「スクール・ナーランダVol.1 京都」 開催レポート1日目〜心を見つめる、ご縁を感じる〜
およそ800年の歴史をもつ浄土真宗本願寺派が新たに取り組む、これから社会に出ようとする10-20代の方たちのための現代版寺子屋、「スクール・ナーランダ」。2017年2月3日(土)・4日(日)、京都の本願寺(通称西本願寺)にて開催され、2日間で約120名の若者が参加しました。
「ナーランダ」という名称は、「蓮のある場所」を意味し、蓮は知恵の象徴であることから「知 恵を与える場所」という意味も持っています。5世紀、北インドにあった、仏教だけでなく医学、 天文学、数学などを研究する総合大学「ナーランダー僧院」が名前の由来になっています。
その名の通り、浄土真宗本願寺派僧侶を始め、認知科学者の高橋英之さんや映像人類学者の川瀬慈さんといった研究者・学者からアートディレクターの森本千絵さん、ラッパー の環ROYさんなど、多彩な分野の専門家を講師に迎えて行われ、様々な問題を抱えた現代社会を生き抜くための「軸」をつくるヒントを学びます。
第1回目となる京都のテーマは「わけへだてと共感」。人は「他者と共感して社会を形成する」 能力を持っています。同時にそれは、「共感」する集団以外を認めない「わけへだて」を生み出す ことにもつながっています。今回は、ロボットや人工知能など新しい技術や音楽・人類学・仏教 など、多様な視点から読み解きました。
第2回となる今回の記事では、この京都開催の1日目の様子を紹介します!
僧侶のお話を聞きながら、本願寺をめぐる
プログラムは、本願寺のツアーからスタート。参加者はグループに分かれ、阿弥陀堂や御影堂、唐門のほか、通常は非公開となっている書院や金閣・銀閣と共に「京都の三名閣」と言われる飛雲閣など、多くの国宝や文化財を見学しました。僧侶の方は、建物の歴史や逸話だけでなく、浄土真宗の教えも含めて解説してくださいました。阿弥陀如来の教えでは、老若男女、貧富、職業を問わず、すべての衆生(生命のあるすべてのもの。)を救いの対象としていることなど。今回のテーマにある「わけへだて」を考える上でのヒントとなりそうです。
ツアーのあとは、お待ちかねの昼食タイム。今回のお昼ごはんは、本願寺御用達で創業150年の老舗、「矢尾治(やおじ)」さんの「お斎(とき)」です。見た目も美しく、美味しい特別なお料理を漆塗りの高御膳や椀でいただき、食を通しても仏教の考え方を知ることができました。
【講義①】高橋英之先生<認知科学者>「ロボットから探る人間のこころ」
午後からは、いよいよゲスト講師による講義。最初の講師は大阪大学大学院基礎工学研究科特任講師で、認知科学者の高橋英之さん。人工物としてのロボットや自然現象に「心」を感じ取る人間の認知メカニズムについて、心理学、神経科学、情報科学など様々な観点から学際的な研究を行っておられます。
高橋さんは講義中、ロボットを研究することで、「人間の『心』ってなんだろう?」ということを考えてみたいと話されました。そして、日々行っている様々な実験、検証を例示しながら、「心」はこの世にあるのかということについて教えてくださいました。
最新の研究からは、「一人称価値」をどう育て、「三人称価値」とバランスをどう取るか、というお話をされました。人間の中には「一人称価値」という、自分の身体が感じる感覚的な(言葉にしにくい、説明できないような)価値と、「三人称価値」という脳が感じる(社会的であり、言語化可能な)価値が存在していて、どちらかに偏ってもハッピーにはなれない、と高橋さんは言います。感じる価値と語れる価値の両方をバランスよく保つことが、心の健康を保つ方法であるということを語ってくださいました。
【講義②】森本千絵<コミュニケーションディレクター・アートディレクター>
「あなたがつくっているのはご縁なのね」
2人目の講師は森本千絵さん。Mr.Childrenをはじめ、多くのミュージシャンのアートワークやプロモーションビデオの演出、ドラマや映画、ダンス公演の宣伝美術や商品デザイン、書籍の装丁デザインなど幅広く手掛ける、コミュニケーションディレクター・アートディレクターです。大手広告代理店博報堂を退社後、 自身の会社goen°(ゴエン)を設立するに至るまでを、これまでの仕事とともに紹介して下さいました。
森本さんがgoen°を設立するきっかけは、博報堂時代の日本新聞協会のお仕事で、新聞の中にあるハッピーなニュースをとりあげて表彰していくHAPPY NEWSというプロジェクトでした。ある記事に登場したおばあちゃんと少年を訪ねたときに、おばあちゃんに「あなたは何者なの?」と尋ねられ、自分の仕事について説明したところ、「あなたがつくっているのはご縁なのね」と言われたそうです。 森本さんはその一言に衝撃を受け、「心よりも先に膝がかくっとするような感覚」で、自然と涙が出たのだといいます。そこで「ご縁」という言葉に出逢った森本さんは、そうした「ご縁」 からものをつくれること、人に出会えることが喜びだと気付き、ひとつひとつの仕事に、そういう想いを見つけていこうと、goen°を立ち上げたのだ、と話してくださいました。
