私たちの生活に結びつく医療。あなたの子どもに何を残すのか?
医療制度の変遷なんて、私たちの日常には関係ない!そんなことが覆されていくような小野先生のお話。
第3回、常識のカベ講演録、となる今回は、戦後の日本が一体どのような医療の歴史をたどり、現代の社会に影響しているかをお話しいただきます。
戦後の医療の変遷
日本は第二次世界大戦に負けます。敗戦後から日本がどのように医療を展開していくかをこれから話します。
復習ですが、私たちは近代国家の枠組みの中で生きています。
その近代国家の三要素(軍事国家、産業国家、福祉国家(社会国家))は共犯関係にありました。
しかし、現在の日本人の実感として、
産業国家と福祉国家は分かりますが、軍事国家は今の私たちには違和感があるのではないでしょうか。
それは、軍事の部分は米軍が肩代わりしているからです。日本の自衛隊はそれを支援するという形になっています。ゆえに、日本では軍が非常に希薄な存在になっているのが現状です。海外によく行かれる方なら分かると思いますが、空港や駅に若い兵隊さんが、ライフルを肩に提げて、警備のために歩いているのを見たことがあると思います。海外では兵隊や軍人が街中を歩いているのは、ごく普通のことです。
しかし、京都駅で自衛官が何人も制服姿で歩いているのを見たら、ギョッとすると思います。それぐらい日本の社会では、軍、または自衛隊が私たちの日常生活から非常に遠い存在になっています。
また、日本では、それらに触れてはいけない雰囲気になっているのが現実です。
戦後の取り組み、「健康が全ての国民の権利」
第二次世界大戦敗戦後の日本の取り組みは、基本的にマッカーサーをトップとした進駐軍、GHQの指導下にありました。その時期に憲法も新しく制定され、
そこで憲法の中に初めて「健康が全ての国民の権利」と明記され、国家にはそれを守る義務があると定められました。それまでの憲法は国民の健康を保障する必要はありませんでした。
またこの時期に、医療法や医師法も成立しました。
しかし、当然ですが医療法や医師法をつくっただけでは、日本の医療水準が上がるわけではなく、憲法や労働基準法などが日本国民の健康に非常に大きな役割を果たしました。
例えば、国民を奴隷のように働かせないなど、様々な医療・健康に係る施策を複合的に行うことにより、日本国民の健康レベルは上がっていき、平均寿命は延び、総死亡率や乳幼児死亡率は減っていきました。栄養状態も改善され、男女とも平均身長は伸び、体はどんどんと大きくなっていきました。
余り知られていませんが、実は日本人の平均寿命が40代を超えたのは戦後です。
1947年、昭和22年に初めて50.6歳となりました。
日本人の平均寿命は、もっと前から高いんじゃないの?と思いがちですが、当時は乳児死亡率が非常に高いこともあり、平均寿命は低くなっていました。私の祖母は10人子供を産みましたが、そのうち6人は乳児の時に亡くなっています。
これから高度経済成長期に入っていきます。
オリンピック景気が重なり、この当時に国民保険制度、国民皆保険制度がつくられ、今日、私たちが当たり前のように利用している医療サービスが急激に広がっていきます。日本では高度経済成長によりお金ができ、医療費を賄えるようになりました。
この制度により、多くの日本人が医療サービスにアクセスできるようになったのがこの時代です。特に1973年、昭和48年は日本の福祉元年と呼ばれ、この時期に日本の医療・健康・福祉政策の土台が完成します。
現在の社会保障制度は戦後の復興期を経て高度経済成長期の1960年代から70年代に骨格ができました。
高度経済成長期以降の医療
高度経済成長期の後を、ここからお話しします。高度経済成長期により国民所得は増大し、物質的側面は非常に豊かになりました。
当時、課題となった疾病は感染症から、脳血管障害、がん、心疾患などの生活習慣病へ徐々に移行していきます。
