仕事に不満はないのにモヤモヤする…29歳の決断とその後
「 “お前の悩み、理解できん。贅沢やろ” って思われてました、たぶん」
順調に流れていく日常のなかに生まれた小さな違和感。
誰もがなにかしらの悩みや困難を抱えていることは知っている。むしろ自分は恵まれた状況にいるのだということもわかっている。
わかっているはずなのに… 確かに芽生えてしまったその違和感。気づかないふりをしても、ひょこひょこと顔を出す。向き合うのは億劫…でも、もしかしたらそれはあなたのこれからの人生を変える最初の種なのかもしれません。
スポーツを通じて新しい価値との出会いを提供する「スポーツコミュニティ 100サル」代表の大野さんにお話を伺っています、インタビュー連載第2回の今回は、キャリアについて。大野さんは、29歳のとき、当時抱えていた違和感をきっかけに、安定した大企業の営業職を辞する決断をしたといいます。
【大野さんのインタビュー連載(全3回)】
第1回「普段のコミュニティから飛び出すことで見えてくるもの」はこちら。
第3回「「したいこと」と「すべきこと」の間で私たちが「できること」。
違和感から目をそらさず、もがいたら、見える景色が大きく広がった
ーーお仕事はなにをされていたんですか?
大野さん:化粧品の営業です。でも、モノが良いし大企業のブランド力もあったので誰がセールスしても売れるみたいなところは少しあって…営業として苦労することはあまりなかったのが正直なところです。給料も良いし休みもちゃんとある。本当に良い会社だったんですけど…
ーー良い会社じゃないですか!辞めたきっかけは何だったんですか?
大野さん:20代も終わり頃、後輩の育成も落ち着いて、次のフェーズは35歳での幹部試験かなっていう空白期間のような時期に、なんだかすごくモヤモヤして。目標がなかったからですかね、仕事が全然楽しくないというか意欲がなくなってしまって。
でも、そんなふんわりした悩みを友だちに相談してもなかなか理解はしてもらえませんでした。 “お前の悩み、理解できん。贅沢やろ” って思われてましたね、たぶん。もっと条件や環境の悪いところで仕事をしている人もいるわけですし…
ーーでも、辞めたんですね。その決断はすぐにできたんですか?
大野さん:いえ、悩みました。僕の悩みに「わかる」と言ってくれる人もいなくて、自分がおかしいのかな?と思い始めた頃、ふと全然知らない人に会いに行こうって考えが浮かびました。
具体的に言うと、半年間セミナー類を中心にそれまで全然知らなかった人や分野のなかに飛び込んでいったんです。今思うと危うい部分もあったと思うんですけど… そのときはとにかくいろんな人に会いまくりました。3000円くらいのセミナーで、質はまちまち。10個行ったら、1個は面白いものに当たるという感じでした。
ーー当時の大野さんは何を探していたんでしょうか?何を求めて知らない人たちに会い続けていたんでしょう。
大野さん:当時はモヤモヤした気持ちを拭いたくて必死だったんですけど、今思えばあの半年間は、「こんなことがあるんだ」「あんな人もいるんだ」「いろんな世界があるんだ」ってことを知っていくための時間だったように感じています。
半年間を通して僕が出した結論は、使命感や志みたいなものが自分にはないんだってことでした。それがモヤモヤの正体だったのかもって。
周囲に何を言われようと、自分が感じた課題に向けて使命感や志を持って実際にアクションを起こしている人の言葉には力があったし、すごく惹かれました。当時の僕は、仕事に不満はなかったけど、生涯をかけてしたいことかと言われたらそれは違ったんです。周りには止められましたけど、会社は辞めることにしました。
ーー会社を辞めてからは大学院に進学されたんですよね?
大野さん:はい。スポーツが昔から好きだったのと、”スポーツを文化にしたい”という理念に共感して、Jリーグで働きたいという思いがあったんです。そこでJリーグと業務提携をしている立命館大学にいくことが最短ルートだと考えて進学しました。
また、同時期に偶然100人委員会のチラシを見つけて。行ってみたら、今まで知らなかった面白い出会いがたくさんあって、いろんなことが加速度的に広がっていきました。そこでの出会いが現在の100サルにも繋がっています。
ーースポーツをプレイするだけじゃない、広めるという活動には以前から興味があったんですか?
大野さん:はい。僕、会社員時代に、フットサルでコンパをしたことがあるんです。笑
ーーえ、コンパですか?
