「死ぬ勇気がなかった」野宿者という生き方 第4回
野宿者という生き方
第4回 「死ぬ勇気がなかった」
四方八方、十方丸く
「平和構築」、「貧困問題」と「環境問題」の解決、「災害支援・復興」の目的完遂、これらに向けて各種事業活動を展開しているNPO法人JIPPOは、「すべての存在と営みは互いに関係しあい支えあっている」という仏教の縁起の教えにのっとり、親鸞聖人の「世のなか安穏なれ」という願いのもと、浄土真宗本願寺派の社会事業活動の一環として、2008年に設立されました。
ここではJIPPOの活動の一つである、野宿者支援をテーマに、京都市における野宿者の現状とJIPPOの支援内容をレポートします。また、JIPPOが支援する野宿者に生い立ちや、野宿をするようになった経緯、さらには幸せや豊かさについて、思うところを聞きました。
野宿者という生き方 第1回「飯食うためにしゃあないな」
死ぬ勇気がなかった
インタビュアー(以下、イ):紆余曲折の人生の中で、しんどいこと、苦しい時期はなかったんですか?
野宿者、タカハシさん(仮名。以下、タ):もちろん、あるよ。死にたい、自殺を考えたときもあった。だけどな、死ぬ勇気がなかったわ。
イ:自殺する恐怖心みたいなものがあったんですか?
タ:そうやな。自殺するのは、怖かった。
イ:そうですよね。それを超えたつらさ、苦しさもあったんじゃないですか?
タ:しんどかったわ。
イ:自らいのちを断つって、ものすごく勇気のいることですね。
タ:そうや。自殺する人は勇気じゃなくて、本気やからな。せやから、死ねるんや。
イ:本気か…。タカハシさん、解体業の仕事で羽振りが良かったわけじゃないですか。それから、死にたいって思うまで何があったんですか?
タ:とことん落ちたからな。
イ:どういうことですか?
タ:ワシ、解体業辞めてから、水商売に行ったやんか。
イ:祇園の方で働いてたっておっしゃってましたね。
タ:水商売で夕方4時から、朝方の6時まで仕事。仕事終わって、一日中やってる飲み屋があって、そこに飯食いに行って。その頃、ほんまアホやから、一杯飲んで、そのままびわ湖の競艇に行くわけや。
イ:寝ずにですか?
タ:もちろんや。身体はボロボロやな。そのかわり、儲けたで。(笑)そんなこと毎日毎日繰り返してた。3週間はほとんど寝ずにやってたな。
イ:えっ、寝ずに3週間…よく倒れませんでしたね。
タ:若かったからな。しまいには社長に見つかってしまった。「ええ加減にしろや。遊びにばっかり行きやがって。前から分かってたけど、ちょっと調子のり過ぎや。そんだけ好きやったら、びわ湖にはまってこい」って怒鳴られて、クビになった。
イ:タカハシさんのエネルギーもすごいですけど、社長の言うように、確かに、やり過ぎな気はします…。
タ:おっ、おまえ、社長の味方か!(笑)まぁ、自業自得やわな。その頃には、もう歯が全部抜けてしまってたしな。
イ:何歳の頃ですか?
タ:35歳ぐらいかな。
イ:早いですね。(笑)
タ:そりゃ、あんだけ不摂生なことしてたらな。人間のすることじゃないわ。自分でも分かってたんやけどな。
「死にたい」という思いを抱えたとき、一番しんどかったこととは?
イ:分かっちゃいるけど、やめられないってやつですね。「死にたい」思いを抱えたとき、一番しんどかったことって、何ですか?
タ:自分の考え方の甘さやね。自分の考え方が、こんだけのもんかと。今までやってきたことって、一体何やったんやと。それに尽きるな。
イ:自分のやってきたことを一旦立ち止まって、振りかえったわけですね。
タ:そうやな。だけど、自殺する、自ら死を選ぶっていうのは、考えてたらできひんわ。思考力をゼロにしないと、死ねへんわ。そうじゃなかったら、自殺はできひん。思考力があるうちは、自殺はせえへん。せえへんっていうか、でけへん。
イ:どういうことですか?
タ:思考したら、どうにかして、生きる意味を見つけようとするわ。恐怖心も並大抵じゃない。だから、自殺するときは無にならなできへん。
イ:そっか、もうちょっと生きたら良いことあるんじゃないかと思ったら、自殺する覚悟が決まっていても、ちょっと揺らいでしまいそうです。
タ:そうや、そうや。死ぬための迷いになる。