このころから今日に至るまで、積極的な健康増進政策の時代となります。健康増進の施策が行われ始めるのは、もっと最近のことと皆さん思われますが、実は70年代に既に始まっていました。
戦前は肺炎などの感染症が死亡の主な原因でしたが、戦後は悪性腫瘍、がん、心疾患などが中心になってきます。1998年に老人保険法が制定されました。
老人医療費は最初のうちは無料でしたが、現在では財政調整の名の下に老人医療費のカットが始まり、一定の割合を自己負担する医療費抑制政策が行われていきます。
その後、ゴールドプラン(高齢者保健福祉推進10ヵ年戦略)や新ゴールドプランが、約10年毎に行われていきます。この辺りから健康増進に努めるのは国民の責務になります。
義務ではなく、あくまでも責務です。
現在、健康増進は国民個人の責任において主体的に取り組むことを前提とし、国家は国民の取り組みを支援する立場を取っています。
戦前のように国家が国民の健康を強制管理はしません。あくまでも支援程度に留まっているのが現状です。
社会保障費が重荷となる
2001年以降、日本の政策課題は、少子高齢化の進展に伴う医療・健康政策です。現在の日本は超少子高齢人口減少社会を突き進んでいます。景気は2020年のオリンピックまでは良さそうです。
ただその後は過去の歴史から学ぶと厳しいかも知れません。
いずれにせよ、高齢者の増加や治療期間の長期化、医療の高度化による医療費の高騰の問題に対し、抜本的な改革が必要と言われて久しいですが、未だ抜本的な改革に対応できていないのが現状です。
現在の日本社会では非常に社会保障費が重荷になっています。国土交通省のデータでは、2004年をピークに人口がジェットコースターのように劇的に減っていきます。人口動態は、未来予測をする際の非常に重要なデータです。未来予測をする際に裏切らないデータと言われています。それ以外のデータは様々な要素が関わり、当てにならないと言われています。
(出典 国土交通省 国土交通省におけるコンパクトシティの取り組みについて 平成25年8月26日より)
近代国家における医療・健康政策や経済政策など多くの政策は、人口動態に基づいてつくられています。近代国家の国々には必ず自国の人口動態を調査研究する公的機関があります。日本では、人口問題研究所がそれに相当します。自国民の人数や男女比、年齢層や世帯数、職種や収入の分布などによって各政策上の市場を割り出し、各施策に寄与しています。
但し、人口動態が変わる場合が一つあります。
それは災害です。災害には二つあります。地震や台風などの自然災害と戦争や原発事故などの人的災害です。
ご存知の通り、日本の人口動態は戦前まではピラミッド型でしたが、戦後の高度経済成長期を経て、現在はミノムシ型になってきており、将来はさらに人口が減っていく社会に私たちは生きています。当然、高齢化率も上がっていき、2060年には女性の平均寿命は90歳以上、男性で85歳ぐらいになります。日本人の高齢化は世界でも突出していますが、高齢化は日本だけではなく、今後、欧米先進国やアジア諸国全体でも高齢化していきます。
高齢化率が高くなれば、就労人口の割合は低くなります。別の言い方をすれば、納税者が減り、税金が取れなくなる社会となります。
アジア全体では2015年、2年前に就労人口割合のピークを迎えているので、アジア全体も老いてきている状況です。日本では、2000年ごろから就労人口の割合が減りだしています。
ちなみに韓国は急激に高齢化が進んでおり、中国は日本に20年ほど遅れて、日本と同じような高齢社会の状況に向かっています。中国は日本より人口ボリュームが多い国なので、日本と同じような問題が日本以上に今後、大規模に起きることが予想されます。それらが韓国や中国の問題と言われています。
(出典:平成28年版 高齢社会白書 内閣府より)
(出典 日本の財政関係資料 平成29年4月 財務省より)
子ども・孫への借金と2025年問題
