見えない壁をつくるのは誰か?日系3世の少年が見た真実ー清原ケリー幸夫ー

 1960年代。
日本で東海道新幹線が開通し、東京オリンピックが開催され、のちに高度経済成長と称されるその時代、アメリカ合衆国ではひとつの重要な法律が成立した。
 
公民権法(Civil Right Act)
 
人種差別に対する、キング牧師らを中心とした公民権運動が盛り上がりを見せた50年代。その空気を引き継ぎ、1964年7月、有色人種の公民権を広く保護する法律がアメリカ議会において成立、制定された。
 
しかし、法律によって人の心が容易く切り替わるはずもなく、根強い差別の問題はなおも人々の誇りと生活を追い詰めていた。
 
清原ケリー幸夫さんはそんな60年代のアメリカで少年時代を過ごした日系3世。
 
アメリカはロサンゼルスに生を受け、様々な職歴を経ていわゆるアメリカン・ドリームを実現させた彼はいま、京都市右京区にある中央仏教学院[i]のいち生徒である。なぜ彼は僧侶として生きることを選んだのだろうか。
 
マイノリティとしての自分を自覚した少年期から、経済的な成功をおさめた青年期、その後僧侶として生きることを決めるまでの半世紀を辿る全3回の記事。今回はケリーさんの少年時代のお話を中心に第1回をお届けします。
 
 
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 日系三世の少年が生きた、アメリカの60年代
 
ーーお生まれは、いつどこで?
 
1960年、昭和35年です。ロサンゼルスで生まれました。
 
清原家自体はカリフォルニアの出で、両親ともに日系2世です。母方の祖父母は鹿児島から、清原家の祖父母は広島からやってきました。
 
僕らアメリカ人からすると、僕が生まれたこの1960年代というのは非常に大事な時期なんです。1964年、肌の色で人を差別することが法律で禁止されました。(公民権法)
 
それまでは、州によっては水飲み場も白人用と有色人種用が分けられていたり、バスでも有色人種は後方の決まったエリアに座らなければならないとか…そんな状態が普通でした。
 
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ーーそんな60年代に少年時代を過ごされたということですが、ケリーさんご自身も差別を受けるという経験をされたのでしょうか?
 
肌の色で…そういう意味で自分が差別されているというのは、子どものときから知っていました。
 
たとえば、7歳くらいの頃。お店でレジに並んでいると白人のおばさんが僕の前に割り込んできたかと思うと、 “You jap” と言い放ちました。「わかってるの?私は白人なのよ!」とも。このおばさんは、子どもの僕に向かって何てことを言うんだ!と思いました。
 
ボーイスカウトに行っていたときも、白人の少年たちに “Hey! It’s the japs!” と言われたり。
 
僕ら3世にとって “jap” という言葉は、戦争が行われていた時代の古い言葉というイメージだったんです。僕はアメリカ生まれで、父も母もアメリカ生まれです。そして一方の白人の人たちだって、イタリアやアイルランドなどからの移民をルーツに持つ人がほとんどなのに。
 
それでも僕らの世代はそういった差別的な扱いに対して反発するような世代でした。法律違反だぞ!僕らには権利があるんだ!と主張するような。
 
ーー生活のなかに白人の人とそれ以外の人との諍い(いさかい)は頻繁に起こっていたんですか?
 
僕の場合は、というかロサンゼルスではよくある話なのですが、戦後収容所から出てきた有色人種の人たちは住める区画が定められていたんです。お金があっても白人とは同じエリアには住めない。だから、結局僕たちが住んでいた地域は黒人の人がほとんどで、白人って一体どこにいるんだろう?って環境でした。
 
通っていた小学校は97%が黒人。2.5%くらいがメキシコ系、で0.5%くらいがその他。僕はその他に含まれていました。
 
学校ではよく黒人に “chink!” と揶揄されました。中国人を表す侮蔑語で、china man とか chink ってよく言われました。これ、おかしな話なんですよ。白人から差別を受けている黒人から、さらに差別を受けてるんです。
 
でもね、僕自身も、すごく悪い言葉ですが “nigger” と黒人の同級生たちに侮蔑語を言い返したりしていました。そしてそれは子ども同士の小競り合いだけではなくて、うちの親戚たち大人も集まればみんな黒人やメキシコ人、ユダヤ人への文句や批判を口にしていたのです。
 
ああ、僕たちは差別されるだけの立場ではない、僕らもまた差別をしているんだと気づいたとき、なんだか笑っちゃうくらい恥ずかしい話だなと思いました。
 
ーー大切なことに気づかれたんですね。中学校も同じような環境だったんですか?
 
