良い葬儀って? 葬儀会社を退職した僧侶が思う葬儀のあり方|唐溪 悦子さんインタビュー<中編>

 
尼崎で「尼僧酒場」を開いて注目を集めた唐溪悦子(からたに・えつこ)さん。島根県美郷町に生まれ、高校2年生で得度したものの、ずっと頭を離れなかった「僧侶ってなに?」という疑問。葬儀社やイベント会社などでの勤務を経て、現在、僧侶としての自分は何ができるのかを模索中。
 
幼い頃に抱いた疑問や、葬儀社を退職した経緯について伺った前編。中編の今回は唐溪さんの目から見る葬儀のあり方についてお話をお聞きしながら、インタビュアー(僧侶)との議論も深めてまいります。
 
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僧侶に良いイメージを持てなかった彼女が、お寺を継ぐと決めるまで|唐溪 悦子さんインタビュー<前編>
 
ご遺族がきちんと悲しみに向き合える葬儀
 

 
2020年10月に行われた「My葬儀をプロデュース」。葬儀社で勤めた経験を活かし、死や弔いを考えるイベントを展開している。
 
ーー唐溪さんはどんな葬儀が理想だと思われますか?
 
唐溪悦子さん(以下:唐溪):私にとって葬儀とは、区切りをつけるためのものだと思うんです。区切りといっても、「これで終わり」とか「はい、切り替えていきましょう」という意味ではなくて。葬儀という儀式を通過することによって、新たな自分の一面、故人との新たな関係性を見出していくような……。出会い直しのひとつの契機だと思っています。
 
ーー出会い直し、ですか。
 
唐溪:はい。日常を一緒に過ごしていた人を失ったとき、葬儀は、その人が自分にとってどういう存在であったかを振り返る時間、自分の心を見つめ直す時間であってほしい。そこにはこれまでとは違う新たな関係性と呼べるようなものが生まれるのではないかと思っています。単なる「別れ」にはならないというか。
 
そして、やはり悲しみと向き合う時間をしっかり持たなければなかなかそういう段階には進めないのではないでしょうか。必ず出会えるとわかっていても別れは辛いもの。この世で大切な人と会えないという悲しみをきちんと受け止めて、自らが安心して死んでゆける人生ってなんだろうを考えられる葬儀が実現できればいいですよね。
 
ーー確かに大切なことですね。しかし一方で、葬儀というのはなかなか慌ただしいものでもあります。悲しみと向き合う時間は取れるものでしょうか?
 
唐溪:それが、私が葬儀社に入った理由のひとつです。身近な方を無くされているのにも関わらず、喪主という役割はとても気を使う場面が多いですよね。親族や参列者、僧侶にも挨拶をしないといけなかったり。気づけば式は終わっていて、家に帰って一人になった途端悲しみが押し寄せてくるような。そういう事態を避けて、できるだけ遺族の方が自分と向き合える時間を持てる葬儀をつくりたいなと思っていたんです。
 
ーー葬儀社で働いておられたとき、良い葬儀だな……と思う葬儀はありましたか? どんな部分が他とは違ったのでしょうか。
 
唐溪:喪主さんと導師の僧侶との間にすでに関係性が作られている場合は、良い葬儀だなと感じることが多かったと思います。
 
僧侶の方と長いお付き合いがある場合、お互いに変な緊張もなく、和やかでありつつピリッとした雰囲気も保たれていました。喪主の方も、「あれをしなきゃ、これは大丈夫かな、焼香の作法はどうだっけ……」といったそわそわ感がなく、ご自分の内面と向き合っておられるような印象を持ちました。
 
私は、葬儀における読経の時間ってとても大切だと思っているんです。その時間だけは、誰に話しかけられることもなく、挨拶の必要もない。良い雰囲気の葬儀だったなと思うとき、最後にご遺族の方に何度か「今日はどんなお気持ちで過ごされましたか?」と、お尋ねしてみたことがあるんです。多くの方が「読経のときはゆっくりと想いを馳せることができました」とか「落ち着く時間でした」という言葉を返してくださったのを覚えています。
 
僧侶の役割、葬儀社の役割
 

 
ーー葬儀における宗教者の役割と葬儀社の役割はそれぞれどのようなものだと思われますか? というのも以前、中小企業の葬儀社さんから、大手と対抗するためには生前予約を取るしかないというお話を伺ったことがあるんです。亡くなられてから葬儀を準備し始めるケースだとどうしても大手に流れてしまうからだそうです。
 
そして、生前予約をされた方にアンケートを取ると、8割の方が「僧侶はいらない」とおっしゃるんだとか。理由は大きく二つです。一つは、宗教行為の意味がわからないし、僧侶の価値もわからないということ。もう一つは、自分の代で僧侶やお寺と関係性を結んでしまうと、子どもたちに迷惑がかかるから、という理由らしいんです。
 
