★PICK UP|ハーバード大学で学んだ僧侶の青春時代|大來尚順さんインタビュー<前編>
サムネイル写真(写真提供:大來さん)
皆さんはどんな「青春」をすごされましたか?
甘酸っぱいような、青臭いような言葉ですが、青春とは具体的に何をすることなのでしょうか。
今回お話をうかがったのは、翻訳家として活動しながら山口県で住職をされている僧侶、大來尚順(おおぎ・しょうじゅん)さん。
勉強漬けだったという大來さんの学生時代。そこにはお父さまから受け継いだ青春の定義がありました。
前編では、大來さんの英語と仏教にであった人生についてお話しいただきました。
本当にゼロからのスタートでした
――まずは簡単に自己紹介をお願いします。
大來尚順さん(以下:大來):大來尚順といいます。山口県にある寺院、超勝寺の住職をしており、その傍ら翻訳家、著述家、通訳ガイド協会、カルチャーセンター等の講師といった活動をしています。翻訳は、仏教関係に限らずファッション系の雑誌などもしていますね。また、オンラインで英語を通した仏教講座などもしています。
――僧侶や翻訳家として多様な取り組みをされているんですね。
大來さんは、どのような幼少期や学生時代を過ごされたのでしょうか?
大來:幼少期は、お寺の子として特別な教育を受けたわけでもなく、正直何も考えずに過ごしていました。先々代の頃からお寺からの収入だけでは生活できない環境だったようで、父は住職を務める傍ら、公務員をしていましたし、母も裁判所に勤務していました。ですから、お寺の子でありながらも半分サラリーマンの家庭に育ったようなものです。それでも周囲からはお寺を継ぐように言われてはいたんですが。
幼少期の大來さん(写真提供:大來さん)
――幼少期は何も考えずに過ごされていたとのことでしたが、周囲からお寺を継ぐよう言われたことで、将来的に思うところはあったのでしょうか?
大來:あまりなかったですね。どうせ何をやっても僧侶という進路からは逃げられない、と諦めている部分もありました。
中学校に入って、初めて自分の成績順位が後ろから3番目だと知り、「これはまずい」と思って勉強を始めたんですが、それでも何のために勉強しているのか、というひっかかりを心のどこかで感じていたのかなと思います。
私は数学が好きだったので、一度数学の先生になろうとしたんです。ところが、高校で文系と理系に分かれるとき父から、「理系に行くと就職先が減る」と言われまして。その言葉を信じて文系に進んだんです。
――理系に進まれていたら数学の先生になられていた可能性もあると思うと、文理選択は大來さんの人生の分かれ道でもあったとも言えるのでしょうか。文系に進まれてから、やりたいことは見つけられたのですか?
大來:文系に行ったら行ったで、いくら偏差値を上げても進学先は龍谷大学しか許さないと言われ続けました。さすがに嫌気が差した時期もありましたね。かといって、他の大学でやりたいことがあったわけでもなかったので、龍谷大学でしかできない勉強をとことんしてやろうと思い、龍谷大学に進んで、仏教を学んだんです。本当にゼロからのスタートでした。
――大來さんにとっての、僧侶としてのスタートということでしょうか。勉強されてみて、感じたことはありましたか?
大來:勉強すればするほど、自分の中で描いていた僧侶像と乖離してしまったんです。
私が育ったお寺には、多くの方が悩みを相談しに来られていましたし、両親はそれにひとつひとつ丁寧に対応していました。そんな、多くの人の苦しみや悩みに寄り添う両親の姿と、龍谷大学で勉強している仏教、何かが違うと思い始めてきて。そんな風にもやもやしながら勉強しているときに出会ったのが、エンゲージド・ブディズムでした。