若い僧侶のみんなへ。お寺に生まれたって夢を持ったらいい。ー清原ケリー幸夫ー

 
人種差別に対する公民権運動盛んな60年代のアメリカに日系3世として生を受けた清原ケリー幸夫さん。
 
僧侶としての道を歩み始めるなかに見えてきた自分の姿、大切な人たちが残してくれたメッセージを受け取りながら、57歳の今を生きている。人生は大変だけど面白い。そう語るケリーさんが、これからの時代をつくる若者たちに送る言葉とは。
 
全3回のインタビュー記事、最終回をお届けします。
 
 
 
迷いながら進む道の上で
 
 
ーーハワイに引っ越された当時が53歳、怒りを持て余していたその頃から4年が経って、見える世界は変わりましたか?
 
 
変わりました。それは自信をもって言えます。
これが信心なのだ、ということはまだ分かりませんが、でも、自分は救われたという実感がはっきりあります。
 
なにから救われたか、なにから解放されたかっていうと「自分から」です。
 
自分の欲を捨てきれない、恥ずかしいくらいの欲望の姿を知ることができました。こういう自分の姿を知らされるところに他力のはたらきを感じます。
 
 
家族とともに / 本人提供
 
家族とともに / 本人提供 

ーーご自身の姿が、以前よりもよく見えるようになった。
 
 
はい。
今も、自分っていう人間はバカだなぁ…って思っています。
 
つい昨日のことなんですが、東京で1990年代以来の友人に会ってきました。長い付き合いの彼から、あるビジネスの話をされたんです。
 
詳しくは言えませんが、彼の話を聞いて、僕はこのビジネスは絶対に成功すると思いました。このシステムは多くの人の問題を解決するし、きっと世界的にも受け入れられてFacebookにも匹敵するような規模になるんじゃないか…と、実は僕わくわくしてしまって。
 
自分ならこういう戦略を立てて、こんな風に展開する!とか考え始めると面白くて仕方ないんです。友人の20年来の夢でもあるこのビジネスを手伝ってあげたいという思いがね、ちょっと芽生えてしまってるんです。
 
 
ーーそれは、別に悪いことではないですよね?
 
 
はい、もちろん。ビジネスを成功させたいとか、世の中をより良くしたいとか、友人の夢を叶えたいとか、そういう気持ちは悪いことではありません。
 
でも、僕のなかには、僕を切り捨てた以前の会社に対して「自分はすごいんだぞ」とか「まだこんなにお金稼げるんだぞ」とアピールしたい気持ちもあったんです。
 
野心を持つことは悪いことではないけれど、でも、真実の世界じゃない。
 
いっぱいお金をもらっていても、どれほど成功しても、きっと同じところに戻ってくる。自分はいつか死ぬのだというところに。
 
 
ーー僧侶になっても、欲望がなくなるわけではない。むしろ、自己中心的な自分の姿がよりよく見えてきますよね。
 
 
はい。
どうしても、心のどこかに自分をよく見せたいという気持ちがいつもあります。僧侶として生活していても、私は宗教的な人です!とか、こんなに作法が綺麗にできるんですよとか、正座を1時間もできるよ!すごいでしょ!とか…そういう自分を見つけるたびに、本当にバカだなぁって思います。でも、そこが面白い。
 
 
ーーそれは以前のケリーさんとは違うものの見方ですか?
 
 
広告代理店で働いていたころには想像もしなかったです。
 
父がくれた “Don’t forget to come home.” という言葉も、home がなにを指すのかということ、今では南無阿弥陀仏、お念仏にもどりなさいという意味だったのだろうと受け取っています。
 
別に僧侶になりなさいということではないけれど、真実にもどりなさいよと、僕が分かるように阿弥陀様がお父さんの声と姿を通して教えてくださったのではないかと。
 
 
ーー忘れてはいけないよ、と。
 
 
はい。
 
そして、大きな挫折のあとで、頑ななまでに完璧を求めすぎていた私の前で、からかうように喚鐘を叩く真似をした孫の姿も、僕にとっては不可思議なはたらきでした。完璧な人生なんてない、自分は完璧なんかではない。そう知らされたような気がするんです。
 
中央仏教学院の先生はこの不可思議という言葉を「言葉では説明できない、頭で考えられない。これが不可思議ですよ」と教えてくださいました。
 
それまでの僕は、自分というものを直視することから逃げていました。本当の自分は自己中心的で、すぐに怒るし、欲深いのに、それを見ようとしなかった。MBAを取って、良いスーツを着るとか、良いワインを選べるようになったとか…
 
それを手放したとき、最後に何が残っていたかというと、それこそお念仏なんですね。
 
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ーーお父さんの言葉や、お孫さんの姿、叔父さんの姿、またいかなる苦労の中にあっても「ありがたい」と笑顔を絶やさなかったおばあさんの生き方を通して、得られた気付きだったんですね
 
 
 
若い僧侶のみなさんへ
 
 
ーー人生の様々な経験や出会いを通して、いまの僧侶としてのケリーさんが形作られてきたことをお聞かせいただきました。一方で、若い僧侶のなかには、お寺に生まれ、なぜ自分が僧侶となったのか、その理由もわからないままに悩みを抱えながら道を歩んでいる人もいます。そんな若い僧侶にケリーさんからメッセージがあればお願いして良いですか?
 