そういった現実があるなかで、葬儀における僧侶の役割ってなんだろうということを、お聞きしてみたいです。
 
唐溪:難しいですね。私もずっと考えていることですが、まだまだ模索中です。葬儀社で働いてみて思ったことですが、葬儀社で働いている者ならではの特権として、いろんな宗派の葬儀を見ることができるという点はあるなと感じていました。
 
葬儀をするまで僧侶やお寺に関わりのなかった方に対して、第三者的な立場からお話ができるというか。本当に単純な「髪が生えていてもいいの?」「肉を食べていいの?」といった質問から、宗派の違いやその理由についてもご説明してきました。それは葬儀社ならではの役割と言えるかもしれません。
 
ーーなるほど。葬儀社さんという、僧侶でもなければ参列者でもない人の存在は独特の立場かもしれませんね。個人的な感触ですが、宗教には物語や歴史のような文脈があると思うんです。そこを背景にした僧侶という存在だからこそ持てる説得力というのもあるのではないでしょうか。
 
唐溪:そうですね。
 
ーーむしろ、そこの説得力がなければ、僧侶という存在を求めてもらえないというか。葬儀社の方がお袈裟をつけて読経すればという話になりかねない。葬儀に呼んでいただいて出向いていくのであれば、宗教者としての説得力を持った存在でいられるよう、私たちは精進する必要がありますね。
 
寺院というリアルな場所はどのような価値を提供できるのか
 

 
ーー僧侶自身の存在感も大切ですが、宗教的空間も同様に大切だと考えます。現在は葬儀社のホールで葬儀を行うことが増えましたが、唐溪さんは寺院葬についてはどうお考えですか?
 
唐溪:寺院葬については、今回のコロナウイルスの影響下で少し価値観が変わってきそうな気がしています。場所の価値みたいなものが見直されているような。
 
お寺の本堂に漂うお香の香りをはじめ、空間の持つ力というのは確かにあると思っていて。でもそれは言葉で伝えることが難しい。だからこそ、お寺にお参りをされる方とされない方との間で価値観に大きな違いが出てしまう部分でもありますよね。
 
先日うちのお寺でも寺院葬がありました。それは葬儀社さんにお願いしたくないというご遺族の希望があって、家族葬だけど本堂でやりたいということで、お受けいたしました。このように、いろんな意見をきっとみなさん持っているんだけど、なかなかそれを伝え合う機会がないなかで、これからの葬儀がどうなっていくのかは見えない……というのが正直なところです。
 
ーーたしかに、お香の香りであるとか五感に訴えることができるのはリアルな空間の強みですよね。特に匂いってすごく直感的なものだから、実際になにが起きたとかいう事実よりも深く心に残るのかも。
 
一方で、今はリアルの場に集まらなくても、オンラインでいろんなことが進むようになりました。その場に自分が赴くということの価値が揺らぎそうな気もします。
 
唐溪:10年先くらいだと思っていたことが、いま急に来たという感覚がありますね。でも、今だからこそチャレンジできるのかもしれないとも思います。
 
お寺の業界でもオンライン化を推し進めたいという意見はずっとあったけれど、なかなか実現できなかった。でも今のオンラインにせざるを得ない状況になってやっとオンラインが肯定されるようになってきた。時代や状況によって変わる価値観はあてにならないなって思いました(笑)だからこそわたしたちはなにを変え、なにを変えてはならないのか問うていく必要がある気がします。
 
ーーそうですね。メリットとデメリットはきちんと確認しながら、新しいことに踏み出していきたいですよね。例えば離郷門信徒の方と交流できることは良いことだと思います。デメリットはなんでしょう……伽藍の建て替えは必要ないとか、お寺というリアルの場所はいらないという意見に対して私たちは何を言えるのかというところでしょうか。
 
唐溪:そうですね。私は「ただ、ある」ということの安心感を伝えていきたいと思っています。お寺がそこにあることの大切さ。メリットという言葉を使うと、どうしても消費社会的というかお寺がサービス業のような印象になってしまいますが、お寺は絶対にサービス業ではありません。新しい価値観を提示したり、問いや気づきを与えていく場所だと思うので、なにが一番大切なことなのか、順番を見失わずにいたいですね。
 

<編集後記>

 
消費社会の考え方に影響を受けずにはいられない私たちは、これからの寺院や葬儀に何を見出していくことができるのか。重要な問いをいただいた議論でした。次回は、尼僧酒場など、唐溪さんが実際に人びとと向き合って意見を交わす場についてお話を伺います。
 
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「ただ、あること」その大切さを伝えたい。自分なりの方法で|唐溪 悦子さんインタビュー<後編>
 
Profile
 
 

 

唐溪悦子さん
浄土真宗本願寺派 僧侶/TERA Energy株式会社/自然案内人
1992年生まれ。島根県美郷町出身、兵庫県神戸市在住。
お寺のひとり娘として生まれ、高校時代に僧籍取得のため得度するも僧侶としての生き方に悩み、大学卒業後は葬儀社に就職し、葬祭ディレクターとしてはたらく。
大学では「人と自然とがともに生きていくために」をキーワードに環境学、動物行動学を学ぶ。
   

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掲載日: 2021.03.19

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