「ただ、あること」その大切さを伝えたい。自分なりの方法で|唐溪 悦子さんインタビュー<後編>
「ただ、あること」その大切さを伝えたい。
自分なりの方法で
尼崎で「尼僧酒場」を開いて注目を集めた唐溪悦子(からたに・えつこ)さん。島根県美郷町に生まれ、高校2年生で得度したものの、ずっと頭を離れなかった「僧侶ってなに?」という疑問。葬儀社やイベント会社などでの勤務を経て、現在、僧侶としての自分は何ができるのかを模索中。
前回は理想的な葬儀とはなにか、オンライン時代に改めて考えるリアルな場としての寺院についてお話を伺いました。後編の今回は唐溪さんが主催した尼僧酒場について、お話を伺います。
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僧侶に良いイメージを持てなかった彼女が、お寺を継ぐと決めるまで|唐溪 悦子さんインタビュー<前編>
気づき合う場を。尼僧酒場の取り組み
2020年1月(新型コロナウイルス感染症流行前)に尼崎市の杭瀬で行われた「尼僧酒場」。イベントの様子はこちらもあわせてご覧ください)
ーー唐溪さんが主催され、新聞やテレビなどでも取り上げられた尼僧酒場についてもお聞かせください。酒場に訪れた方々の悩みを、お客さんみんなで共有することでお互いに気づきを得るような場所だと伺っています。
唐溪悦子さん(以下:唐溪):きっかけは友人の一言でした。もともと私は料理が好きで、将来は門徒さんのところの畑でできた作物を使ったり、家庭から出た野菜くずなどを使ってカフェみたいなことができないかなーって思ってたんです。「おかげさま」が目に見えるかたちで提供できたら、と。
その話を友人にしたところ、なぜか「尼さんが尼崎でそういうイベントをしたら面白いじゃん」という話になって。私がやりたかったこととは全然違うのですが、挑戦の場としてアリだなと思って企画を立てました。
ーーどんな方が参加されるんでしょうか?
唐溪:年齢層は20〜50代の方がたなんですけど、参加者の方については悩んでいることもあって。
ーーどんな悩みかお聞きしてもいいでしょうか?
唐溪:尼僧酒場には、様々な悩みや問題について、偶然酒場に居合わせた人たちで語り合うことで気づきを得てほしいという思いがあります。ですが、参加者の方のなかには自分のことを話したいだけで語り合う気がない方というのも一定数おられるんです。そこに新たな気づきはなかなか生まれづらい。塩梅が難しいなと悩んでいるところです。
ーー話題になるなかで、SNSでは「僧侶」と「酒場」というキーワードの組み合わせに嫌悪感を持たれる方もおられたようです。それだけ人々の話題になったということですが、唐溪さんご自身はネット上の発信で気をつけておられることはありますか?
唐溪:情報発信は、とにかく自分が何を考えていて、どういう想いで尼僧酒場を開くのかということだけに限るようにしています。
否定的な意見もいただきますが、それはきっと、その方が大事にしているものに私が傷をつけてしまったんだろうなと捉えています。否定的な意見をいただいて初めて「その人が大切にしていることや生きづらさ」を教えてもらった気がします。もちろん、ちゃんと落ち込みますが(笑)
ーーなるほど。その人のなかの曲げられない何かが浮き彫りになるというか。
唐溪:はい。それに、もともと「尼僧」というネーミングにしたのも、この言葉をきっかけにジェンダーについて話し合う場にできたらという狙いがあったくらいですから、いろんな意見が出るのは妥当かなと思います。
今後の展望。「ただ、あること」の大切さ
ーー今後の展望についてお聞かせいただけますか? ざっくりとしたイメージでかまわないのですが。
唐溪:いろんな企画に参加させてもらっていますし、取材していただくこともあるので、目立ちたがりのように見られることもありますが、本来は全然人前に出たくないタイプで。むしろ私をハブにして、個性豊かな僧侶の方たちを世間のみなさんに知っていただいただきたいと思っています。
尼僧酒場もずっと私がやっていきたいわけではなくて、いろんな方にお店に立っていただいて、その方ならではの尼僧酒場をつくっていただけたらと思っています。
オンライン数珠繋ぎ読経 ──オンラインでいろんな僧侶の方たちの読経をリレーしていく── も取り組みのひとつですが、ここでは「ただ、あること」を軸に企画を進めていきたいと思っています。僧侶やお寺、仏教という存在がただ、そこにあることを伝えたいというか。
ーー「ただ、あること」とは具体的にはどういうことですか?
唐溪:自然と同じようなものかなと私は思っています。向こうからなにか語りかけてくるわけではないけれど、ただそこにいる安心感をくれるというような。仏教やお寺も似たようなものだと思います。
でも、それは当たり前にあるわけじゃないんだよ、ということが伝わったらいいなと思っています。そしてそれは言語という便利なものでは伝えられないような気がしていて。
伝えたいというとおこがましいのですが、「有って当然」より「有り難い」と思える方が他者とのつながりが見えていかされてるなって思うんですけど、その方が生きづらくないなって。
ーー興味深いですね。こう言ってはなんですが、あらゆるものはコストを払ってそこに「ある」わけです。でも私たちはそれに気づかない。失ってみて初めて気づく。そこを考えるのは仏教的な感じがします。
唐溪:そうですね。いま一番考えているテーマです。
生きていくうえで、自分の役割みたいなものを見出せないと自分に価値がないように感じてしまう人って多いと思うんです。周囲と同じように勉強や仕事ができないことに罪悪感があったり。でも、そうじゃないですよね。私たちは何かができるから存在していい、というわけじゃない。
そういう「ただ、あること」「ただ、生きていること」の大切さ、尊さを言葉にしたいけれど、うまく回線がつながらないので、いろいろ模索している最中です。
ーー言葉にできないということは、それだけ大切なことなのだと思います。いろいろな束縛から自分を解き放つことができれば、視野も広がって「ただ、あること」の大切さも実感することができるのかもしれませんね。本日は貴重なお話をありがとうございました。
<編集後記>
お寺が風景になっている、という言葉を聞くことがあります。多くの場合、否定的な文脈で使われる表現ですが、よくよく考えてみるとお寺が地域の風景に馴染んでいること、「ただ、ある」を全うできていることは実は大切なことなのではないか……と、唐溪さんとの対話を通じて感じました。あなたのそばにも、お寺や仏教、僧侶は「ある」んだよということを、より多くの人に伝えるにはどうすれば良いか。一人ひとりの僧侶が考えていくべきことなのかもしれません。
Profile
浄土真宗本願寺派 僧侶/TERA Energy株式会社/自然案内人
1992年生まれ。島根県美郷町出身、兵庫県神戸市在住。
お寺のひとり娘として生まれ、高校時代に僧籍取得のため得度するも僧侶としての生き方に悩み、大学卒業後は葬儀社に就職し、葬祭ディレクターとしてはたらく。
大学では「人と自然とがともに生きていくために」をキーワードに環境学、動物行動学を学ぶ。