実はこの講義、直前になって急遽構成が変更になったのです。森本さんが会場に入られてから、本願寺派が出している「ごえん」という冊子をたまたま見つけ、その冊子の章立てテーマ「わたしとあなたのことです」「わたしがここに存在していることそのものです」「誰もがつながっていけることです」などに沿って、これまでのご自身の仕事を紹介することになったのです。そして、その実践編として(!?)、いま座っている隣の人に触れてみたり、みんなで踊ってみたりといったワークを通して、「ご縁とはいったいなんだろう?」ということについて、みんなで考える授業となりました。
「ご縁をつくっているようでいながら、ご縁につくらされているようで。いろんな仕事をしていく中で、本当に素敵な出会いを繰り返しています。自分が何者かはわからないけど、なにか一緒に仕事をしたり、こうやって出逢ったり触れあったりすると、その摩擦で、その熱で自分の存在を感じていく。それがまた幸せで、“明日もがんばっていこう”となる——そんな毎日で、モノをつくっています」。森本さんは、ご自身の仕事への向き合いについて、こう述べられました。その言葉は参加者の胸にも、しっかりと響いたことでしょう。
【講義③】天岸淨圓<浄土真宗本願寺派僧侶>「感受する心を磨くことから仏様への道が始まる」
3人目の講師は僧侶の天岸淨圓さん。天岸さんの授業では、日頃なかなか知ることのないお坊さんの仕事、仏教の役割 について教わりました。
お坊さんの仕事というのは、一般的にはお葬式だったり、お通夜だったりと、喜びからではなくて悲しみから始まる仕事だと思われています。そして仏教というのは、そうしたものを扱う仕事だと思われています。それも非常に重要な仕事であることは 間違いありませんが、それは仏教という仕事の半分でしかない、と天岸さんは言います。
「感受する心」とは何でしょうか。天岸さんは、次のように話されました。
毎日目が覚める、そこで私たちは何かを考えているだろうか?何かを感じているだろうか?ほとんどの人がたぶん考えていない。それは、繰り返し繰り返し朝がやってきて、そういうことに対して何も感じていないからだと。人はいつか死ぬ、だからそれは、いつかはそうではなくなることも わかっている。それでもなお、それを尊く感じることはない。本来、誰しも感受性を持っているが、日々の色彩が非常に薄い生活をおくり、感受する力を鈍らせているのだ———。
自分の年齢×365日×3食という途方もない数の食事をし、そのときにそれだけの命が自分の中を通過していく。そうした状況がそれぞれの上にあるということを感じ取れるかどうかが、感受性である、と天岸さんは教えてくださいました。仏教というのは、この感受性を大切にする。感性を養っていく、育てていく。その一織り一織りが生き方であり、 その積み重なりによって人の善し悪しが分かれていく、そう言うことを教えるのが仏教なのだ、と。
そして、仏教は「言葉」を非常に大事にする宗教だということも教わりました。住んでいる環境や、 場所が言葉をつくるのではなく、言葉を正していく中で生活や環境が整っていくというお話でした。お坊さんのお説教と言いつつも、まるで落語のような楽しさに終始笑いがこぼれ、かつわかりやすく教えていただいた仏教の世界に、参加者は興味津々に聴き入っていました。
講師鼎談と全員によるディスカッション
1日目の講義の終わりは、「わけへだてと共感」をテーマとした講師全員による鼎談に続き、グループごとのディスカッション。共感できない人をつい区別してしまうことや、また他者に共感することなど、日頃自分たちが抱えている問題についても意見が交わされました。「時間が足りない」との声が上がるほど白熱した議論となり、その思いや疑問を講師の先生たちにぶつけました。
日々の中で仏教的な教えやご縁を感じる機会に気づいたり、色彩豊かな人生を送ったりできるよう、感受することや言葉使いに気をつけたいとの意見が出るなど、今日の講義を皆さんしっかりと受け取ってくれたようです。
>>「スクール・ナーランダ」全体概要は第1回記事をご参照ください。
◎問合せ先
浄土真宗本願寺派 子ども・若者ご縁づくり推進室
(〒600-8501京都市下京区堀川通花屋町下ル本願寺内) goen@hongwanji.or.jp
Tel (075)371-5181 (代)
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