大切なのは、とらわれないこと。|龍谷大学シンポジウムレポート④

crosstalk
これまで、3回にわたって龍谷大学実践真宗学研究科シンポジウム「伝道を考える」をお伝えしてまいりました。第1部では貴島先生、直林先生、杉本先生、朝倉先生それぞれの提言、実演が行われ、続けて第2部では先生方と実践真宗学研究科院生、来場者でのクロストーク(質疑応答)が行われました。今回は、特に院生からの質問とその応答を中心にレポートします。
 
クロストーク1
実践真宗学研究科院生からは、4人が質問をされました。
1人目は、浄土真宗の教えを伝えるカルタの可能性を研究されているという修士1回生。節談説教での1番の魅力は何か、また節談説教が一時廃れかけた理由を尋ねられました。
 
これに対し、直林先生は節談説教について、「最初に聴聞して(感動で)涙が出た」という率直な魅力を語られました。特に、「節や物語に対して自然と念仏が溢れることが大きな魅力ではないか」と強調。節談説教が廃れかけた理由については、「さまざまな理由がある」としつつも、要因の一つとして、節談で用いる高座に登ることで、説教者に聴者との心理的な上下関係が生まれた結果、聴者に対して「高飛車な姿勢」で接してしまったからではないかと説明されました。
 
高座はあくまでも、声を部屋の隅々に届ける、聴者が見やすいようにするための工夫であって、上下関係を表現するものではないでしょう。こうした点も注意するべきところなのではないでしょうか。
 
そして、テクノ法要の朝倉さんは院生が進めているカルタの研究について、「テクノ法要を行なっていると、子どもの時におつとめした正信偈の節が懐かしいという声を頂く」というご自身の経験を踏まえ、「伝道の効果は今すぐに現れるものではなく、取り組みを継続していくことが大事」と投げかけられました。
 
質問をする院生
続いて、仏教説話の伝道について研究をされている院生からは、価値観とか文化の変化の激しい時代で節談説教の伝統的な話をするときの苦労や工夫について質問。
 
これに対し、直林先生は「物語って、劇薬なんですよね。まさに響く部分と、ちょっとしたことで響かない、傷つけてしまうこともある。」と説明されました。そして仏教説話については「まず自分が素直に感動できるかどうか」「ハッピーエンドで終わるかどうか」ということを大切にしていると回答。また、杉本さんはお答えできないと対応されました。答えられない理由は、そもそも杉本さんは伝統的な話を節談説教では取り扱っていないからだそうです。先ほどの実演でも時代設定は現代でしたね。
その背景には、伝統的な話の中ではどうしても差別的な表現が出てくる場合があり、現代にそぐわないという事情があります。
 
クロストーク2
 
続けて、法話伝道における歌の可能性について研究をされている院生からは、朝倉先生に対し、テクノ法要に音楽を用いる意義、音楽の持つ力について質問。
 
これに対しては、「単純に音楽が好きだからという理由に尽きる」と朝倉先生。音楽の持つ力についてはやはり、「みんなが(お経を)親しんでくれることが一番大きい」と話されました。続けて「正信偈の意味を日本語にしてメロディーにしたかった。けどノウハウがなく、せめて音だけでも現代的にリニューアルしたいという思いがあった」と裏話を披露されました。
 
さらに、「高い映像技術や音楽技術が無い人はどのようにすれば良いか?」という院生の質問に対しては、「(技術がないとできないという)囚われから離れると良い」と回答。「無理してこうあるべきだという考えを捨て、自分のできることは何かを考えることが大事なのではないか」と投げかけました。
 
また、「ご本尊がなく、阿弥陀如来の姿を映像で写す取り組みをした」という幕張メッセで行われたニコニコ超会議での経験を振り返った上で、「テクノ法要に決まった形はないので、自分でできることを楽しむべき」と、あくまでも前向きに捉えていくことが大切であると主張。
 
また、直林先生も節談説教について、「全部一つ一つの物語、会場ごとに応じてその場で組み立てて、表現していた。」とご自身の経験を振り返られました。その上で、「対機説法という言葉があるように、場所に応じて工夫する努力が必要」と締めくくりました。
 
これまで全4回にわたって、実践真宗学研究科シンポジウムの様子をレポートしました。
「節談説教」と「テクノ法要」、かたや伝統技術、かたや最新技術を駆使した伝道というだけあって、両者は一見対極的に見えるかもしれません。しかし、クロストークからも読み取れるように、使うツールは違えど両者は「仏教の教えを伝える」という思いのもとで、「使えるツールを活用し」、「状況や場面に応じて駆使している」という意味では全く同じものとも言えます。
 
これまでも、実践真宗学研究科をはじめ、若手僧侶のあいだでは様々な伝道方法が試みられています。その中でどこか「斬新なことをしなければならない」「新しい技術を駆使しなければならない」といった空気感が渦巻いていたのも否定できないのではないでしょうか。
そうではなく、「新しい機械を使わなくちゃいけない、ではなく使えそうだから使ってみようという気持ちで良い。」と朝倉先生が最後におっしゃったように、形にとらわれず、自分自身は何ができるのか、何に長けているのかを出発点として、伝道方法を試みるのも一つの手ではないかと思います。
 

龍谷大学シンポジウムレポート記事
第1回|現代で仏教を伝えるには?
第2回|これまでの伝道を捉え直す 〜節談説教〜
第3回|これからの伝道を考える〜テクノ法要〜
第4回|大切なのは、とらわれないこと。(当記事)
掲載日: 2019.12.30