 
中央仏教学院に来ている人たちも、そういう人が少なくないです。本当は社会人としてまだやっていきたいけど…っていう人もいる。彼らに僕から言えることは、「それでも自分の夢を持った方がいい」ということ。
 
Make your dreams come true.
 
僕はいろんな人から、ケリーは成功したねとよく言われましたが、自分では夢半ばでその道を断ち切られたと感じて、さっきも言ったように怒りが消えなかった。でも今は、そういう自分の姿がよく分かる。
 
それはやはり、夢を追いかけたから、自分のやりたいことをやって、そして挫折した…そういう過程があったからこそ、僕はいま僧侶の道を歩いているんだと思います。最後には一番大事なところに絶対戻ってくるんです。
 
 
ーー僧侶に限らず今の若い人は自分の夢を持てない人も多くいます。ケリーさんの仰る「夢」というのはどういう意味なんでしょうか?
 
 
自分の夢…というか、成功や幸せを自分の外側に見つけようとすると迷ってしまいます。結局みんなが本当に求めていることは、心のなかにある。
 
だから、テレビや広告が見せるものを夢や理想だと信じすぎない方がいいし、親や友人から言われることだって自分の外側です。絶対じゃない。何が自分にとって大切なことなのか、心で判断して、自分で責任を持つ。
 
僕のキャリアがうまくいった要因のひとつは、僕が責任をとることから逃げなかったことだと思います。「これは私のせいじゃない!」と責任逃れをする人もいるけれど、「僕が責任を取ります」うまくいかないときには「僕の判断ミスなので責任取ります」…そういう態度で臨めば、周囲の信用に繋がり、おのずと結果はついてきます。
 
自分の夢はわからないかもしれない。でも、だから何もしない…というのはまた違うと思います。自分の頭ではなく心が指し示す方をよく見つめてみてほしいです。
 
そして、個人的には、僧侶という生き方はもちろん簡単ではないけれど、とても面白い生き方だと思いますよ…と、若いみなさんに言いたいです。
 
 
ーーケリーさんは、僧侶とはどんな存在だと思いますか?
 
 
難しいですね。
うーん、ツアーガイドみたいな役割の人かなと思います。案内する人。
 
人生っていう旅のなかで、釈尊はこうお説きくださいました、善導大師はこうで、法然聖人はこう、親鸞聖人はこう仰いました…とね。そして僕はそれをこういう風に受け取っています。あなたはどう思う?あなたはどうする?と。
 
 
ーー本人が自分で悩み、進んでいくための道標を示す…といった感じでしょうか?
 
 
本当は、僕が解決してあげたくなっちゃいます。リスクはこれで、利益はこのくらい、リスクと利益のバランスをとると答えはこれだ!とね。笑
 
でもそれじゃあだめなんです。自分で間違えないとだめなんです。
 
僕がやっていた広告というのは、夢を提案する仕事なんですね。すごく楽しい仕事ですよ。でも、最終的に決めるのは自分じゃないといけない。この道ならあなたは幸せになれます、と誰かに説得されることはとても楽ですけどね。
 
 
ーーケリーさんは今後、僧侶としてどのような活動をしていきたいとお考えですか?
 
 
僕は、いろんな人に仏教や浄土真宗のことを伝えたいけど、それは僕が教えるんじゃなくて、その人自身が学べる場をつくっていきたいなと思っています。
 
生きているお寺をつくりたいんです。みんながアイディアを出し合っていけるような。良いリーダーというのは、自分がいろんなアイディアを持っていることだけでなく、ほかの人のアイディアを引っ張り出すことが一番の仕事だと思うんです。
 
 
住職ってそういうことじゃないかな。みんなが仏教を学ぶ、自分を見つける、自分の道を見つける。そういう場所をつくりたいですね。
 
中央仏教学院の学院生としての日々 / 本人提供
 中央仏教学院の学院生としての日々 / 本人提供

 
最後にケリーさんがぽろっと口にした「場所をつくりたい」という言葉。どこへ行っても自分は「外の人」だったと感じた少年時代、努力と才覚で大きな成功と活躍の場所を手にいれた青年時代、そして突然に奪われた居場所。
 
なにひとつ確かなものなどないと知ったこの世の中で、最後に帰ってきたhome は、ケリーさんの確かな拠り所となりました。そんな場所がより多くの人のものでありますように… ケリーさんの優しく陽気な眼差しに、彼がつくるお寺もきっとこんなふうに温かいのだろうと感じるひとときのインタビューでした。
 

 
2018.3/2 更新