【レポ】地域をつないできたのは看取りの文化?関わりあう「教育」と「老い」

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前回に引き続き、常識のカベの様子をお届けします。
前半では、現在龍谷大学大学院実践真宗学研究科の教授をされている中村陽子先生に講義をいただきました。
 
地域医療構想をキーワードに、医療業界が「治す」ことから「癒すこと・抱えて生きる」ことへ方向転換をしていること、今後の地域の医療がどのように変わっていくかをお聞きしました。
(前編はこちらをご覧ください)
 
今回は、ディスカッションでは、医療に対する幻想や地域の力とは何か?ということがテーマに上がりました。
 
死の話を誰が、何を、どうやって応えるのか?


 
看護師時代のご経験を話してくださいました。
19歳の肺がん女性の患者さんのお母さんが、医師に向かって「私達、家族がなんか悪いことしてましたかね?」涙ながらに訴えられたそうです。その時、医師「いやいやいやいや……。検査をして頑張りましょう」としか言えなかったそうです。
 
また、そのお母さんはガンの進行に伴い、髪の毛が抜ける子どもを見て、医師に対し、「バチが当たったんでしょうか?」と涙して聞かれたそうです。医師はそこで、「そんなことないです。」ということしかできなかったとのことでした。
 
中村先生は、「この時に、誰かもっと違う視点や立場の人がいてたら、違う話をできる人がいたらなぁ」と思われたそうです。19歳の肺がんの女の子に、誰が、何を、どう答えていくか?これがとても大事な視点だと話されました。
 
医療者にもそういった死について、話し合える、応えられることが求められているが、実際には医療者には難しいと言われていました。
皆さんなら、どのように応えられるでしょうか?
 
おろうそく
 
医療に対する幻想?


 
中村先生は、医療に対する市民の考え方も話してくださいました。
 
「医療=絶対に助かる、救うという認識が多くの人にあります。医療に対する幻想がとても強いんです。一度手に入れた、医療を簡単には手放すことはできません。それが悪いことではないけど、死と向き合いながらどう生きていくかをこれからは考えないといけないです。そこでは医療者だけでなく、どう仏教者が動くかが大切になってくる」と話されました。
 
アドバンスケアプランニング(ACP)通称、人生会議というものがありますが、大切なのは名前や見栄えよりも、死・老いに対する価値観を人々がどう醸成していくのか?死の価値観、老いの価値観をどうつくっていくか?一人ひとりが、そのことを何のために話あっていくか?
 
では誰と考え、話していくことがいいのでしょうか?
地域の施設や地域に住む人、近所の方や宗教者から始めることがいいそうです。
特に日本仏教に関しては、檀家制度という地域に根ざしたシステム/組織が存在している。そのシステム/組織は何よりも死を語るシステム/組織であったのでは?と地域におけるお寺の役割を語られました。
 
エンディングノート、遺品整理などの終活という言葉をよく聞きますが、どれくらいの人が関心を持っているのでしょうか?
下の資料を見てみましょう。実際に、市民の間の意識でも、事前に書類を作ることは賛成している人が多いが、実際には詳しくは話し合われていないことが多いようです。
 

H29人生の最終段階における医療に関する意識調査結果 H29人生の最終段階における医療に関する意識調査結果2

平成29年度 人生の最終段階における医療に関する 意識調査 結果(確定版)
 
中村先生は、「地域の持つ力をみすみす失ってはあかん」と言われました。
檀家制度もそうですが、地域には少しお節介な人も昔はたくさんいたと言われます。
 
 
『依存』を見直さないといけない


 
参加者の方から、人生会議などをお寺がやる意味はありますか?と質問に、
 
「僧侶がわざわざ病院に行く必要はないかなぁと思います。そうではなく、地域にもっと出たらいいと思う。病、死も地域に帰ってくる。だから地域に出ることが重要だと思いますね。
 
また、国の政策にのって人生会議とか言わなくても、僧侶はもともとそれをしてきた人たちだと思いますね。なので、自分の立ち位置は崩してはいけない。人生会議の一員としてではなくて、宗教者の役割として立場を明確にする必要がある。
 