さらに問題なのは、その40兆円の3割は既に未来への借金で賄われています。つまり皆さんのお子さんやお孫さん、まだ見ぬ日本人が担う借金で、今の社会保障制度が維持されています。以前は、数人の若い世代で一人の高齢者を支えていましたが、今後、場合によっては、高齢者が若い世代を支える時代になるかもしれない。また、地方分権の流れもあり、地域保健法も制定されました。
今注目されているのは「2025年問題」です。
2020年の東京オリンピックから5年後、いわゆる戦後のベビーブーマーの団塊の世代が全て後期高齢者になります。
都会では隣に誰が住んでいるのか分からない状態です。
医療従事者、介護福祉関係も含め、地域住民をどのように支えるのかを考え、実践するかが急務となっています。
高齢者は、調子が悪くなって診療所へ行き、病院へ行き、上手く行けば回復し、自宅か福祉施設に移る、また調子が悪くなって診療所へ行き、病院へ行くケアサイクルになります。
男性は1サイクルで亡くなり、女性は2・3サイクルで亡くなるケースが一般的と言われています。
地域包括ケアは、1970年代に広島県の医師が提唱し、
2003年、2005年、2006年に厚労省が打ち出した概念です。しかし、地域包括ケアは理論がほとんどないにも関わらず、超少子高齢・人口減少社会の日本の現状から、厚労省が苦肉の策で出してきたもので、国では面倒見切れないので、地域住民のケアはそれぞれの地方自治体で取り組んで下さいが実際のところです。
地域包括ケアの課題とは??
地域包括ケアは、経済合理性の観点からは失敗と言われています。
その理由は……
ケアが必要な人の多くは高齢者で、高齢者はケアを受けても社会復帰できず、生産活動性がないことと、訪問診療や訪問介護が中心となり、費用対効果が低いからです。
今後、地域包括ケアを社会に定着させるためには、経済合理性とは違う価値観や、評価基準が必要になります。
これは、近代化による合理性や効率性の価値観から抜け出し、それらを越えた脱近代化を私たち日本人に突きつけていると言っても過言ではありません。
20世紀は病院で治療する病院型の医療が中心でしたが、21世紀以降は地域包括ケアによる在宅や地域型の医療、生活を支援するケアサービスが中心となります。もちろん病院での疾病治療のための高度先進医療がなくなることはありませんが、それぞれの医療のボリュームが変わっていきます。それに伴い、それらを担う立役者のバランスも変わってきます。
20世紀までは、医師や看護師が中心でしたが、
これからの21世紀は、医師や看護師はもちろんですが、患者自身も含め、介護福祉士や地域住民も一緒になって、どのように地域住民の一員である患者や要介護者、生活者を支えていくかが重要になります。
20世紀までの医療は病気の治療が目的でしたが、人は歳をとると、病気は治らなくなっていきます。
仏教の「生老病死」は自然の摂理です。今後、日本の人口の過半数以上が50歳以上になるので。治すことだけではなく、生活の質を上げることが重要になります。
(常識のカベ、小野直哉氏講演より)
今まで考えていた、医療のあり方では立ち行かなくなる社会を感じさせられました。これからの21世紀は一体どんな医療を私たちは考えていくべきなのでしょうか。歴史を振り返ることでみえてくることが少しずつ、出来てきました。
次回は、20世紀と21世紀の医療のまとめのお話です。
◎第1回「お寺で「医療の常識」を問い直す。効率化と合理性の追求の果てに何があるのか」—常識のカベ講演録
お寺で学ぶ講座「常識のカベ」とは・・・
2017年3月1日より連続講座として始まった本企画。
講座の中で、各種の専門家をお招きして、提言をいただきそれを踏まえて、対話を行い、参加者ひとりひとりの「常識」を問い直し、学ぶ場を提供しています。
時代を越えてあり続けるお寺で、今のあり方をじっくりと見つめなおす時間を。
詳細はこちら→常識のカベfacebookページ