんのってぐらい。その時は人手が足りひんから、助っ人呼んで、放り込む。仕事ができようが、できまいが関係ない。一日で2万5千円や。そういう、ぼろ儲けのときがあったからな、比べたりせえへん。
 
イ:思い出しちゃったりしないんですか?
 
タ:せえへん。そのときはそのときで、もう割り切ってる。
 
イ:仕事辞めたりとか、将来のことについて考えこんでしまうと、どうしてもネガティブになってしまう。マイナスのことばかり考えてしまう。ここで過ごしているときに、そういう将来への不安とか、ネガティブに思ってしまったりしないのかなと思って。
 
タ:そうなったら、もう終わりよ。そういう考え方が浮かんできたときは、もう終わりよ。生きられへん。せやから、そうではなくて、この状態でしょうがないと思うしかない。
 
イ:なるほど。
 
タ:だけど、何かの拍子で、ええこともやってくるやろうと思うてるよ。その何かの拍子というのは、自分で作っていかなあかんのやけどな。だけど、そのええ方に向かう方法を自分でいま作ろういうても、そんだけのコネがない。だから仕方なしに空き缶拾いにいっとるだけ。
 
イ:チャンスが来ることを待ってるんですね。
 
タ:人間、どういう好転に恵まれるのか分からへん。これは誰にも分からへん。
 
イ:その好転させてくれるのは何でしょうかね?
 
タ:それは自分自身しかないやろう。別に人がどうこうしてくれるわけじゃないし、それは自分自身のやり方次第やろう。
 
イ:タカハシさんって、迷うこともあるんですか?
 
タ:それはあるよ。
 
イ:例えばどんなこと?
 
タ:何でもないんやけどな、ワシって何しているんやろうってフッと思うときもある。ポッと迷いが生じるときもあるけど、今のワシは今のワシやって、気がつくんや。
 
次回は「死ぬ勇気がなかった」。生きること、働くこと、幸せについてお話を伺います。
 

 
この記事は、2016年8月31日に公開したものです。

   

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掲載日: 2021.02.09

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