葬儀は誰もが通る道。寄り添うことで社会に尽くす。|株式会社ティア 代表取締役社長 冨安徳久さんインタビュー<後編>
心のよりどころを求める時代に応える
ーー現代における仏教・寺院・僧侶の役割をどのように考えますか?
冨安:消費者の立場から考えると、必要がないと思う人が増えているかもしれません。これは接点が減っているためです。仏教にどこで触れるのかと考えると、家庭でも、学校でも教わる機会はほとんどありません。ただし、心のよりどころを求める時代であると思います。お寺さんの発信の工夫次第で多様化したニーズに応えていくことはできると思います。
ーー近年見られる新しい事業(僧侶派遣や寺院葬など)について、どう思われますか?
冨安:当社としても、消費者が望んでいるのであれば対応したいと思います。僧侶派遣については、菩提寺を持たず宗派のこだわりはないけれど、区切りとして読経をしてほしいという方は一定数います。
また、お寺の本堂で葬儀を行う寺院葬については、利便性やバリアフリーなどのニーズを考慮した葬儀会館に対し、より格式を重んじる方に寺院葬は喜ばれるのかもしれません。
ーーご自身の死生観を教えてください。
冨安:葬儀の仕事を40年以上続けるなかで、突然亡くなる方や理不尽に亡くなる方をたくさん見送ってきました。死と真正面から向き合えたからこそ、有限な時間の尊さや、当たり前と思いがちなありふれたもののありがたさに気づけました。何かに取り組むときに、明日でいいか、とは思えません。すぐに行動したいです。そのような死生観を持てたのは、この仕事をしているおかげだと思います。
それから、死生観は周りに伝えていくべきものだと思います。ある小学校の先生から、自分の生徒に「なぜ生きなければいけないのですか?」と質問を受けたのだけど、社長ならどう考えるのかと相談されたことがあります。この質問への私なりの答えは、自分の命だからと、何をしてもいいわけではないという事です。自分のご先祖を2代遡るだけで6人、さらに何代も遡ると無数の命のつながりが見えてきます。そのご先祖が誰ひとり欠けても自分は存在しないわけです。
ご先祖がその時代を生ききって、命をつないできてくれたからこそ、いまの自分があります。自分の命は自分だけの命じゃないと相談された先生に伝えました。現在ではこのような死生観を「命の授業」と題し、全国の学校で児童・生徒たちに伝えています。参加した生徒たちは真剣に話を聞いてくれて、アンケートでは「最期まで命を使い切ります」という感想をもらったこともあります。学校だけでなく、もちろん社内においても、命の教育には力を入れています。
命の授業(写真提供:株式会社ティア)
ーー今後の展望をお聞かせください。
冨安:ティアの店舗を全国に広げてゆくことが社会貢献につながると信じています。葬儀会館は地域の社会インフラとしての役割も担っています。直営やフランチャイズを増やし全国ブランドに成長させ、「日本で一番『ありがとう』と言われる葬儀社」を目指します。死は人が誰しも通る道で、葬儀社はなくてはならない存在です。どこまでもご遺族に寄り添えるように精進していきます。お寺さんも人々の心の拠り所だと思います。葬儀社、お寺というくくりではなく、立ち位置を超えて、共に取り組めたらと思います。
ーー本日はありがとうございました。
冨安徳久さんプロフィール