宗教の役割って何だっけ?私たちに本当に必要なものを問い続ける
前回に引き続いてインタビューさせていただくのは、COS KYOTO株式会社代表取締役/文化ビジネスコーディネーター 北林功さんです。
「文化ビジネス」を手掛ける北林さん。前回は、そのお仕事や伝統の在り方について伺いました。
今回はコロナの時代に問われる本当に必要なもの、そして北林さんの考えるこれからの時代の宗教の役割についてお話を伺っていきます。
(インタビュー第1回はこちらをご覧ください。)
文化と宗教の関係
――コロナによる社会の変化が著しい中、新しい生活様式も提案されています。それについて北林さんはどうお考えでしょうか?
北林功さん(以下、北林):今まで通りの文化や生活を維持するのは、コロナによる社会変動で難しくなったと皆さん感じていると思うんです。
それこそお寺さんは、三密を避けたお葬式の方法などいろいろ考えられているんじゃないでしょうか。そして極端に言えば、「お葬式って本当にしないといけないの?」って思われる人もいるかもしれません。何事も「これがしたい」という想いの先に「これは本当に必要か?」という問いは絶対出てきます。その問いを突破してこそ、必要なものが本当に必要とされるのだと思っています。
あるディスカッションの場で、「結婚式に出席するならリアルがいいかオンラインがいいか」という質問に「リアルがいい」と答えた人は1割もおらず、対してお葬式は、「お葬式をオンラインで済ませるのは嫌でしょ!」という声が多く出たということがありました。その違いは何なのでしょうか?
こういった根本的な問いは、あらゆることに出てくると思います。「これってオンラインでもできるよね」っていうことが、何をするにも言われ始めている。トランプゲームの大富豪でいう「革命」状態ですよ。2が一番強い数字だと思っていたら、さっきまで一番弱かった3が一番強くなっている状態。ただそこに、ジョーカーみたいに何が起ころうが強い存在がいるんです。それが人間の本質だと思っていて、どんなに世間がオンライン化しても変わらない普遍的なものがあると思います。そしてそれはおそらく、「文化」として、色濃く残るものでもあります。
――僧侶やお寺がその「本当に必要なもの」を問うていく役割を担っていくべきでしょうか。実際にそういった役割を持っていた時代もあります。ただ今仏事ができない中で、宗教者自体の必要性を問われている気もしていますが……。
北林:そんなことないですよ!こんな状況だからこそ感じたのですが、苦難を幾度となく乗り越えて続いてきたものはすごいですよね。宗教もそうです。やっぱり人間が「これは残さないといけない」と考えて残ってきたものは絶対必要なものなんだろうなと思います。
――長く続いてきた会社やものと宗教に共通点はあるのでしょうか?
北林:大学院で「老舗」の研究をしたことがありました。こういう研究では、大体100年くらい続く企業を調べるのですが、僕は300年以上続くところに絞って調べました。すると、薬関係、お菓子関係、お酒関係、そして宗教関係の業種に収斂されました。本当に必要とされ続ける物が長く続いているんですね。身体が疲れたとき甘いものを食べたくなるとか、あるいは薬を飲んで健康を保つとか。他のものも一緒で、人間が本当に必要とするものが300~1000年も続くのは真理だと、勉強していて気づいたのです。
その中でも長く続いてきたのが宗教です。人間は心が弱いので、古くから心の支えみたいなものが必要だったのだろうと思います。先ほどの甘いものや薬というものが身体的な問題へのアプローチだとすると、宗教は精神的な課題の解決につながるものです。そしてこれがこの中で一番続いてきたものということは、どんなときも人には宗教という心の拠りどころとなるものが特に大事だったのではと思ったんです。
変化の中で、宗教ができることとは?
――変化をしていくとき、宗教にできることは何なのでしょうか?
北林:昔お寺は大名等の会見場として使われるなど、中立地帯的な役割がありましたよね。中立的な場を貸し出すことでも、お寺は社会的に必要とされてきた側面があったのではと思います。そういった、社会の中での第三者目線と精神的な緩衝地帯の役割などをお寺などの宗教施設は果たしてきたのではないかとこの事例から読み解くことができます。
僕は地域コミュニティの中での人間関係が非常に大事だと考えています。人間同士の信頼の蓄積が、GDPや利益といった資本主義社会の価値観とは別の価値観に代わっていく可能性がある。そんなとき、コミュニティにおける中立緩衝地帯的な役割が、この先、より重要になっていくのではないかと最近しばしば思います。お寺が中立の場を提供することで、社会における役割を果たせるのではないでしょうか。精神的な部分でもお寺の役割はとても大きいので。
――「お寺が中立の公共機関に戻っていく」……これからの寺院活動の肝になってくる大事な目標ですね。
コロナウイルスの流行以前から、これからの寺院活動について悩んでいた僧侶は多いと思います。いろんな会社の在り方を見てこられた北林さんから見て、具体的にこれからお寺はどういった活動をすれば良いと思いますか?
北林:今、住んでいる地域で、台風で木が倒れた鎮守の森の整備をしているんです。神社の周りの森ですね。でもその森はクレーン車などの重機が入りにくくて、その整備作業を地域の有志の手でやったんです。人数は5~10人くらいでしたが、そこにはいろんな業種の人が参加しました。
みんなが集まって作業していると、それぞれが周りを見ながら自分の役割を探して一緒に作業する。こういった場での共同作業や何気ない会話が信頼関係の構築にもつながる。
こういうことへの呼びかけやきっかけづくりを、お寺さんが中立の立場でしてくれるだけでも僕はすごくありがたいと思います。
アイデアは地域の人が出して、そのアイデアをもとにお寺や神社が中心になって呼びかけるといいのではないでしょうか。
――地域のお寺の住職が、地域に主体性を促せるといいのかもしれませんね。
北林:他にも今、竹工芸の職人さんが、自分たちで放置竹林を整備できないだろうかとする取り組みがあります。観光客がいない現在、職人さんたちが自分たちの時間や能力で社会貢献できるのではと出てきたアイデアなんですが、そこで問題になったのが所有者の問題です。竹林に入るには地主さんの許可が必要で、これはけっこう大きな問題なんですよ。そこで、お寺さんが地主さんとの交渉役になってもらえるとスムーズかなと。こういった社会問題にかかわるつなぎ役ってとても重要なんですよ。
――一部のお寺では空き家や山をお預かりしているケースもありますし、こういったことをごく自然にされているお寺もあるかもしれませんね。
北林:これからの若い住職さんにそういう役割を担ってもらえたら、地域における次代の横のつながりもできていいなと思いますね。
文化という視点で仏教や寺院の役割を再確認できました。
「本当に必要なものとは何か」……この問いは僧侶としても、人間としても持ち続けていたいものです。
次回は北林さんインタビュー第3回。
祇園祭の山鉾の展示を海外で行うという驚きの試みや、これからの展望について伺います。
第3回「日本の伝統文化が海外へ!ポートランドで祇園祭が行われた背景とは?」