いえ、中学に通う頃には、公民権法のもと白人ばかりの学校にも有色人種を通わせるという政策があったので、有色人種の居住エリアからバスに乗って、白人が90%の中学校に通っていました。そこでも僕らは少数派です。
 
黒人や白人が大多数の環境でそれぞれ生活してみて、黒人社会での振る舞い方と、白人社会での振る舞い方を覚えました。どういう言葉のリズムで、どんな風な接し方か…など。
 
ーーたとえば、どんな?
 
黒人は言葉に独特のリズム感があります。 “Oh, yeah man!” とかって。
 
白人にも白人の言葉のリズムがありますし、あとは “Good to see you, sir” と “sir” のように相手を持ち上げる表現が好まれることも知っていました。
 
あとはユダヤ人たちに対しても。彼らが大切にしている Bar mizvah(バル・ミツヴァー)という成人の儀式があるんです。実際の儀式を見に行かせてもらったことがあるんですが、そういうときには “mazal tov” =おめでとう、と彼らの言葉でお祝いを言うと「なんてお行儀の良い子かしら」なんて言われたりしました。
 
いろんな人種との馴染み方を覚えはしましたが、そう言う意味で、自分はいつだって「外の人」でした。
 
ーー「90%の人はこうで、自分は違う」という状態は、高校では変化しましたか?
 
高校時代になるとゲイの人たち、性的マイノリティの人たちがオープンになってきました。ゲイやレズビアンたちがそれまで受けてきた差別に対し “No” を宣言して運動を開始した頃で、これも当時のアメリカ社会における大きな変化のひとつでした。
 
そこで出てきたのが “Fundamentalist Christian” 、なんというか…極端なキリスト教徒たちです。「あなたは仏教徒なのですか?それでは地獄に落ちてしまいます!Jesus Christを信じないとだめです!」とか言う人たちで、毎日のように迫られました。
 
仏教、本願寺ではそういうことは言わないですよね。通っていた日曜学校[ii]で先生に相談したんです。
 
キリスト教文化のなかで仏教はどうしても少数派になってしまうけど、私たちアメリカ人同士、その人その人の宗教を尊重しながら、自分の宗教にプライドを持つんだと先生は教えてくださいました。それでも相手が全く聞く耳を持たず押し付けてくるならもう付き合わない方が良い。喧嘩になってしまうからね、とも。
 
非常に practical 実用的なアドバイスですよね。そういった経験から、自分ももっと仏教を勉強しないといけないなと思うようになりました。
 
ーー高校卒業後、大学では何を専攻されていたんですか?
 
東アジアの文化と言語です。日本語の勉強ですね。三年生のときに日本の早稲田大学に一年間留学をしました。
 
この日本留学が僕にとって初めての海外でした。初めて飛行機に乗って、成田空港に降り立ったとき、まず感じたのは違和感でした。あれ?と。
 
しばらく経ってから「あ!そうか!ここでは99%が僕と同じ顔をしている!同じ黒い髪をしている!」と、自分がいきなり多数派になったことへの違和感だと気付きました。
 
日本に来て、今までと違う、自分にフィットする場所があるんだという感覚を味わいました。でもやっぱり僕はアメリカ人で、完全に日本人の価値観と合致するということはないんだ、ということもやがて気がつきました。
 
来日時の一コマ / 本人提供
 
 
ーー日本に来て初めて、マジョリティ側という体験をしたんですね。しかし、どちらの価値観にも完全には馴染みきれない面があるということも感じておられた。
 
はい、そうですね。
 
揺れる価値観。ふたつの文化の間で
 
ーーさきほどもお話に出てきました日曜学校についてお聞かせください。日曜学校にはずっと通われていたんですか?
 
はい。うちのファミリーが浄土真宗だったので、日曜日になると「はい、行きますよ〜」と言われて通っていました。僕は日曜学校10年間皆勤賞なんですよ!
 
昔は全部日本語だったので、何の話か全くわからなかったけれど、3世の方が僧侶として帰ってこられて、それからは英語での話が始まってとても面白かったです。
 
ーー10年皆勤賞はすごいですね!勉強会にも参加されたんですよね?
 