大野さん:はい。普通の飲み会だと面白くないので、女の子たちも20人呼んでフットサルをしました。みんな、やりたくない…って渋々でしたけど来てくれて。でも2時間終わってみたら「めっちゃ楽しかった!」って言葉をもらえたんです。
僕自身は結局2時間ずっとオペレーションだけしていて、プレイも出来てないし、めっちゃ疲れたけど「楽しかった」って感謝されたことがすごく嬉しかった。
きっとコンパに来てくれた女の子たちみたいに、苦手意識が先行してスポーツをする機会を逃している人ってたくさんいるんだろうなって思いました。もっと日常にスポーツと触れる機会が必要だなと思いましたし、今振り返ってみれば、その「機会づくり」というのが僕の志に非常に近かったんだなと感じています。
ーー現在大学院は休学中とのことですが、今後もJリーグに入ってスポーツの振興に携わることを当面の目標にされているんですか?
大野さん:いえ、大学院と平行して100サルの活動を行うなかで、現在はもっと別の未来を描くようになりました。別にJリーグである必要はなくて、スポーツの振興というよりは、スポーツを通じた「機会づくり」に今は興味があります。特に障がい者と健常者の接点づくりというところが僕のテーマです。
実際に今100サルでも、知的障がいを持つ方々とフットサルをやっていて、さらに100サルの姉妹コミュニティとしてインクル100、インクルージョンのインクルですね、を京都市の助成金を申請して始めようと思っています。一般の健常者と障がい者との関わりに興味を持ってもらえるような土壌がまだ無いので、参加費を無料にするとか、ハードルを下げて、できるだけ多くの人が参加しようと思えるような企画づくりのために助成金をお願いしています。
ーー障がい者と健常者の接点づくりということですが、両者ともに運動習慣というのはやはり少ないんですか?
大野さん:そうなんです。いろんな状況の方がいるので一概には言えないのですが、データを見てみると運動習慣のある成人の割合は健常者で47%くらい、障がい者になると14%くらいにまで下がります。
そして重要だなと思うのは、それ以外の運動習慣がないと答えた人たちが挙げた、運動をしない理由なんですね。もっとも多い回答が「特に理由なし」なんです。何かが嫌だから運動しない、とかじゃないんですね。
それはやっぱり機会がないということなんだと思います。自分たちがスポーツをやれる、楽しめるんだということを知る機会。もちろん、運動習慣がないと答えた人たち全員にスポーツを勧めているわけではありません。でも、もしかしたらその人たちのなかには、まだ出会っていないだけで、スポーツを通じて新しい出会いや生きがいを見つけるチャンスがあるのに… って人もいるかもしれない。
ーーそれは、かつてモヤモヤを抱えて会社を辞めた大野さんご自身が、いまは志や使命感に従って活動をされている姿と重なります。このような生きがいに出会うには何が必要だと思われますか?
大野さん:志や使命感って、探して見つかるものなのかはわかりません。降ってくるもののような気もします。
ただ、きっかけや機会ということは本当に重要な要因だと思っています。僕自身どれだけの機会を世の中に対して作っていけるかっていうことがテーマですけど、やっぱり何か自分の知らないことをポジティブに学べる機会を作っていけば、多くの人が「自分はこれでいいんだ」「こうじゃなきゃいけない… なんてことは無いんだ」って思えるんじゃないかと。
志や使命感が何なのか、本当の生きがいとは何なのかって考えると、僕もまだうまく言葉にできないです。でも、これまでの経験から感じている確かなことは、自分が歩みを進めるなかで得られる出会いは宝物になるということです。きっと受け身のままでいたら恵まれなかったであろう出会いがたくさんありました。
ーー会社を辞めてから3年、どんな変化を感じていますか?
大野さん:見える景色が急速に広がりました。今まで少ししか見えてなかったものが、ここ数年の活動やそこでの出会いを通して、もっと何倍も幅の広い世界があるんだということに気づきました。
わかりにくい表現かもしれませんが、僕にとってはすごいことなんです。
過去を振り返りながら確かめるように言葉を紡いでくださった大野さん。一方現在の活動についての話になると、思いや考えが溢れるように流れ出してくる勢いを感じました。
大野さんのように仕事を辞めるという大きな決断は難しくても、日常のなかにある、ささやかな決断があなたの毎日を少しだけ変化させてくれるのかもしれません。
第3回の記事では、100サルのこれからと現実的な運営の課題も伺っていきたいと思います。
全3回にわたり100サル大野さんのインタビューを掲載しています。
第1回の記事はこちら「普段のコミュイティから飛び出すことで見えてくるもの
https://tarikihongwan.net/?p=9789
第3回の記事はこちら「したいこと」と「すべきこと」の間で私たちが「できること」
https://tarikihongwan.net/soucial_network/9868.html
2017. 12/29 更新