私は、看取る文化が地域をつないできたのでは?と思っています。現代では、葬儀の準備をする人が減ってきていますが、昔はそういったことを地域の人や”結(ゆい)”がしてきた。
地域再生には看取りの文化をもう一回取り戻さなあかんのちゃうかな?そんなことを思っています」
 
常識のカベスタッフの菱川さんは
「村八分という言葉がありますが、現代ではこれは少し勘違いされている面もあります。八分だと残りの二はなんだと思いますか?それは、火事と葬式なんです。全部を奪うわけではない。どんな状況にあっても、火事の時と葬儀の時は村みんなが協力する。それくらい、葬儀は大切にされてきたんです。
 
そういう意味でも、看取りの文化もですが、『依存』を見直さないといけないと私は思っています」
 
自然農という農法をされている菱川さんは、依存がなくなっている社会について危機感を持たれていました。自然界や農法の中では「依存」しないとやっていけないことが様々な場面であるようです。現代の私たちは「依存」という言葉を、どこか否定的な意味で捉えていますが、その感覚自体が間違っているのかもしれません。
 
その点に関して、参加者男性が、
 
「依存や協力関係をなくすことが経済を回すことだと思います。家族に車が1台よりも、2台3台ある方が経済が回ります。それが経済であり、資本主義ではないか?
日本社会は経済的には豊かになった、ある意味の成功体験をもっています。ただ、今そこに問題があるとも言われているので、この経済的成功に打ち勝つには、もしかしたらいい機会かもしれません。新たな文化を構築できるのかもと思っています。成功体験を持った上で、新しい文化をつくる。それは世界的にも価値がある気がしています。」
 
お金で解決できないことがわかっているから、人生会議や医療が「癒す・抱えて生きる」へ方向転換しているとも考えられます。
 
 
足るを知る「小欲知足」を教育の中で知っていく


 
菱川さんは、足るを知ることが大事ではないか?と言われました。そのためには、農業や自然に触れ合う機会をもっと増やしたほうがいいと考えておられます。教育のカリキュラムにも組み込む方がいいのでは?と話されました。
 
菱川さん、ご自身はかつて広告業界で働いておられ、仕事の厳しさやメディアの動きなど「自然」ということとは全く逆の世界におられました。その後、「自然農」に出会われ10年以上にわたり自然農をされています。
 
老いについての話から、最後は教育まで話が進みました。老いること・死ぬこと・生きることは、切っても切り離せない関係です。しかし、私たちは、自分たちで「老いる」「死ぬ」「生きる」は別物のように思っているのではないでしょうか?
 
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仏教では、縁起という考えがあります。ありとあらゆるものは、関係しあっています。その理を、何千年も前から知っていたはずが、いつの間にか忘れてしまったのかもしれません。
 
 
常識のカベの最後に、菱川さんが教育のことにふれられましたが、終活や人生会議は年を取ってから考えるもの、という固定的な考えが私たちにはあるのかもしれないと思いました。若い世代から考える、そして自然にふれあうことが、豊かさや人生の終わりに繋がる視点を持って、「老い」について考えていけたらと思いました。
 
 
 
<常識のカベ>
メール:zyoushikinokabe@gmail.com
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常識のカベは、2017年より京都市下京区で活動を開始。世の中で問われないような、そもそも論を展開し、少し立ち止まって見ながら今ある”常識”を考え直すような時間をつくっています。昨年までに、20名以上の各種分野の専門家をお招きして、様々な視点をいただきました。(医療・自然農・東洋医学・環境問題・エネルギー問題・AI・介護・仏教など)
今年は「老」をテーマに議論を進めていきます。
  
どうすれば幸せに生きられるのか?幸福度、QOL等、新たな豊かさのモノサシが議論されています。経済成長や物質的豊かさの果てしない追求。
の先に本当の幸せがないことに、多くの人が気づきはじめています。「常識」とは一体何なのでしょうか。
 
共に語り合い、学び合う中で、混迷をきわめる社会において、一人ひとりの「常識」とは一体何なのでしょうか?
一人ひとりにしずかな革命がおこるような時間となれば嬉しいです。