中学生くらいから比較宗教学というのでしょうか、キリスト教の信仰はこうで、ユダヤ教はこう、イスラム教はこんな風です…といった勉強から、仏教のなかにある様々な宗派についても学びました。
 
ティーンエイジャーの、自分のアイデンティティが揺るがされるような思いを抱えているとき、やはり自分の価値観は仏教がベースになっているなと感じました。だから、時々アメリカ人の考え方と摩擦があるのは、そういうことかと納得したんです。
 
小さい頃は、日本の文化や価値観と、アメリカのそれとの間で摩擦を感じて、どうしたらいいのかわからない気持ちだったことを覚えています。僕自身が選んだのではなく、生まれたら日系人だったというだけなのに。
 
ーー大きく異なる価値観のなかで過ごしておられたんですね。
 
仏教がベースとなった僕の価値観には、おばあちゃんの存在がとても大きかったんです。16歳でアメリカに渡ってきた彼女は、英語こそ話せなかったけど、いつもにこにこしていて、どんな悪いことがあっても「ありがたいね、ありがたいね」というのが口癖でした。
 
一方で、僕が普段暮らしていたアメリカの社会は、誰かを批判して自分がのし上がるという競争意識の濃い世界で。生活のなかで、そういうギャップを感じる場面は少なくなかったんです。
 
大好きだったおばあちゃん / 本人提供
 
 ーーアメリカという社会のなかで仏教や浄土真宗を学んで、どんなことをお感じになっていましたか?
 
浄土真宗の救いとはどういう意味だろうかと最初はよくわかりませんでした。
 
キリスト教だったらわかりやすいんです。「判断される」って決まっている。死んでから上へいくか下へいくか。永遠に楽しいか苦しいか。はっきりと判断される… そう、私は捉えています。そして、この「判断する」という行為は、いつも有色人種に向けられる、白人たちの判断の目にも重なりました。
 
Jesus Christ や神の絵はいつも怖い顔をした白人の男性です。彼らに判断されるんだ、だから教会に行ってお祈りしなきゃ…って印象を受けていました。でも、仏教はちがいます。 “Just as you are” ありのまま。
 
だから悪いことでもなんでもやって良いという話ではなくて、ただ自分は完璧ではない。決して完璧ではない自分のままでいい。お寺にきて、聞法をして…。そういう話を10代の多感な時期に教わって、すごく影響を受けました。
 
一方で、やはり典型的なアメリカ文化のなかで育ったのも事実で、成功する=お金持ちになる、という考え方も僕のなかにはありました。
 
ーーアメリカはすごく競争社会だと仰いましたが、その「競争する」ということとキリスト教の関連性というのはお感じになりますか?
 
はい。誰かの決めたルールに従って最終的には判断される、という点は似ていると思います。神の示したこと、ルールに従っていればプラスで、破ってしまえばマイナスという。実際の社会にも似た様な構図があります。
 
自分が上にいるということが重要なんです。白人だから上だとか、キリスト教だから上だという感覚。
 
そして、宗教的な部分でいえばアメリカ人はわりと自分が死ぬことをすごく怖い、恐ろしいことだと捉えていると思うんです。
 
ーー死後の世界に地獄があると信じているということですか?
 
いえ、信じているかどうかは別として。
 
歳をとるとか死に向かっていくという自然な営みに、必死に逆らおうとするのは、死ぬことへの恐れからもきているんじゃないかと思います。
 
僕が働いていた広告業界でも、たとえば…このシャンプーを使えば永遠に若いままですよというイメージで売り出すわけです。昔はこんなに美しかった女性が歳をとってこんな姿になってしまいました、という画像を見せながら。それはただ年を重ねただけの自然な出来事なのに。
 
実際に地獄を信じているのかと問えば、いやいやそんなことはないと返ってくるのだろうけど、それでも彼らの言動の端々にはそういった意識が見えるような気がしています。
 
幼い頃から否応なくマイノリティとマジョリティのあり方、人間そのものの性質について思いを巡らせてきたケリーさん。その語り口はとても穏やか。次回は、アメリカという社会のなかで成功を収めるに至った道のり、そして僧侶となる決断についてお聞かせいただきます。
 
 

 
 
[i] 中央仏教学院は、浄土真宗の僧侶を養成する専門機関です。18歳以上の様々な年齢、様々な経歴の人々が仏教や浄土真宗について学んでいます。
 
[ii] 浄土真宗のお寺で日曜日に集まって仏様の話を聞いたり、レクリエーションをしたりして過ごす行事。日本では主に子どもの集いを日曜学校と呼称しますが、アメリカでは「Sunday School = 子どもの集い」「Sunday Services = 大人と子どものための集い」と区別。
 
記事中の「日曜学校」はSunday Servicesを主に指しますが、大人が僧侶の法話を聴いている間に子どもたちがSunday Schoolをするなどの工夫もされます。ハワイでは、その後皆で持ち寄ったものを一緒に食べて過ごすという文化も。
 
2018.2/26 更新 
   

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掲載日: 2018.02.26

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